知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌⑬

2020-06-18 19:42:46 | 日記


知床日誌⑬

出発前に羅臼でターボライターを探した。セイコーマートの姉さんに感謝。羅臼のゴミ出しは専用袋を買えば中身が何でもコンビニで引き取ってくれる。これは20年前にマンさんが考えた方法だ。よそ者にはありがたい。その日は大木さんの番屋を使わせてもらった。翌日5日分の荷物を積み、少し重いカヤックを海に浮かべた。時折弱い突風が吹く中を漕いだ。

ペキンノ鼻の石村さんの小屋が倒壊していた。柱や梁が折れ、屋根が飛ばされている。雪崩かと思ったが、どうやらとんでもない北風が吹いたようだ。人が住まない建物は先ず床板が腐り、やがてつぶれて自然に還っていく。それにしても相変わらず風が強い。2日目はカブト岩の先で竜巻の中を漕いだ。西風が危ないので灯台近くの岩陰に泊まることにした。ここには古い人工の水場があり、たまった海水をくみ出せば使える。この水場は何年か前に新井場が見つけた。新しいタープを張ったがやはり薄い。石を乗せると裂ける。しかし文句を言わずに工夫してブルーシートを重ねて使った。なかなか快適だ。4-5人は寝られる。しかし床がないのでコエビのような虫の大群が沸いて飛び跳る。昔このエビが耳に入る事件があった。エビはどうやっても取れない。被害者もエビも苦しんで七転八倒だ。仕方ないので目薬で麻痺させて大人しくさせた(エビを)。その後エビは鎌倉の病院で取り出されて標本にされた。知床で寝る時は耳栓があったほうが良い。波の音も聞こえず安眠できる。

3日目の泊まり場のイダシュベはカムイワッカの先だ。ルシャの手前に巨大な岩盤の崩落跡があった。最近のものだ。水場に子連れのクマが現れたが、我々に気付くとそそくさと森に姿を隠した。本来のクマの反応だ。今年は春にカヤッカーを追い回すクマも出たので心配していたが安心した。カヤッカーを追い回したパンダとして知られるそのクマも以前は愛嬌のある好奇心旺盛なクマだった。しかしやがて人を恐れなくなっていった。クマは学習する。そしてして人を警戒しなくなる。しかしそんな奴は長生きしない。5才まで生きるクマは用心深く常に人目を避ける。人を見たら逃げる。だから長生きする。今でも時々そんな300キロ越えのヒグマを見る。立派なものだ。

知床のクマを長生きさせる責任は我々人間にある。それにしてもメディアの節操のなさはなんとかならないものか。岬に出没するパンダもそうだが、有名なルシャのヒグマは19号番屋の大瀬船頭とともにテレビによく出る。しかし実際にそれを人々が見ることはできない。あの映像は一部の特権的メディアの占有物だ。彼らにはクマも漁師も同じ被写体だ。だから映像が尤もらしく仰々しい。撮影は大胆だ。しかしやがてクマは豹変する。そして有害獣として追われ、殺される。私はそんな気の毒なヒグマをよく見た。考えようによってはこれも猟師の間引きと似たようなものだ。しかし何かが違う。

話は飛ぶが自然保護はとかく独善に走りがちだ。そして全体主義に傾斜しがちだ。ナチスドイツのポーランド侵攻と民族浄化の始まりが、当時の自然回帰願望と環境思想に影響されていたことを私は考える。そして現代の環境思想にも過去と同様の危うさが内在していることに気付く。

最終日、イワオベツで低気圧前面の南の強風に吹かれたが、なんとかウトロの浜に上がった。赤澤さんが出迎えてくれた。ウトロの人に迷惑をかけてはいけないので車に荷物を積みすぐに羅臼にもどった。その日の夜はわくさんの書斎に泊めてもらった。わくさんの部屋はまるで図書館だ。いつもの酔っ払いではない考古学者のわくさんの素顔を垣間見た思いがした。したたかに酔い、本の中で寝た。 今年最初の知床の旅は終わった。

新谷暁生


コメントを投稿