岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 108(鹿島神宮編)

2024年11月19日 20時33分18秒 | 闇シリーズ

2024/11/19 tue

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群馬の先生からの電話。

この状況で鹿島神宮なんて行けるはずが無い。

平日は一日置きの池袋で副業のSE。

帰ってきて予約あれば、そのあと整体で施術しなきゃいけない。

この岩上整体を守る為に、俺は身体を張っている。

資金面の心配だけはクリアできたのが幸いだ。

『新宿クレッシェンド』が最終選考を通過中。

本当にこれがグランプリ取れればいいが……。

自分でどうやっても変えられない物事は、考えない方がいい。

ワールドワン時代の部下である鈴木裕二が岩上整体を訪ねてきた。

宅地建物取引士、略して宅建。

当時その試験に受かった鈴木は、今や自分で不動産会社を興し、四苦八苦しながらも頑張っていると報告してくる。

「一日も休みが取れない日々ですよ、岩上さん」

俺も週三の副業までして、この整体を守っているので気持ちは分かった。

小料理屋こしじを営む岩沢さんがやって来る。

最初の時の気功についてはもう聞いて来ないが、俺の施術を気に入ってくれているのだ。

これで何度目の来店だろう。

そうだ、岩沢さんは肩凝りだが、群馬の先生が言った祝詞…、聞こえないくらいの声で呟きやってみようかな……。

「ひふ●よ●む●や、●と●ちろ●ね、し●るゆ●つ●ぬ、そ●たは●め●、う●●りへ●の●す、あ●け●れ●」

これを三回唱えるのを三式。

五回が五式。

七回で七式。

最後に右手で十字を切るように空気を裂く。

岩沢さんの身体がビクッと動く。

「先生!」

「はい……」

「今何かしましたか?」

「いえいえ、普段通りの施術ですよ」

さすがに祝詞を唱えていたなんて、患者に言えやしない。

でも気功をわざわざ中国まで行って学んだという岩沢さんだ。

何か変な気みたいなものを感じ取ったのか?

それにしても、本当に優しくて気遣いのできるいい人だよな。

今度こしじへ、ご飯を食べに行ってあげたい。

「お昼の時間帯だけなんですが、うちの娘がお店を手伝ってくれてましてね」

「へえ、親孝行な娘さんじゃないですか」

ドアが開き、チャブーが入ってきた。

「ややや、どうもどうも」

京都の山崎ちえみの件といい、どうもコイツはイマイチ信用できない。

ただ岩沢さんの前なので、同級生だと紹介はする。

「先日のお野菜、本当に新鮮で美味しいです。ありがとうございました」

「いえいえ、喜んでくれて何よりです。近い内こしじへお邪魔させて下さい」

「あら、先生いらしてくれるなら、とても嬉しいですわ」

「この同級生と一緒に顔出しますね」

「ややや、何よ、何よ?」

「こちらの岩沢さんが小料理屋やってて、娘さんも手伝ってくれているんだって」

「ほう、娘さんねー。はいはい」

ん、コイツ連れて行くの、何か危険か……。

嫌な予感がした。

岩沢さんが帰ると、こしじへいつ行くのかしつこく聞いてくる。

「おまえ、いいか? あの人はお世話にもなっている大切な患者さんなんだ。変な事しようとしたら、許さないからな」

「はいはい、分かってますって」

「ちえみとは、あれからどうなったの?」

「あんな大きな子供いる人なんて、相手できませんよ。まあそう言っても、また京都には行くだろうけど、うしし」

「はあ? 何、あいつ子供いたの?」

「大きいよ。確か十七とか言ってたかな」

不良債権を引き取ってくれて、ありがとうございます。

心からチャブーに感謝した。

 

池袋の副業で一日整体を休み、チャブーとこしじへ向かう。

食事休憩の札は出してきたが、何かコイツといると、いつもその札を出している気がするな……。

「あら、先生、いらっしゃいませ」

岩沢さんと娘さんが、笑顔で出迎えてくれる。

年齢はそう俺たちと変わらないが、娘さんは相当な清潔感溢れる美人だった。

「これ、先生のところから頂いたお野菜で作った玉ねぎドレッシングですよ」

落ち着く空間。

しっかりした定食。

気の利いた接客。

上福岡市でなく、川越の近くにあればいいのにと思う。

帰りの車の中で、「中々あの娘さんいいですな」とチャブーが遠くを見ながら言うので、再三厳重に注意をしとく。

「本当に絶対変な真似するなよな!」

チャブーを帰し、俺は整体業務へ戻る。

一日置きに開けていたほうが、患者が貴重性を感じて来てくれるような気がするな……。

モスバーガーで働いている伊藤弥生という美人人妻が来店。

俺がモスバーガー好きと答えると、サービス券をもらった。

美人美容師の小輪瀬絵里が施術に来る。

次は森昇のお袋さん。

きょうちんと、女性患者が妙に続く。

ドアが開き、見知らぬ中年女性が入ってきた。

「初診になりますか?」

声を掛けると「岩上君大きくなったわね」と返される。

「は? えーと……」

「知典の母です」

「あー、お久しぶりです。自分らが中学時代以来なんで、全然気付きませんでした」

約二十年も経つのだ。

「あのー…、岩上君にちょっと聞きたい事あってね……」

「何でしょう?」

「山崎ちえみさんて方、ご存知かしら?」

チャブーの奴、自分の母親までちえみの事言っているのか……。

ダメージ無いように答えておくか。

「一応知っています。私の小説のファンでコメント等もらっているくらいですが…。彼女がどうかしたんですか?」

「いえ…、うちの知典が私にいきなり結婚するかもしれないとか、彼女は片目が過去親の虐待で見えないとか、色々急に言ってきたので、ちょっと心配で心配で……」

「……。あ、俺からも彼に聞いておきますよ」

「俺の人生には彼女が必要かもしれない。詳しくは岩上君に聞いてくれなんて言って、仕事へ行ってしまったので」

「……」

あのクソ野郎、また人を訳分からない事に巻き込みやがって……。

何度もお辞儀しながら、チャブーのお袋さんは出て行く。

結婚する?

虐待で片目が見えない?

何だ、その新情報は……。

本当にお騒がせな同級生だ。

今度来た時、色々聞き出さないと。

面倒な女がいなくなったと思ったら、別の恐ろしい何かが迫ってくるような気がした。

 

池袋SEの副業。

BBアフィリエイトの後始末が終わり、俺はデータを管理するエクセルの打ち込みがメインの仕事になる。

「あ、岩上さん、今日広告代理業との打ち合わせあるんですが、一緒に出席してもらえますか?」

大友が作業中話し掛けてきた。

「えーと…、自分何も分かりませんが大丈夫なんですか?」

「打ち合わせと言っても、名簿をいくらで買うかってだけなんですよ。簡単ですから」

「名簿?」

「まあ出れば分かりますから」

意味不明なまま会議室へ向かう。

「どうも、春先企画の権藤です」

「はじめまして、岩上です」

陽気でラフな格好の権藤。

名簿を印刷した分厚い紙の束をテーブルの上に置く。

「こちらの名簿が一人辺りの単価百です。それが二万人分ありますので、二百万になりますね」

名簿の売り買い?

確かSFCGでも似たような名簿があって、それを元によく電話掛けさせられたっけ。

ん……。

ひょっとして業務でこれをすべてエクセルへ手打ちするのか?

権藤は単価を言いながら、次々と名簿を出してくる。

「では、今月は広告料二千五百万になりますね」

名簿代で二千五百万?

会議が終わると大友に聞いてみる。

「え、岩上さん、ここの母体知らなかったんですね?」

詳しくは教えてもらう。

ここの母体とは出会い系サイトの詐欺会社。

チャンプの中島たちがいる部署は、出会い系サイトのサクラをやっているらしい。

あの馬鹿、何がパソコン関連の仕事だよ……。

名簿単価の値段が違うのは、過去詐欺に引っ掛かった人間ほどまた騙される確率が高いので、高額取引される。

岩上整体の運営資金を稼ぐつもりでここで働いていたが、きな臭い何かというより、思い切り詐欺じゃねえか……。

五十人単位の割り振りで、大きな部屋でひたすらサクラを演じるナカジーたち。

俺の仕事がSEなんて、眉唾ものだ。

ヤバいなあ…、何とかして抜け出せないと。

広告代と称して月に二千五百万も掛けて、名簿を買う会社なんて駄目だろ。

俺自体が詐欺の連絡をする訳では無い。

しかし詐欺の片棒を担いでいる事に代わりは無いのだ。

まずここを後腐れ無く辞める。

そして岩上整体維持の為にとっとと別の仕事を探す。

俺はそう動くしか無さそうだ。 

 

この日池袋から戻ると、整体へ向かい先の事を考えてみた。

資金稼ぎとはいえ、人を騙す事なんて無理だ。

チャブーはチャブーで、面倒臭そうな事に巻き込もうとしているし。

せっかく表社会で堂々と歩き出しているのに、いつも身の回りで変な事が起きる。

何かドッと疲れた……。

ドアが開く。

チャブーの野郎か?

俺はいきり立つ。

「おう、岩上」

「何だ、ゴリかよ……」

「何だは無いだろ。俺だってここの患者だろ」

「腰を診てもらいに来たのか?」

「いや、今日は例の飲み屋の子を見極めてもらおうかなとね」

どいつもこいつも……。

本当に岩崎性はロクな奴がいない。

時計を見ると夜の九時。

せっかく来たのだから十時頃までは、患者を待ちたい。

「悪いけどまだ開業中だ」

「えー!」

「えーじゃねえよ。だいたい何で俺が自分の店を早く閉めてまで、おまえの為に飲み屋へ付き合わなきゃいけないんだよ」

「あとどのくらいで閉めるの?」

「あと一時間」

「そこをもう一声、いっちゃん!」

「何がもう一声だよ……」

俺はゴリを無視して、患者のカルテをパソコンでまとめる。

時刻は九時半。

「まだー?」

「まだだよ。あと三十分」

「どうせ、患者なんて来ねえよ」

「何だとこのクソ野郎が!」

「ほれ、看板しまうの手伝うからさ」

本当にコイツは害虫みたいなものだ。

うるさいから今日は整体閉めるか……。

「ナイスだよ、いっちゃん!」

「うるせぇーっ!」

こうして俺とゴリは岩上整体から徒歩ニ分程度の場所にあるパブスナック『エルミタージュ』へ向かった。

第二桜進ビル三階。

「滅茶苦茶うちの整体から近所じゃねえかよ」

「だからそういうのも含めていっちゃん誘ったんだよ」

「……」

「まあ俺のお気に入りを見極めてくれよ」

俺たちは『エルミタージュ』のドアを開け、中へ入った。

 

薄暗い店内。

L字型のカウンターは六席。

テーブル席は三つ。

スナックにしてはまあまあ広めだ。

「いらっしゃーい、岩崎さん」

中々顔立ちの整った女が駆け寄ってくる。

ひょっとしてこの女か?

俺たちはテーブル席へ案内される。

そのまま女も席へ腰掛けた。

「あ、岩上。この子、結菜ね」

やっぱりこの女か……。

どう見ても二十代前半。

無理に決まってんじゃねえか。

何が女を見極めてくれだよ……。

はなっから無理だよ。

「俺は生ビール、岩上はウイスキーね」

「えーとウイスキーの飲み方は?」

「ストレートで」

そこそこ混み合っている店内。

空いているのはテーブル席一つに、カウンター二席のみ。

結菜が生ビールと国産のウイスキーを持ってくる。

「はい、岩崎さん」

生ビールがゴリの前に置かれる。

ロックグラスにいきなり氷を入れようとしたので「おい、ストレート」と声を掛けた。

「え? ストレートですよね?」

「氷入れるのはロック。ストレートはそのまま。まあショットグラスは無いんでしょ?」

俺の説明が彼女にはまったく分からないようだ。

「いいかい? 一応こういう商売で働くなら覚えておきな。ショットグラスはストレートを入れる為の小さなグラス。君が出してきたのは、氷を入れて飲むロックグラスね」

「おいおい、いきなり手厳しい事を言ってんじゃねえよ、いっちゃん」

ゴリが鼻からタバコの煙を出しながら口を挟んでくる。

「何がいっちゃんだよ、馬鹿。まあいいや、ストレートでそのままそのグラスへ注いで」

ロックグラスへ並々注ぐ結菜。

面倒なので黙って受け取る。

「お酒強いんですねー」

「そうでもないよ」

「ほら、結菜も何か持ってきな」

結菜がドリンクを取りに行く。

「どうよ?」

ゴリが笑みを浮かべながら聞いてきた。

「どうよって何が?」

「見極めてくれって言ったじゃん」

「駄目だな」

「何でだよ!」

「おまえが見極めろって言ったんじゃねえか」

「店で出てからでいいよ」

イエスじゃないからか。

本当に筋金入りの馬鹿だ。

烏龍茶を持った結菜が戻ってくる。

「何だか今日の岩崎さん楽しそう」

「そ、そうか?」

何を気取ってんだ、馬鹿が。

鼻から煙出すのをまず止めとけ。

「えーとお友達の方は……」

「ああ、俺の悪友の岩上」

「テメー、何が悪友だ」

「冗談だよ、冗談。いっちゃんはこの店の先にある駅の交差点あるだろ? そこで整体やってんだよ」

「えっ! あの角のところにある整体ですか? そこの先生なんだ、すごーい!」

「別に凄くは無いんだよ。コイツはただのいっちゃんなんだから」

ゴリは面白く無さそうに呟く。

「え、いっちゃんって言うと、一郎さんだからいっちゃん?」

「違う違う、智がついたいっちゃん。苗字は岩上。岩上の智いっちゃん」

本人は面白いと思って得意顔で話しているが、とりあえず鼻から煙を出すのはよせ。

「あ、岩崎さん、ちょっと他の席呼ばれちゃったから行ってくるね」

「おいおい、ちょっとそりゃあないんじゃないの」

結菜はカウンター席右端の客につく。

「岩上、どうよ」

「まるで駄目だな」

「何でだよ!」

「終わりまで見極めるの待つんじゃなかったのか?」

「ん、ああ……」

俺の席からだけ、結菜の姿が見えた。

相手は四十代後半のモジャモジャパーマの冴えない男。

タバコを吸いながら眺めていると、ブツブツ顔の客の左手に結菜の右手が伸びる。

「今度日曜日な?」

客の問いかけに頷く結菜。

駄目だ、こりゃ。

若いのに結構したたかだ。

ゴリから見えていないのが、せめてもの救いか……。

十五分ほど経ち、ようやく結菜が戻ってくる。

「お待たせ、岩崎さん!」

「ん、ああ……」

不貞腐れ気味のゴリ。

「どうしたの、岩崎さん?」

「俺らの席には七分…、他所の席には十五分……」

俺は慌てて脇腹をどつく。

「何だよ、岩上。いてぇじゃねえかよ」

気付け、馬鹿。

細かい事を抜かして嫌われるのを止めてやったのに。

「フォローしてやるよ」

ゴリにだけ聞こえるよう耳打ちする。

「結菜ちゃんはダイエットとか興味ある?」

結菜の目が輝く。

「もちろんある。あるよー!」

俺は高周波を使ったトレーニングモードでのダイエット方法を簡単に説明する。

「でも、ああいうの結構高いんでしょ?」

「いや…、ゴリと一緒に来るなら無料にしてやる」

「えー、じゃあ今日ここの仕事終わったら整体行きたい!」

「おいおい、まだ十時じゃねえかよ。俺、今日仕事明けだし、明日も朝から仕事だぜ?」

「えー、じゃあ私一人で整体行くもん」

「おいおい、そりゃ無いだろ!」

「結菜ちゃん一人で来たら、俺は正規の料金請求するからね」

「えー!」

「さすが智いっちゃん! 憎いよ」

こんな調子でゴリは飲み過ぎ、閉店間際には潰れた。

 

二人分の会計を済まし、ゴリに肩を貸しながら整体へ戻る。

結菜は嬉しそうに後ろからついてきた。

コイツ、中途半端に潰れやがって。

岩上整体の診察ベッドへ寝かせると、俺はカルテの続きをやり始めた。

「岩上さん、何をしているの?」

「ゴリ潰れたから、もう君は帰りな」

「えー嫌だ! 私、座りたい」

勝手に椅子を持ち出し、俺のそばへ座りだす。

「ここで岩上さんの仕事見てる」

「今日までのカルテをまとめているだけだ」

まともに相手をすると疲れるな……。

俺は真面目に患者のデータを打ち込みだした。

ゴリは鼾を掻いて爆睡している。

「岩上さん……」

「ん、何?」

左を振り向くと、いきなり結菜がキスをしてきた。

「おい!」

「へへ」

確かに結菜は美人だ。

でもゴリが好きな女をどうこうしようなんて気は、さらさら無い。

男を誘惑するのはお手の物ぐらいに、自惚れているのだろう。

少なくともゴリの手におえる女ではない。

「ダイエットのやりたい」

「分かったよ」

とりあえずベッドへ寝かせたまま、高周波つけていたほうが良さそうだ。

服をめくり、彼女の腹へ高周波を当てる。

「うわ、何これ?」

「勝手に腹の筋肉が動いてトレーニングになるから、そのまま寝てて」

俺はゴリを起こしに行く。

「いい加減起きろ、この馬鹿」

おでこを何回かデコピンしていると、ゴリはようやく目を覚ます。

「ん…、んああ…、あれ? いっちゃん」

「いっちゃんじゃねえよ! 早く起きてあの女連れて帰れ」

ゴリが見極めてくれと言った女。

とんでもない奴だ。

今は酔って寝起きだから仕方ないが、次会った時にはキチンと説明しといたほうがいいだろう。

金と時間を使うだけ無駄だと。

まったく岩崎性はチャブーといい、ゴリといい疫病神に近い。

 

昨日遅くまで飲んだから、整体を開けるのが怠い。

せっかく副業で経費の確保できたと思ったんだけどな……。

出会い系サイトのサクラの会社が親会社。

あんな詐欺の手先のような真似なんて、できるわけがない。

でも、あそこを辞めるのはいいとして、今後どうする?

似たような条件で見つかるのか?

週三回で、月に二十万は欲しい。

悩む事で頭が一杯だ……。

俺は岩上整体テーマ曲と勝手に名付けた曲を掛ける。

『新宿の部屋』の時、この曲を流したら、ブログ仲間の牧師兄さんがゲームだかアニメの曲とか言っていたけど、どうでも良かった。

患者の施術をしている時、決まってこの曲を掛ける。

「あら、先生。凄いいい曲ですね。癒されます」

ほとんどの患者がそう言ってくれた。

今日も患者、来ないなあ……。

携帯電話が鳴った。

「え?」

群馬の先生からの電話。

「もしもし……」

「何故あなたはまだ行っていないのですか!」

「え……」

鹿島神宮の事を言っているのか?

無理だと現状は伝えたはずだ。

行ったと適当に答えるか……。

いや、この先生は絶対に分かっているから、電話をわざわざしてきているのだ。

「でも、先生…。本当に今整体の運営がピンチで……」

「とにかく行って下さい!」

荒い口調の群馬の先生。

こんなの初めてだ。

「先生! 俺が鹿島神宮に行って何になるんですか!」

岩上整体の今後を考えると、鹿島神宮どころじゃない。

俺も大声で言い返す。

「だから私は伝えているだけです。いいから行って下さい。お願いしますね」

それだけ言うと、先生は電話を切った。

何故俺が行っていないの分かったんだ?

俺と群馬の先生の繋がりを知っているのなんて、別れた百合子くらい。

百合子とも、去年のクリスマスイブ以来一度も連絡など取っていない。

「何で分かんだよっ!」

思わず、携帯電話に向かって怒鳴りつける。

鹿島神宮ってどこだよ?

知らねえよ!

夏なのに、背筋が寒くなっていた。

ドアが開く。

「ややや、どうもどうも」

チャブーが入口に立っていた。

 

「おい、チャブーのお袋さんが俺のところ来たぞ! どういうつもりだよ! ちえみと結婚する? あまえのやっている事はまったく理解できない。別にチャブーがあいつとくっつこうが結婚しようが、何だっていいよ。ただ何で俺を巻き込むんだよ!」

俺はチャブーを中に入れ、大声で捲し立てた。

「ままま、岩上落ち着けって」

「うるせえっ! ちゃんと分かるよう俺に説明しろ」

昨夜のゴリの件といい、チャブーの一連の騒動。

それに岩上整体の窮地に加え、副業で生計を立てるつもりが出会い系詐欺会社関連。

鬱積した怒りをすべてチャブーへぶつけていた。

「いや~、俺さ…、実は最近回春エステの女に惚れちゃったみたいでさ」

「はあ? 何だ、そりゃ? ちえみとは別れたの?」

「ほら、一度岩上が池袋の連れてってくれたじゃない」

「……」

何なんだ、コイツ……。

「今よく指名している回春エステ嬢がいてさ……」

「ちえみと別れたの?」

「別れていないけど、エステの女が俺と付き合ってくれるなら別れるよ」

あまりにもふざけたチャブーの思考回路に、俺はいつの間にか怒りなどどこかへ行っていた。

まあコイツの事はどうでもいいか……。

そんな事より先程の群馬の先生の言葉が、ずっと気になっている。

「なあ、チャブー…、鹿島神宮って知ってる?」

「おお、茨城のね」

「え、知ってんの?」

「まあ有名な神社だしね」

群馬の先生があれだけ言うし、もう行くしかないよな……。

「あのさ、今から鹿島神宮一緒に行ってくれない? もちろん車は俺が出すし、道案内してくれればいいからさ」

「まあ岩上には世話になっているからいいですよ」

俺は簡単に群馬の先生の事、そして意味不明だけど鹿島神宮へ行けと神様から伝えられた事を簡潔に説明する。

「ふむふむ…。俺はさ、岩上と久しぶりに会った時、何か凄い奴になったなあって言ったでしょ?」

「ああ、池袋へ急に行った時ね」

「俺は霊とか神とかそういうの、よく分からんけどね。岩上は鹿島神宮へ行ったほうがいいとは思うよ」

「うーん……」

こんな感じで俺とチャブーは、鹿島神宮へ向かう事になった。

 

鹿島神宮。

茨城県鹿嶋市にある神社のようだ。

首都高へ乗り、チャブーの言う通りの進路で向かう。

「おまえさ、あんまりお袋さんを不安にさせるような事するなよ」

「にゃはは、うちのお袋は少し心配性なんだよ」

「いやいや、いきなりちえみと結婚するかもしれない。俺の人生には彼女が必要かもしれない。詳しくは岩上に聞いてくれなんて言われたら、誰だって自分の息子が頭おかしくなったのかって思うぞ?」

「まあ岩上ならうまく答えてくれると思ったんだわさ」

「何がだわさだ。人をそんな事に巻き込むな」

クソみたいな会話をしつつ、車は茨城県へと進む。

海なのか湖なのかよく分からないが、車の左手に見える一面の水は不思議と心に平穏をもたらしてくれる。

「何かこういう景色いいねえ」

「この辺、潮来市だよ」

「チャブーって本当変なことろ妙に詳しいよな」

 

1 膝蹴り - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

膝蹴り膝蹴り-岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)膝蹴り2007年7月13日~2007年12月11日原稿用紙178枚

 

群馬の先生から行けと二回も電話掛かって来なかったら、俺には生涯縁の無い場所だろう。

まずは大鳥居。

先の楼門を潜り中に行こうとするが、左右に変な像がある。

阿吽像じゃないみたい。

おかしい……。

群馬の先生が行けなんて言うから来たけど、俺の身体に特別な何かが宿った気など微塵もしない。

俺たちはどんどん先へ進む。

神秘的なところではあるな。

さざれ石という国歌の君が代にちなんだような説明が書いてある。

あまり気にせず先へ進む。

左手に神鹿と書かれた看板がある。

何だ、柵の向こうに鹿なんていないじゃないかよ。

先へ進もうとすると、奥の建物から鹿が姿を現した。

結構立派な角を持った鹿もいる。

柵の外からジッと見ていると、神鹿たちはこちらへ寄って来た。

可愛いなあ、必死に指を伸ばして鹿の身体へ触れる。

「よし、先へ行こう」

真っ直ぐ進み、二股の道を右手へ向かうと要石があるらしい。

結構な距離あるな……。

要石に到着。

地面に石が埋まっているだけ。

「おい、岩上。せっかくだから願掛けとけば?」

「何の?」

「小説で賞取りたいんじゃないの?」

すっかり小説の事を忘れていた。

神様、要石様、俺の処女作『新宿クレッシェンド』をグランプリ取らせて下さいね。

そういえば群馬の先生、雷神に言われたなんて言っていたけど、どこに雷神があるんだ?

来た道を戻り、もう一つの道へ向かう。

御手洗池はあるのか。

売店の先に鳥居のついたそこそこの四角い池がある。

これが御手洗池か。

水面を泳ぐ鯉を眺めていると、一匹だけ金色の鯉を見つけた。

何か縁起いいな、ご利益アップ?

あとは何も無さそうなので入口まで戻る。

「うーん、とりあえず動画撮っておくか……」

結局何の変化も感じないぞ……。

「あっ! なるほどね……」

「何だよ、チャブー?」

「いや、とりあえずここから出よう」

ここで話したくない事か?

まあ、いいや。

俺たちは車へ入る。

帰り道運転中、チャブーへ聞いてみた。

「さっき帰り掛けに思わせぶりな事言ってたけど、何よ?」

「いや、楼門だっけ? あの赤い門。あそこのところに雷のマークあったんだよ」

雷のマーク…、雷神って事か?

それにしても何故群馬の先生は、俺に二度も電話を掛けてこんな遠い鹿島神宮まで行かせたのだろうか?

実際に行ってきた今でも俺には意味が分からない。

塞ぎ込む機会多かった俺に対し、気分転換で?

結局雷神なんてどこにも無かったし、これで川越へ戻って良かったんだよな?

特にこれという収穫も無く、俺は岩上整体へ戻った。

 

「あー、結局一日鹿島神宮で潰れちゃったよー」

「まあまあ、いいじゃないのよ」

今日はもう整体はいいや。

明日から頑張ろう。

「チャブー飲みに行かねえか?」

「どこへ?」

「いつものぼだい樹」

「いいねー」

俺たちはぼだい樹へ向かうが、途中にあるゲームセンターの前を通り掛かった時、UFOキャッチャーがあったので足を止める。

「ん、どうしたよ?」

「はい、写真家さん」

「何よ、何よ?」

「俺こう見えてUFOキャッチャー上手いんだよ。動画撮って」

「あいあい」

五百円で三回できる。

別にドラえもんのぬいぐるみなど、欲しくもないが、整体に置いておけば誰かしら欲しがるだろう。

一回目、失敗。

ちょっと舐め過ぎたな。

二回目、本気出そう。

無事ゲット。

三回目、次も本気出そう。

見事ゲット。

俺はカメラへ向かって「岩上整体来たら、このぬいぐるみあげます」とコメントして撮影を終えた。

「何々、ドラえもんなんて持ってきて、どうしたの?」

ぼだい樹へ到着すると、奈美が笑いながら出迎えてくれる。

「欲しかったらやるぜ」

「いらないわよ、そんなの」

「腹減ってる。奈美ちゃん、俺グレンリベットと焼きおにぎり、あとは焼鳥適当に持って来て」

「あーい」

「あ、ちょっと待って」

「何よ?」

俺は奈美の太腿へ手を伸ばし、「奈美ちゃんのそりちょうだい」と言うと、平手打ちで応酬された。

チャブーはそれを見てゲラゲラ笑っている。

俺とチャブーは焼きおにぎりを食べ、焼鳥をたくさん食べて腹を一杯にしてから、家に帰った。

 


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