里山・燦のものがたり

瀬戸内海の里山で生息する里山犬・燦(ダルメシアン)の活動
ものがたりです

樋端久利雄さん

2019年08月15日 | 
樋端久利雄(といばなくりお)さんは、先の大戦で山本五十六元帥と行動を共にし、
共にソロモンで亡くなった人です。
市の歴史資料館で樋端さんの人となりの資料を10月7日まで展示しておりますが、
そのイベントの一環として今月初めに「樋端久利雄さんについて」と言う題で講演会が有りました。
講演者は、
「ソロモンに散った聯合艦隊参謀 伝説の海軍軍人 樋端久利雄」の著者である高嶋 博視さんです。
講演に先立って御子息である90歳の一雄さんが熱く父親について語っていました。

若い人には馴染みが無いですが、70歳以上の人々には当地ではよく知られた人物です。
そのお陰かホールは満員の高齢者で活気が有りました。

著者は、
アルキメデスの大戦に登場する天才数学者の人物像が樋端久利雄さんに非常に似ていると語っていました。
樋端さんも海兵、海軍大学校をそれぞれ首席で卒業したという正真正銘の秀才です。
実戦でも「樋端ターン」と言う戦術を考案しそれで勝利した経歴も有ります。

話変わってここからが本題です。
実は樋端久利雄さんは燦ママのお爺ちゃんの弟になります。
所謂大叔父と言う訳です。

当然年代も違いますし直接の接点も有りませんが、
講演を聴いて帰ってから話をすると、
そう言えば生家の屋根裏に鞄の様な物が有った様な気がすると何やら意味深な事を言いだしました。

歴史資料館にも幾つか遺品が展示されていましたが、
その様な物が出て来たらどえらいこっちゃと里山は鼻息が荒くなりました。
そこで早速、生家の屋根裏を探索しました。
確かに、寅さんが持っていた様な長方形のトランク様の物体が、
屋根裏の隅っこに埃まみれでありました。


しっかりとした革製品の鞄です。
この様な物はどう考えてもお百姓さんが使う様な代物ではありません。
そうかと言って樋端さんの持ち物だったという証拠も外観からでは分かりません。
中身を見ようとしてもしっかりと鍵がかかっています。


鍵穴に入れる鍵はみあたりません。
しかし燦ママは一度お父さんと昔開けた事が有る様な気がすると仰います。
鍵穴のボッチの部分を左は左へ右は右へスライドさせると見事にロックが外れて、
パチンと止めていた金属部分が撥ねあがり鞄が開いたのでした。


燦ママは中身の記憶は無いと言う事でしたが、
開けてビックリ玉手箱、もう既に白髪になっているのでそれ以上どうでもいい事ですが、
本当に皆ビックらこきました。

ナント儀式に被る様な帽子が入っていたのです。
そしてその帽子を長旅にも型崩れしない様な防御具が一緒に入っていました。


これで完全にハッキリしました。
この様な帽子はお百姓さんは絶対に被りません。
樋端久利雄さんが昭和4年にフランスの日本大使館の武官補佐官として、
渡欧して持ち帰った旅行鞄に間違いありません。

鞄は帽子と防御具を入れただけで一杯になるので、
帽子は別の形で運んだものと思われます。
そして遺品として鞄の中に一緒に入れて有ったのでしょう。

ナント、ナント70年以上も鞄は屋根裏で過ごしていらっしゃったんですね。
それでも一部旅行の傷跡や切れた部分が有りますが、ネズミに齧られた感じは全然ありませんでした。
しっかりとした革の鞄です。

こうなると好奇心の強い里山ですからもう少し鞄と帽子について調べたくなりました。
先ずは帽子からです。




前の方に金ボタンみたいな徽章が付いています。
拡大して見てみましょう。


模様は真ん中に桜とその下に錨が見えます。
上の方は戦艦を上から見た様にも見えますがハッキリとは分かりません。
間違いなく海軍関係の物でしょう。

帽子の内側を見てみます。


何やら文字が書かれています。
拡大して見てみましょう。


誰の筆によるものか分かりませんが達筆過ぎてボンクラの里山には理解不能です。
見る人が見れば判るのでしょう。

そして首にかける紐の配置から文字の上の方を頭の後ろ側にして被るみたいです。


後、装飾の部分も幾つか見てみますが、
ここからどの様な事が分かるのか分かりませんが記録として残して置きます。




最後に帽子と防具を写真に撮って置きました。




長くなりましたが、お次は鞄について見ていきましょう。
先ずは製造元が何処なのかを探します。
鍵を開けた時にみた金具部分に面白い文字を見つけました。


「MADE IN TOKYO」間違いなく日本製ですね。

外観は皮の縫製も鋲止めもしっかりとしています。




それでは鞄の中を見ていきましょう。


内袋の前に布製のヨレヨレになった袋が有ります。


内袋を留める袋側の凸物は金ぴかです。


内袋を留める本体側の上から来る凹物には文字が記されています。




「TRADE MARK M.E.それと何かのマーク?」が見られます。
袋を留めた状態です。


そして凹物の革バンドを留めてある付け根の裏側に決定的なマークが現れました。


漢字で「鞄商・?・組合證」でしょうか。
英字で「THE GUILD OF ・・・AMOBAG」みたいに読み取れます。
鞄の組合で作ったと言う事でしょうか?

夏休みの自由研究も結構大作が出来ました。

仕上げにこの鞄と帽子は御子息へお返して、
自由研究の終わりと致します。

久し振りに桜の花〇貰えるかな。

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (多摩NTの住人)
2019-08-19 09:10:40
いやあ、これは大発見でしたね。二重丸、花丸などというレベルではなく、博物館ものではないでしょうか。
返信する
多摩NTの住人 さんへ ()
2019-08-19 17:24:15
このスーツケースの旅立ちから帰還までを知りたくなりますね。好奇心と言うものは面白い物ですね。
先日、歴史資料博物館の館長を通して鞄と帽子を預けました。
返信する
わあ、こんなことが! (ととろ)
2019-08-23 09:45:48
燦さまの大叔父様に当たられるんですね。
夫が非常に興味を示して、拝見しておりました。
私は海軍とか陸軍と言ってもよく分かりませんが、
男性は関心があるのでしょう。

凄いですね。こんな歴史を経た物が残っていて
燦様の手で開けられたとは。ドキドキ感いっぱいだったことでしょうね。

こういう旅行用かばんは、戦災に遭う前の実家にも
ありました。似たようなのが。

 明けてびっくり玉手箱。大変貴重な品物が収められていて、今後博物館に展示されることでしょう。
 燦様ご提供と言っても但し書きがついて。 
 無事に残ってくれていて有難うですね。
返信する
在れ、おかしな表現が (ととろ)
2019-08-23 09:47:17
燦さま

>燦さまご提供と但し書きがついて。
です。訂正します。
返信する
ととろ さんへ ()
2019-08-23 16:38:35
手紙とか本類とかは事あるごとに庭で燃やしてたと言う事で、あまり当人に関する資料は少ないみたいですからこの様な私物が出て来たことは身内にとってはとても有り難い事だと思われます。
先ずはじっくりと手に取って父親の歴史をつかみ取って思い出に更けて貰えばと思います。
返信する
お久です~! (Jitta)
2019-08-31 11:25:58
ご無沙汰いたしております
お元気そうでなにより!
これはまた、すごいお宝が出てきましたね
鑑定団行きかと思いましたが
持ち主のご子息に返還されたのですね
きっと喜ばれたことでしょう
めでたしめでたし!
返信する
Jitta さんへ ()
2019-08-31 16:21:00
チーちゃん共々お元気そうですね。
里山の宝物と言えば、草木が主ですがこの様な物も出てくるもんですね。
やはりお身内の側に戻るのが一番ですね。
大変びっくりして喜んでいらっしゃいました。
返信する

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