神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

祟りなのか。因果応報なのか。

2024年12月21日 12時13分37秒 | 秘密の教え・密教とは

南無帰依佛 南無帰依法 南無帰依僧

南無帰命頂礼大聖大悲不動明王

なむきみょうちょうらい

だいしょうだいひふどうみょうおう

 

善行院 雄徳です。

お参りくださいまして、ありがとうございます。

 

 

私には、二つの悩みがあります。

 

一つは、父方の先祖の誰かが

虚無僧の命を奪ったということ。

虚無僧の祟り・・・。

 

もう一つは、父親の酒乱。

お酒を飲むと人格が豹変します。

目つきから、顔つきまでまるで別人です。

 

先祖の殺生の業の報いと受け止めるか。

祟られていると受け止めるか。

 

父親の酒乱が、単なる酒癖が悪いだけなのか。

それとも性格が悪いだけなのか。

 

そもそも、私が虚無僧の命を奪った訳ではない。

祟りが酒乱と化して、身内の命を奪いに来ている・・・

のではないか。

 

普通に考えれば、両親が離婚をして

父親と縁を切る方向に進めばいいのではないか。

 

母が、耐えきれずに父親に離婚したいと言った時

父は、お前ら全員を見つけ出して、命を奪ってやる。と

凄んで、脅してきた。

 

この時、私たちは、もう逃げられないと

腹を括らなければならなかった。

 

命を奪われた虚無僧の霊の祟りからすれば

子孫の誰かの命を奪わなければ

気が済まないのではないか。

 

私が、幼いころから、ずっと思っていたことは

私の命が奪われば、この祟りは終わるのではないか。

小学校の低学年の時

友達と自転車に乗って遊びに行く最中

友達に置いて行かれないように

見通しの悪い交差点を、左右の確認をせずに

通過しょうとした時、自動車と接触してしまい

死線を彷徨いました。

無意識の中で、お花畑が見えました。

後で、母が教えてくれました。

 

この日は、父方の祖父の祥月命日でした。

 

この時、助かったのは

やはり、これから先も

苦しんでもらわなければ

ならないと言う、暗示だったのかも

知れません。

 

相変わらず、不定期ではありますが

父親の酒乱は、少しも治らずに

苦しめられる日々は、続きました。

 

不幸中の幸いであるのは

父親は、母や私や弟に手を挙げることは

ありませんでした。

ただ、物に八つ当たりするするだけ

物を壊すのです。

 

それと、酒が抜けると

借りてきた猫のように

ケロッと、何もなかったように

謝罪もなく、無口な父親なのです。

 

事故後の、私のリハビリを助けてくれたのは

父親です。

 

海水浴に、動物園に、遊園地にも

連れて行ってくれたのも

両親です。

 

良いことも、悪いことも

起こりましたが

曲がりなりにも、生きています。

 

すべて祟りのセイしてしまうと

祟りなのだと受け取ってしまうと

何も解決しないのです。

 

家庭内の怨憎会苦。

嫌いな父親と、母と私と弟と

一つ屋根の下で生活を

共にしなければならない

苦しみは、そのまま残ります。

 

もう一つの考え方は

先祖に殺生の業があった。

父親が酒乱である。

という家系に生まれなければならない

因縁があったということ。

因果応報です。

 

今まで私が、苦しめられてきたことは

すべて、私の過去の悪業の報いであるという。

自業自得の結果です。

 

このことを自覚して

苦しみを受けながら懺悔をする。

ただ、ひたすらに懺悔をし続ける。

そうするしかないのです。

 

誰かのセイにして、目を背け、逃げたところで

何も解決しないし、悪くなるばかりです。

 

 

ご本尊さまに、手を合わせる。

 

懺悔文 ( さんげもん ) を唱える。

我昔所造諸悪業 がしゃくしょぞうしょあくごう

皆由無始貪瞋痴 かいゆうむしとんじんち

従身語意之所生 じゅうしんごいししょしょう

一切我今皆懺悔 いっさいがこんかいさんげ

 

そして、感謝の真言念誦です。

おん あびらうんけん ばさら だと ばん

 

これしかないのです。

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

合掌


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