最初は、ぼくが異動になったために、必然的に主任が替わった。
次はその売場の主任が転勤になった。
それから1年して、後釜の主任が会社を辞めた。
その後は、ぼくがその売場の責任者となったため、直属の上司というのは店長になった。
その店長というのも、しょっちゅう入れ替わる。
短くて1年未満、長くても2年で転勤になるのだ。
昔から要領が悪く、上司なる人との付き合いをうまくできないぼくにとって、これは苦痛だった。
ようやくその人に慣れ、何とか折り合いがよくなった頃に他の人と入れ替わるのだから。
そこからまた、新しい人と人間関係を作らなくてはならない。
そんな店長の中には、ついに折り合いが悪いままに終わった人もいる。
ぼくに言わせてもらえば、彼らはろくな人間ではなかった。
いい加減な仕事しかせず、何か起これば、すぐに部下のせいにして逃げる。
しかも、そういう人が店長をやっている時に限って、大問題が起こっているのだ。
大問題が起こり、早々に彼らが退陣されられたからこそ、彼らとはいい人間関係を築くことができなかったとも言える。
さて、いろいろな上司の下で働く時、ぼくは一つのことを心がけていることがある。
それは、口先では「店長」と呼ぶものの、心の中では「店長」と呼ばないということである。
例えば、店長の名前が「太郎」だったとする。
何か用がある時、口先では「店長」と呼びながらも、心の中では「こら、太郎!」と呼ぶのだ。
また、小言を言われるたびに、「また太郎が、馬鹿なことを言って」と思う。
そう思うことによって、店長という存在感が消え、心理的に楽になれるのだ。
なぜぼくが、そんなことをやっていたかというと、ある心理学の本に、「人を肩書きで認知すると、心理的な距離が出来る」と書いてあったからだ。
つまり、その人と距離を置きたくないなら、肩書きで認知するな、ということである。
考えてみれば、店長という肩書きはあるものの、それがなければ彼は「太郎」にすぎないのである。
ぼくはすぐさま、「店長」の肩書きを「太郎」と認知することにした。
そのおかげで、肩書きから受ける重圧から解放されたのだ。
もし、上司との折り合いが悪くて悩んでいる人がいたら、一度試してみるといいだろう。
名前を思うのも嫌だったら、ニックネームで認知するのもいい。
きっと重圧を感じなくなるはずだ。
とはいえ、それで人間関係がうまくいくはずはない。
あくまでもこの方法は、心理的な重圧を克服するためだけのものだからである。
その証拠に、この方法を実行しだしてから、ぼくは「生意気だ」というレッテルを貼られ、人間関係は最悪なものになってしまった。
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