40歳を過ぎると社会的な立場、より具体的にいうと、会社内での立ち振舞いが20歳、30歳代のときと同じというわけにはいかなくなってくるんだなぁと改めて思いました。
例えば、会社内で理不尽なことや、上司や会社の決定に不満があったときに、まだ若ければ、そのことに対して勢いに任せて意見を強く言ったり、上司にもっとこうすべきだ!とか論破までとはいかなくとも歯向かったりしたとします。確かにやり過ぎはよくありませんが、見方によっては若いのに意見をしっかりもってるとか、血気盛んでやる気があるんだなとか、若いからこそ許容される範囲が広いと思います。ただ、これが40歳にもなって、上司や会社の方針にイチイチ噛みついたり、勢いに任せて意見を言ってたりすると、これは若いときと同じようにはいかず、「ただの痛い人」「組織を乱す人」と評価はされにくくなります。若いときは評価され、期待されていても、ここを見定めていかなければその評価は下がり、伸び悩みます。
40歳を過ぎて求められるのは、調整力や理不尽ななかでも戦える力を持ち合わせているかなんだと思います。
会社の偉い人が立てた方針や事業に対して、これはやめた方がいいってイチ社員が言ったところで、結局方針は変わらずだし、それだったら最初からそのエネルギーを、その方針のなかで結果を出していく、または結果が出なくても頑張る姿を見せるエネルギーに使った方が明らかに得ですよね。それで結果がでなくとも、ぶーぶー文句たれてたヤツよりかは、ずっと評価は高いですし、あとあと結果的に意見を通しやすくなるのではないかと思います。
また、社会や会社には理不尽がまかなり通っており、そこに歯向かうエネルギーがあるのであれば、そのなかで戦うエネルギーに使った方が成長できるのではないかと思います。つまりは理不尽と戦うのか、理不尽のなかで戦うのかです。
ちょっとした言葉の違いですが、この差は雲泥の差があるのではないかと思います。理不尽はどの業種、どの仕事にも確かに存在します。理不尽はある意味ルールみたいなものでもあります。ただ、そのルールに対してこのルールおかしいから変えろ!とふっかけていったところで、このルールが嫌ならキミはどうぞ他のところに行ってくださいと言われたらもうそこで終わりです。その戦場にも行かせてもらえず力もつきません。
その一方で、理不尽のなかで戦う、つまりはそのルールのなかで戦うということは、戦場にも出れるし、様々試行錯誤しながら結果を出していくということになるので、経験という財産も積めるし、力もつきます。
大切なのは、この20歳代、30歳代のときに理不尽に対しておかしいと言って戦うのもありだとは思うけど、でも実は理不尽があるのは当たり前、そのなかで結果を出すという考えもあるんだよという考えを持っておくことなんだと思います。そしてその成果の結果がこの40歳代で出てきているのだろうと思います。
ぼくは痛い目にあって、このことを学びました。これからも自戒をこめて頑張っていきたいと思います!ビバっ!理不尽!の精神で挑んでいきます!それではまた👋