その日は結局、一日中二人で一緒に過ごした。
たくさん話し、たくさんセックスをした。だけど、俺の頭の事は、あのDVDにも映った公園の事しかなかった。何をしても、上の空になってしまう。
夜になると、美和は明日の準備があるからと、帰り仕度をしだした。俺は美和を送りついでに、あの公園へ行こうと思っていた。
「雷蔵、悪いから大丈夫よ」
「いいから、いいから…。昨日のラーメン屋の件で、おまえに何かあったら嫌だって俺は思ったんだ」
「ありがとう。昨日の雷蔵、格好良かったよ。とても……」
濃密なキスをして、俺たちは部屋を出た。
時間帯は九時を回っている。当たり前だが、外に出ると、すっかり真っ暗になっていた。わりと近所に住んでいる美和は、俺のマンションから歩いて十五分ぐらいの場所にいる。マンションを出ると、五分ぐらいで例の公園を通る。
「ねえ、雷蔵。私、何かこの公園って気味悪く思うのよ」
「そうか?」
わざとおどけて言った。
美和の感覚は間違っていない。本当にあのDVDを見せなくて良かった……。
「何か、辛気臭いって言ったらいいのかな…。できれば、この前を通りたくないもん」
「何か感じるの?」
「うーん、特には…。でも、私って多少、霊感があると思うんだ……」
初耳だった。ただの怖がりでホラーものを避けていただけなのかと、今までそう思い込んでいた。
「霊感?」
「うん…。最近はそうでもないけど……」
「ちょっと、近くの喫茶店で話しようか?」
「やだ、何、そのニヤけ顔」
「仕方ないだろ。俺のライフワークでもあるんだから」
美和は苦笑いをして、軽く鼻で息をはいた。
「まったくもう…。まだ、あそこの喫茶店てやっているの?」
「ああ、確か夜の十一時までだったかな……」
美和を送る予定が、思わぬ展開になってきた。
俺もひょったしたら、実際に霊体験をできる時が、近づいてきたのかもしれないな。俺たちは出会ったきっかけでもある喫茶店に向かった。
二人ともコーヒーを注文する。
美和は上を見ながら、前の事を思い出しているみたいだった。
「早くおまえの霊体験、何か話してよ」
「うーんとねー……」
俺はワクワクしながら、美和が口を開くのを待った。こんな身近な存在に貴重な体験をした人間がいたとは……。
嬉しい誤算である。
「私がまだ小さくてね。親元にいた頃の話なんだけど、それでいい?」
「ああ、いつぐらいの頃?」
「うーん、小学六年の時なんだけどね」
「ああ」
「友達の家に遊びに行ったの」
「ふんふん」
「かくれんぼして遊んでいてね。私は友達の部屋のタンスに、隠れようと思ったの」
「それで?」
「タンスの扉を開けると、一人の女の子がいたの」
「友達の妹さん?」
「ううん、その子…。一人っ子だったから、それはない」
「へー……」
「格好は言い方悪いけど、酷く薄汚れた格好をしていて、顔もげっそりと痩せていたんだ」
「うん」
「私と目が合うと、何か言いたそうにしているの」
マスターがコーヒーを運んできた。ここのブレンドは、キリマンジャロがメインになっているので好きだった。
「それで、どうしたの?」
「うん、それで私、その子に話しかけたの。こんなところで、どうしているのって」
「ああ」
「そしたら、その子。口は開いていないんだけど、私の脳へ直接声が聞こえてきたの」
「はぁ?」
「戦争の空襲警報が鳴って逃げてきたけど、母親とはぐれてしまい、逃げる人のあとを必死について行ったら、防空壕に到着したんたって……」
俺たちは、戦争を知らない世代だ。
その当時の書物は、何冊か読んだ記憶がある。
防空壕とは、戦争時、敵の攻撃から非難する為に、作られた施設だという知識ぐらいは持っていた。広島、長崎に原子爆弾が落とされ、たくさんの命を失い、日本は降伏をした。英国、アメリカ、中華民国の三カ国首脳の共同声明として、当時の日本(大日本帝国)は、ポツダム宣言を受け入れた。
悲しい俺たちの国の過去。
「食べるものも、水もなく飢えて苦しいって、必死に私に伝えてきたの」
「怖くはなかったのか?」
「うん、不思議とね。その子は亡くなっているのを自分で気が付いていないの。とにかくお腹が減って、苦しんで亡くなったんだと思うんだけどね……」
美和は寂しそうに言った。気持ちは分かる。俺たちじゃ、想像もできないぐらいの苦しみがあった時代なのだ。今の日本は便利になった代わりに、すっかり平和ボケしている。
「だから、友達に言ったの。タンスにコップ一杯のお水を置いてあげてって」
「うん……」
「それと、お菓子とかあったら、一緒にって……」
「そうか」
「うん。もし、お水がなくなるようなら、必ずまた入れてあげてってね」
「成仏できたかな……」
「多分…、しばらくして、私がその子の家に遊びに行った時、ちゃんとお水も、お菓子もお供えしてあったんだ」
「そっか……」
俺はできる限り、優しく微笑んだ。
美和と付き合い始めの頃を思い出した。
一度だけデートをしていて歩き疲れ、あの公園へ入った事がある。
「なあ、美和」
「ん、何?」
「おまえさ、俺とあの公園に一度デート中に入った事あるの覚えてる?」
「う、うん……」
「あの時、ベンチに親子連れがいたから、すぐ出ようとしたけど、おまえ何故か子供の顔をジッと見ていたでしょ?」
「え、そうだったっけ?」
「うん、だって俺がさ、『おい、美和。何してんだよ? そろそろ行くぞ』って声を掛けたぐらいじゃん」
「あ、そうだったね」
「子供の顔を見てたけど、何か感じるものあったの?」
「う~ん、よく分からないけど私とその子、同じような能力があったような感じがしたの」
「え、そうだったの? あの公園じゃん。だから何か不思議なもんがあったかなと思ってさ」
「え、あの公園じゃんって?」
しまった。美和は『一般人投稿の不可解な映像』を一緒に見ていないから、あの公園が曰く憑きだなんて知らないんだっけ……。
「いや、何となく」
「何か隠してるでしょ、雷蔵?」
「いやさっき俺が借りたDVDあるだろ? あの件なんだけどさ、話すと美和怖がるかなって思ってさ」
「……」
見る見る内に美和の表情が青白くなっていく。
「この話はやめとこう」
「うん…、ごめんね」
「いいよいいよ。こんな話を振った俺が悪かった」
少し気まずい空気が流れる。コーヒーを飲み干すと、俺たちは喫茶店をあとにした。
別れ際になって美和が真剣な表情で口を開く。
「ねえ、雷蔵。お願いだから、あの公園には近づかないで」
「ん、急にどうしたんだよ?」
「よく分からないけど、あそこには近づかないほうがいいってすごい感じるの」
「え、じゃあひょっとして俺、初の霊体験ができるかもしれないじゃん」
俺は飛び上がって喜んだ。美和の表情がさらに曇る。
「雷蔵……」
「何だよ?」
「そんな霊体験だとか簡単に言わないで、お願いだから……」
「急にどうしたんだよ?」
「ホラービデオを見ているぐらいなら、私は何も言わなかった。でもあの公園は本当に言っちゃ行けない場所のような気がする。霊体験ってそんな簡単なものじゃ済まない気がするの……」
「美和……」
これだけ強く言う美和を初めて見た。心の底からお願いしているのだ。
霊体験なんて遭った事がないから楽しみと思っていたが、実際に遭ったらそんな事言っていられないだろう。
美和を送ったあと、例の公園に差し掛かる。あんな話を聞いたばかりなので、いたずらに近づくのはやめようと思った。
今の日本……。
確かに腐りきってやがる。戦争時の日本か……。
大変だったんだろうな……。
そう思うと、簡単に霊だ何だって喜ぶのは、間違いのような気がした。俺の先祖も戦争は体験してきたのだ。今度、久しぶりに墓参りでも行ってこようかな。
マンションに到着すると、鏡を見てみた。まだ、顔の腫れはそんなに引いていない。これじゃ、明日、会社へ行ったら色々と突っ込まれそうだ。明日も有休をつかうか……。
湯船にお湯をためて、ゆっくりと風呂へ浸かった。
人間って、どう生きるのが正しいのだろうか?
そんな事を考えてしまう。今の日本が豊かなのは、戦争後の人たちが頑張って築きあげてきたからである。
俺を始めとして、今の連中は一体なんなのだろう?
楽しい事だけ、追求して生きるのもいい。だが、そんな姿を見て、昔の人たちはどう思うのだろうか。
今の連中は、命ってものを簡単に考えすぎている。自殺する奴も、年間で三万人を越えているという。それも日本だけの数字だ。驚異的な数字である。
日本は法律で、自殺や自殺未遂に対し、犯罪として扱うことがないようだ。昔は違ったらしいけど……。
自殺者は、女より、男のほうが圧倒的に多いのも知っている。
何でこんな世の中になっているのかな。今じゃ、IT社会ってもてはやされているけど、パソコンが使えなくなった時の被害って、どのぐらいになるんだろうか?
昔は違った。
少なくてもパソコンや携帯がなくても、みんな、普通に生きてきた。
特に携帯の機能の充実さは異常である。あれば確かに便利だ。でも、通話とメールができるぐらいで、ちょうどいいんじゃないかと、俺は考えている。
各メーカーがこぞって色々な開発をしているが、それが正しいのかというと、間違っているような気がする。
そもそも携帯って何だ……?
携帯とは、手軽に持ち運びができるものを指すんじゃないのか?
携帯で持ち運びができる電話だから、携帯電話。でも、今、携帯というと、みんな、俺も含めて携帯電話の事だと思ってしまう。
テレビもそうだ。視聴率、視聴率と言いながら、それをとるのが正論なんだみたいな風潮になっている。
あのくだらないお笑い芸人たちを見ていても、面白くもなんともない。
女は整形しても、外見だけ良ければいいみたいな感じだし、明らかにおかしくなっている。
サッカーだってそうだ。ワールドカップと盛り上がっているが、日本代表を見た時、がっかりした。世界に日本代表としていく訳なんだから、日本人らしくいればいいのにと、思ってしまう。日本人は黒い目、黒い髪なんだから……。
代表の中で日本人らしい選手って、どのくらいいるんだろう。茶髪にした選手が非常に多い気がする。
世界にとって、日本は強い国ではない。髪を染める暇があるのなら、ボールを蹴ればいいのになって普通に思う。
まあ、サッカーだけではないのだが……。
色々な事を考えていて、すっかり長風呂になってしまった。指の先がふやけている。風呂を出る時、何か思いかけたのを感じた。だが、それはすぐに消えてしまった。何だろう。
まあいい……。
顔の腫れもあるし、明日も会社を休む事にしよう。幸い今の仕事状況は、そこまで忙しくない。きっと上司も文句は言わないはずだ。
珍しく真面目な事を考えてしまった。
一体、俺に何ができるというのだろう?
個人で見れば、ちっぽけな存在である。そんな俺に……。
いや、似合わないな……。
真面目な事を考えるのはやめよう。
気が付くと、朝になっていた。風呂から出て、ベッドに寝転がると、そのまま寝てしまったみたいだ。
鏡を見る。まだ顔は腫れている。俺は上司に連絡をして、会社を休む事にした。一応、美和にも伝えないとな。携帯を手に取る。
「もしもし」
「おはよう」
「うん、おはよう」
「まだ、いまいち腫れが引かないから、今日も休む事にするよ」
「そう、大丈夫?」
「まあね。たまにはゆっくり休むのもいい」
「そうね。でも、私はさすがに今日は行かないと……」
「全然、かまわないって、いってらっしゃい」
携帯を切り、再びベッドに寝転がる。昨日、一瞬だけ思いついた事。それが何かはすぐに消えてしまったが、ずっと気になっていた。
うつ伏せになる時、顔の腫れている部分をかすり、痛みを覚える。
「いたたた……」
一昨日の二人組……。
ちくしょう。痛みを感じるたびに、あいつらを思い出す。もっと俺に力があったらな。
ん、待てよ。そうだ。
俺は、起き上がった。昨日の事で、思いついた事。それが分かったのだ。
例の公園の事だった。近くにあのCさん(仮名)が、住んでいる可能性がある。会って直接、話を聞きたい。そんな欲望があった。
待てよ、以前、自殺した亀田。あいつも確か、首吊りで亡くなったと聞いている。何か繋がりがあるのだろうか?
俺のマンションと、あいつのアパートはすぐ近く。その間に例の公園がある。
幸いに今日は一日暇だ。亀田の住んでいたアパートへ行き、隣近所に、聞き込みをしてみるのもいいかもしれない。
普通に考えて、亀田の自殺は不可解だ。
女には絶対に縁がない。
一生独身確定のオタク。
でも、女を抱くだけなら風俗がある。
うちのデザイン会社と、契約を結んでいた亀田は、金にはそんな困っていないはずである。それだけの金をうちの会社は、あいつに払っていた。
亡くなった時、部屋に落ちていた一枚のパンティ。前にも思ったが、これから自殺するような奴が、そんなところに放っておくのはおかしい。
いいチャンスだ。
あのDVDを見なければ、思いつかなかったと思う。
美和から聞いた防空壕の女の子の話。そしてあの公園には近づかないでという忠告。
思い出すと少し気味が悪かったが、仕方ない。亀田の件で探りを入れれば、何か不可解な出来事に遭遇するかもしれないのだ。
霊体験を俺はした事がない。そんなんじゃ済まないって美和は言ったけど、やっぱり一度は経験してみたいのだ。しかも家の近所でこんなネタが転がっているのである。
俺はワクワクした。
まだ、出掛けるには早い時間帯だ。俺はソファーに腰掛け、時間が早く過ぎるのをそわそわして待った。
もう一度、『一般人投稿の不可解な映像』を見た。
俺は、公園のシーンで何度も映像をとめ、丹念に画面を眺める。うん、絶対にあの公園だ。こんな近所で、不可解な事があったのである。
亀田のアパートは前に行った事があるので、場所は覚えていた。
時計は十時を回った。
もういいだろう。俺は、マンションをあとにした。
まずは例の公園に行く。
親子連れが一組いるだけで、公園はシーンとしていた。四、五歳ぐらいの子供と、それを見守る母親。
俺が中へ入ると、母親が一瞬だけ、こっちを見た。怪訝な目つきだった。無理もない。こんな時間帯に一人で公園に入ってくる男。少しは警戒するだろう。
俺は、ブランコのそばに行きたかったが、やめておく事にした。親子のほのぼのとした空間を壊したくなかった。
公園を出て、亀田のアパートへ向かう。どちらかというと、そっちのほうが興味あった。
小さな公園のすぐ目の前に立つ亀田の住んでいたアパート。あのDVDに出演していた人妻も、この辺にいるのだろうか?
確か、亀田の部屋は二階だ。俺は静かに階段を上がる。二階に上がって左。一番角部屋が、あいつの部屋だった。
軽く呼吸をする。主のいない部屋をノックしてみた。当たり前だが、何の返答もない。ドアノブに手をかける。当然の如く鍵が、かかっていた。
亀田は、このドアを一枚挟んだ向こうのドアノブで紐をくくって首を吊ったのだ。
今、部屋の中はどうなっているのか?
表札も何もかかっていない寂れた部屋。新聞受けのところには、チラシや封筒が、多数突っ込んである。
亀田の自殺後、まだ誰もこの部屋を借りていない証拠のように見えた。
さて、これからどうするか。思いついてきたものの、他に方法がなかった。何かしら、あると思ったのにな……。
廊下から、公園の風景を眺める。先ほどの親子が、ブランコに乗り遊んでいた。多分、あの母親は、例のDVDを見ていないのだろう。まあ、当たり前か。
こうして亀田も、よく公園の景色を見ていたのか。車通りも少なく静かなので、住むにはいい環境だ。俺のマンションとすぐ近くなのに、全然、違う場所に来たみたいだった。
この辺りの環境や空気が羨ましかった。俺もこのような場所に……。
ん……!
待てよ……。
俺が亀田の部屋にもし、引っ越したらどうなるんだ?
不可解な首吊り自殺のあった部屋……。
目の前の公園……。
ひょっとしたら俺自身、霊体験ができるかもしれない。
心が躍った。何でこんな事、今まで思いつかなかったんだろうか。確かに亀田の住んでいた部屋というのは気持ち悪いが、業者に頼めばいくらだって綺麗にしてくれる。そんな事よりも、まず、霊体験できそうな条件が揃っているのが素敵だ。
隣の住民に、不動産の連絡先を聞いてみるか。頭の中は、この自殺のあった部屋に引っ越したいという気持ちでいっぱいになっていた。
美和の言っていた忠告など、とっくに頭から離れていた。
とりあえずここを管理する不動産に連絡しないと…。亀田の隣の部屋。俺はインターホンを鳴らしてみた。表札は『香田』と書いてある。
「はーい」
しばらくしてドアが開く。俺は出てきた女を見て、初対面でないような気がした。
「はい、何でしょうか?」
どこかで会ったような気が……。
一体、どこで……。
「……」
「あの……」
うーんと、どこで会っているだっけ。最近、会ったような……。
「あっ!」
髪を束ねていたが、俺には分かった。
出てきた女は、『一般人投稿の不可解な映像』に、出演していたあのCさんだ。あの不可解な公園の投稿者。
もちろん、向こうは俺の事など知る訳がない。テレビのモニタを通して、こっちが一方的に知っているだけなのだから……。
何と切り出せばいいのだろう。まさかこんな形でCさんと出会えるとは、微塵にも感じていなかったのだ。俺はただ、Cさんの顔を見ているだけだった。
「あの、すみません…。何かご用でしょうか?」
「あ、はい…。すみません…。実はこのアパートに空き部屋があると、人づてに聞きまして…。それで実際の場所を確認に来ました。それで不動産に借りたいと、連絡をしたいと思いまして……」
適当にでっちあげた。だが、Cさんは俺の話に顔をしかめている。何かそんな変な事を言ったのだろうか。
「あ、あの…、どうかしましたか?」
「あなた、知らないんですか……」
「は?」
Cさんは、目の前にある公園を指差した。
「あの公園って、以前の事ですけど…。ブランコで首を吊り、自殺した方がいたんです」
「え?」
「まあ、こんな目の前で住んでいる私が、言うのもおかしいですけどね」
「いえいえ、そんな事はないですよ」
あの公園で本当に自殺があった……。
あのDVDの映像と、実際の公園を交互に考える。あのDVDを実は見たんですと、Cさんに切り出すべきか?
いや、それじゃ気味悪くとられるかもしれない。やめておこう。
俺は、心の底から出る好奇心を抑えるのに苦労した。
知りたい。
何があったのか、とことん知りたい……。
「それに私たちの隣の角部屋……」
そう言ってCさんは、とても嫌そうに隣を見た。
「あそこ、隣の住人が、首を吊って自殺したばかりなんです……」
Cさんはそれだけ言うと、暗く沈んだような表情になった。DVDで見た通り、本当に綺麗な女だ。ただ、妙な陰りが、美人さを台無しにしている。
確かに暗くなるのも無理はない。自分の住むアパートのすぐ近くで、二回も自殺があったのだ。金銭的に余裕があるなら、引っ越したいところであろう。
Cさんには子供がいた。映像で見て、何となく顔も覚えている。子供の教育上、どう考えたってここは非常に良くない。それでもまだ、ここにいるという事は、生活が大変なのかもしれない。さまざまな苦労が重なり、Cさんの表情に、陰りがあるように感じるのかもしれない。
「うーん、小さいお子さんがいるのに、環境が良くないですよね」
俺の台詞に、Cさんは奇抜な表情をした。
「な、何故、私に、子供がいたなんて分かるんですか?」
Cさんの声は、警戒を含んだ冷たいものになっていた。
しまった……。
頭の中で考えていた事と、話している事の隔てを忘れ、つい口走ってしまったのだ。当然、警戒するだろう。初対面で、いきなりそんな事を言われては……。
「いえ…、あ、あのですね……」
「し、失礼します」
Cさんは気味悪そうにドアをバタンと閉めた。
何度、インターホンを鳴らしても、Cさんは応対してくれなかった。完全に、俺を無視している。
こうなったら持久戦だ。俺は真実が知りたいだけである。霊体験をしたい為に……。
しばらく通路で待つ事にした。もし、彼女が出てきたら、ちゃんとあのDVDを見たって話そう。隣で自殺した亀田は、仕事の兼ね合いで知り合いだったという事も。
俺に対して抱いた誤解を解きたかった。
「香田さん、お願いします。話を聞いて下さい。香田さん」
表札に書いてある名前を見ながら、大きな声で呼びかけた。
「お願いしますよ、香田さん!」
時計を見ると、十二時を回っていた。俺はずっと同じ行為を繰り返した。必死に呼びかけにドアが開く。Cさんの顔が見えた。まだ、警戒を抱いた表情である。
「警察を呼びますよ」
冷静に言われた。冗談じゃない。そんな事になる為に、俺は来たんじゃない。
「待って下さい。落ち着いて…。話を聞いて下さい」
「……」
「『一般人投稿の不可解な映像』って、ご存知ですよね?」
用件をいきなり繰り出す事にした。
「……!」
Cさんの表情が、驚きの顔に変わる。
「この間、レンタルビデオで俺、それを借りて見たんです」
「……」
Cさんは無言だった。かまわず続けた。
「俺、実はホラー系の事、大好きなんです」
「……」
俺の目をCさんは真剣に見ていた。
「あのDVDに映っていた映像。あれって、あの公園ですよね?」
俺は公園を指差しながら言った。
「自分もすぐ近くに住んでいたので分かったんです。まさか、こうしてCさんに会えたのは思いませんでした。それは本当に偶然です」
「そう……」
「ええ」
「見たんだ……」
下をうつむいたまま、静かに口を開くCさん。
「はい、見ました。それに驚かないで下さい」
「何を?」
「隣で自殺があった部屋。その人間を自分は知っているんです」
「え?」
「落ち着いて下さい。自分は現在デザイン会社にいます。仕事を発注していたのが、偶然にも、隣に住んでいた亀田さんなんです」
「そ、そうなの?」
「ええ、だから自殺したというのも、会社で人づてに聞きました」
「……」
「俺、亀田さんの担当の一人だったんです。不思議だったんです。彼が急に自殺したなんて…。何故か、不可解に思いました」
ドアが大きく開き、Cさんが通路に出てきた。
「ねえ、少し時間とれる?」
「はい」
「ここじゃなんだから、近くでコーヒー飲みながら話をしたいわ」
「はい、いいんですか?」
「うん、何かあなたなら、色々と話できるかなと思って……」
「すみません、Cさん……」
「Cさんはやめてよ。静香って名前があるんだから……」
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