様子を伺うようにゆっくりと街の中を歩く。 旦那はまだその辺にいるはずだ。
辺りを見回すと、ちょうど旦那が先の道を右に曲がるところだった。僕はダッシュで近づく。
風俗エリアを抜け、旦那のあとをつける。
あんな店に行っておきながら、何事もなく仕事帰りのように堂々と歩いていた。スーパーに差し掛かる。この辺で声を掛ければ自然だろう。
「こ、こんばんわ」
「あ、どうも。どうしたんです、こんな時間に」
「さ、さっきまで駅前の喫茶店で、仕事の打ち合わせがありまして……」
「それはお疲れ様です」
「香田さん、いつもより帰りが早いんじゃないですか?」
「たまには家族サービスもしないと罰が当たってしまいますので、今日ぐらいは残業なしで帰ろうと頑張ってみました」
そう言って旦那は爽やかな笑顔を見せた。
酷い嘘つき野郎……。
さっきまで風俗で遊んでおいて、何が家族サービスだ。見掛けは確かにいい男かもしれない。でも、中身はただのクソ野郎だ。
この男に静香はもったいなさ過ぎる……。
「それはいい事ですね。じゃあ、僕はスーパーに寄っていきますので、この辺で……」
まだ公園に静香がいる可能性があるので、僕は用もないのにスーパーへ入った。旦那がこのあと家に帰り、いつものように口論になれば……。
深夜、一人で公園にたたずむ静香を連想した。
僕はさりげなく買い物に出掛けるふりをして、公園の前を横切る。
赤いベンチで寂しそうに泣く静香。
僕は彼女へ近づき、優しく肩を叩く。
「こんな夜中にどうしたんですか?」
泣きながら静香は僕に相談をしてくる。
旦那とうまくいっていない事。
僕は不満を全部吐き出させ、優しく微笑む。
そしてタイミングをみて、旦那が今日風俗店から出てきたのを見たと、さりげなく報告。
うまくいけば、静香は自我が崩壊寸前だろう。
その時、僕は強引に唇を奪い、強めに抱き締める。
性欲に飢えていた静香はそのまま……。
想像だけで言いようのない興奮が僕の脳を刺激した。
僕の夢だった……。
出会って以来、ずっと性欲の対象だった静香を、ついにこの手で好きなようにできる時がやってきたのだ。
「ちょっとあんた。買わないならどいてよ」
冷凍食品コーナーの前でボーっとしていた僕は、買い物客の声で現実に戻された。買い物かごを手に持った中年の主婦が、僕を偉そうに睨みつけている。
「す、すいません……」
僕がせっかく謝っているのに、その主婦は目でジロリと一別しただけで、無視を決め込んだ。
高慢ちきなババアめ。僕は中年主婦の背後に回った。
ババアは冷凍食料品を丹念に眺めている。
右手に持った買い物かごの中には、大根、玉ねぎといった野菜類が入っていたので、そこへ僕は、唾液をダラリと垂らしてやった。
その唾でも体内に入れて、根性を叩き直しやがれ……。
部屋に帰り、パソコンの電源を入れる。
『静香』フォルダを開き、今まで撮った静香の画像を順に眺めた。出会った頃は、天使のような笑顔を持った彼女。しかし、今ではその笑顔に陰りが見える。
同じ生活を毎日のように繰り返し、自分一人の時間が何もとれない静香。
子供を育て、旦那の帰りを従順に待っているだけの毎日。
女だって性欲はあるのに、越してきて一度も相手をしない主人。
しかも、浮気疑惑まで感じている。その部分は、僕が真実を伝えるべきだ。
結局、僕の作ったDVDは何の効果もなかったが、それに頼らなくてもいい状況になってきた。あとは隣の香田家の夫婦喧嘩が始まるのを待てばいい。
今日は時間が経つのを妙に遅く感じる。しかし、少しも苦痛に感じなかった。
生を受けてから四十年。
ようやく僕にも最大の転機が訪れているのだから……。
静香の純白のパンティ。
すっかり僕の手垢と唾液で、どす黒く変色している。もう匂いも相当キツくなっていた。今度、隣で下着を干している時に一枚盗ってやろう。
少し天然の入った静香の事だ。また風で飛ばされたぐらいにしか思うまい……。
しばらく静香の画像や映像を眺めていた。時計を見ると十時を過ぎている。
あと一、二時間もすれば隣は寝に入るだろう。その時にいつもの口論が始まれば……。
今日、僕は珍しくマスターベーションをしていない。激しく膨れ上がる股間。それでも僕は我慢しなくてはならない。うまくいけば、今日これから静香を抱けるのだ。
窓を開けて空気の入れ替えをした。
目の前に見える公園。
静香との仲は、ここから始まったように思える。
もちろん始まりはスーパーでだが、親睦を深めたのはこの公園だ。
今日の夕方のシーンを振り返る。
僕に失礼な事を言った子供の頭を叩いた静香。あれは僕に好意を持っているからこその行動に違いない。謝れば済む問題が、わざわざ叩いたという事実。
きっと僕の事を思うあまり、感情的になったのだろう。
タバコに火をつけて、久しぶりにベランダへ出てみた。ムシムシする気温。ジワリと汗が滲み出てくる。手すりに手を掛けると、ザラザラした感触を感じた。このベランダも今度機会があったら、少しは整理しないと駄目だな。
横目で隣をさりげなく見てみる。香田家はカーテンを閉めていたので、中の様子が分からなかった。
意味もなく隣のベランダを眺めていると、隅に白いものが見えた。暗い中を凝視すると、どうやら女物の下着みたいだ。
絶対に静香の下着だろう……。
それ以外ありえない……。
柵を乗り越えて拾いに行きたいが、今はさすがにできない。しかし明日になれば、静香は気付いてしまうだろう。
危険を侵して下着を拾いに行くか? それとも隣に誰もいない時を待ってからにするか?
前者は、見つかったら警察に捕まる可能性がある。
後者も、捕まる可能性はあるが、まだばれる確立は低い。
だが、下着がなくなる事も考慮しないといけない。
まさに究極の二択だ……。
下着は欲しいが捕まりたくはない。当然の心理である。
見つかった時を想像する。警察に通報され、取調べを受ける僕。
当然、部屋も家宅捜査が入るかもしれない。
そしてパソコンの中身まで……。
『静香』フォルダに入った隠し撮りの画像や映像。おまけに首吊り死体の画像まで入っている。週刊誌のB級記事として、面白おかしく報道されるかもしれない。
しばらく考えてから、断腸の思いで後者を選ぶ事にした。今、下手な行動をしたら、すべてが台無しになる。それだけは避けたかった。
部屋に戻ろうとする。だが、後ろ髪を引かれる思いだ。振り返り、落ちている下着を見つめる。
駄目だ、いけない……。
見ていると柵を乗り越えて、拾いに行きたい衝動に駆られてしまう。隣には今、静香を始め、旦那や子供までいるのだ。
今は隣でいつもの言い争いが始まり、静香が飛び出すのを大人しく待つんだ。パンティじゃなく、本物が手に入るんだぞ?
僕は必死に、自分へ何度も言い聞かせた。
何時間ぐらいこの体勢でいるのだろう。
体を壁に張り付け、耳を澄ましている。隣で起きる物音一つ聞き逃さないようにしていた。同じ体勢をしているので、体が苦しい。それでも我慢するしかないのだ。
横目で時計を見る。夜の十二時を回っていた。
いつも子供が寝静まってから始まる言い争い。
もうそろそろ始まる頃合いだ。
テレビからの騒がしい雑音が消え、隣はこれから寝る体制に入ろうとしている。
もうそろそろだ……。
あと少しの辛抱だ……。
僕は、壁にピッタリつけたまま耳を澄ませた。
ようやく薄い壁から静香の声が聞こえてくる。
「ねえ、あなた。今日みたいに、いつも早めに帰ってこれたら嬉しいな」
「無理言うなよ」
「だって……」
「これでもおまえや隆志には、いつもすまないと思っているんだよ」
「じゃあ、たまには抱いてよ。もう隆志はすっかり熟睡しているから、ちょっとやそっとじゃ起きないわ」
無理に決まってるだろ……。
あんたの旦那はさっきまで風俗で遊んできたんだから……。
僕は心の中でそっと囁いた。
しめしめ、予想した通りの展開になってきた。近くに鏡がないが、今、自分の顔を見たら今までにない満面の笑顔をしているのだろう。
「今日は無理だよ」
「何でよ。今日は早く帰ってきてるじゃないの」
「仕事の疲れがいまいちとれないんだよ」
「いつもそればっかり……」
「もうちょっとで今の仕事が片付くからさ。だから今日は寝させてくれよ」
「こっちにきてから同じ台詞ばっかり…。そんなの聞き飽きたわ」
「うるさいなあ…。仕事仕事で頑張っている俺を何だと思っているんだよ。おまえは家で隆志と遊んでいればいいだけじゃないか」
「ひ、酷い…。そんな言い方ってある……」
「社会の苦労なんて何も分からないくせによ」
「あなただって主婦の苦労を何も理解してくれてないわ」
「お互いに理解し合わないだから、バランスいいんじゃないか」
「何よ、そのバランスって…。結婚した頃はそんなんじゃなかった」
「当たり前だろ。結婚して何年になると思うんだ」
「五年よ」
「付き合い始めのカップルじゃないんだぞ。それを今じゃなんだよ。盛りのついたメスみたいによ」
「私が、盛りのついたメス……」
「今のおまえ見たら、誰が見てもそう思うんじゃないか」
「あなたは、そんな目で…、わ、私を、み、見ていたの……?」
「うるさいって。いつもみたいに前の公園で頭、冷やしてこいよ」
「あなた……」
「だからうるさいって!」
そこで会話は中断され、物音が聞こえてきた。静香がぶち切れたのだろう。外に飛び出す為に、今、着替えているはずだ。やがて隣のドアの開く音が聞こえ、外の廊下を駆け足で通る足音が鳴り響いた。
すぐに静香のあとを追いかけたい。でも、僕がすぐ外に出掛けるのはさすがに不自然だ。窓を少しだけ開けて、外の様子を眺めた。
予想通りの展開に、僕の股間ははちきれんばかりである。
窓の隙間から白いTシャツを着たラフな格好の女性の姿が映る。その女性は公園に入っていき、赤いベンチに座った。
その女性とはもちろん静香だ。
彼女は座った状態で下をうつむき泣いていた。僕は、はやる気持ちを懸命に抑え、ひたすら様子を伺う。ここ最近の静香は、一時間ぐらいこうしている。
静香が公園に来て、十分ほどの時間が経過した。
そろそろ僕の出番だ……。
いざその時になると、緊張が全身を貫く。心臓の鼓動が激しくなっているのが分かる。落ち着け……。
自分で一生懸命言い聞かせる。興奮と緊張が同時に僕を襲う。色々な考えが、頭の中を駆け巡り混乱してきそうだった。
「ずっと…、この時を待っていたんだろ……」
わざと声に出して言ってみた。
言いようのない緊張。
胸の辺りが苦しい。
ありったけの勇気を振り絞れ。
今、行かないでどうするんだ?
この機会を逃したら、もう終わりだぞ?
心臓の鼓動が、どんどん早くなっている。
駆けつけたい気持ちはあるのに体が動かない。脳の命令に体が拒絶反応を起こしている。時間は、無情にも刻々と過ぎていく。
こんな迷っている内に、静香は落ち着いて帰ってしまうかもしれない。
旦那の浮気をさりげなく報告するんだろ?
シュミレーション通りだと、静香は間違いなく絶望の淵に立たされる事になる。その時、僕が優しくしないでどうするんだ。
出会って以来、ずっと心の内に秘めたこの淡い想い……。
現実になる時がすぐそこまできている。
緊張と性欲……。
答えは一つしかない。
僕は己の全身を奮い立たせた。
拾った静香のパンティを手に取る。生ゴミが腐ったような臭いが鼻をつく。
そんなものは構わずに、黒ずんだパンティを口に含んだ。
口の中に何とも言えない異臭が一気に広がる。そのままゴミ箱へ吐き捨てた。
「今までありがとう…。ずいぶんとお世話になったよ。でも…、僕にはもう必要ないんだ」
ゴミ箱に捨てたパンティに、頭を下げると感謝の意を述べた。心の奥底からありがとうと言った。
しょせん静香のパンティであって、静香本人ではないのだ。これから僕は、本物を抱きに行く。
ゆっくりと玄関に向かう。一歩進む度に足取りが重くなっていく。それでも僕はくじける訳にはいかない。靴を履き、ゆっくりと深く深呼吸をしてからドアを開けた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます