どう考えても、アルバートさんの影が薄すぎる。
年齢差カップルで比較するなら、ガラスの仮面の速水真澄と北島マヤだけど…。あの二人は、速水さんは、長年、影からマヤの為に力を貸して来たという絆がある。紫のバラを贈りつづけて来た真澄さんの熱い想い。それに対する親愛の情をマヤは紫のバラの人に想い抱いている。
アルバートさんはどう?
大おじさまとしては、お金出して養育しているだけだよね?
丘の上の王子さまとしては、キャンディに笑顔と『泣いているより笑った顔の方が可愛いよ。』と、肯定的メッセージを送った。
アルバートさんとしては…、滝で助けてくれて、行き場の無いキャンディに一晩の居場所を提供した。
アンソニーの死を、慰めてくれた。ロンドンで、再会した。
記憶喪失の日々は、キャンディがアルバートに優しさを与える側だった。
もっと、こう、精神的結びつきを与えるエピソードは無かったんだろうか!?
どう考えても、
セントポールで、ニールやワルガキに虐められていたところを助けてくれたテリィのほうが、数段、キャンディと心が結び付いていると思う。年も近いし。
テリィにスザナが現れなくても、アルバートさんを選んだんだろう…という、『なにか』を与えられなかったのだろうかー
!?
ガラスの仮面のマヤは、決して桜小路くんを選ばないのは明白でしょ!?
どう考えても、速水さんしか選びませんよね!?
そんな風に、誰がどう見ても、アルバートを選ぶ仕掛けを作れなかったものでしょうか!?
原作者は、取材をうけて、キャンディについてこう、語っている…とあります。
『キャンディには、3つの愛を用意した。
優しい愛、初恋。
情熱的な青春の愛、
穏やかな愛。』
…穏やかな愛。
穏やかな愛。
…つまり、速水真澄と北島マヤのような運命的な結びつきで育まれた愛とはちがうわけですね…?
情熱的な愛が破れた後に訪れる、情熱的ではないけれど、そこにいつもあった穏やかな愛に気がつき、その愛を受けとる。
アルバートさんとキャンディの愛は、そういうものなのかもしれない。
そういう愛を、原作者先生は意図したんだろうか?
情熱的な愛が破れてから、気がついて行く…?そういう愛を描きたかったんだろうか?
だったら…。アルバートさんの影が薄いのも分かる。
スザナの事がなければ、
テリィとキャンディの愛は貫かれた…。
アルバートさんとキャンディの間にあった感情は、テリィからキャンディを奪うほどの吸引力は無い。テリィとの恋が破れたから、その痛手を引き受けることで、育まれた愛?
人生で、どちらの愛情が上か下か等語るのは意味が無いと思う。
どの愛も素晴らしい。
人を想うということは、素晴らしい。
アーチーがアニーの愛を受けとるように?
そうかも、しれない。
作者が書きたかった、最後の穏やかな愛は…。
なんて、いうふうに考えまして…。
これからの二次小説は展開します。