24年前の今日。午前5時46分・・・ふくの住んでいる地域でも震度4・・・
もちろんふくもプチも生まれてはいませんが・・・
月曜日の朝・・・交通手段がすべて遮断され、職場への電話連絡やメール連絡もできないまま・・・でした。連絡がついたのが木曜日・・・(その間自宅待機・・・否、さぼり?)結局、一部バスの運行が再開されたのが翌週からで、その時は、自宅からバスで西神中央駅まで行き、そこから地下鉄で板宿駅(神戸市須磨の近く)まで開通していたので・・・板宿から三宮まで徒歩で向かいました。
結局、午前6時前に出発して職場到着は午後12時5分前・・・約6時間を要したことになります。途中国道2号線沿いの歩道では左右のビル群が道路側に傾いているような状況でした。(この時点では火災等鎮火していました。)
緊急地震通報がありますが・・・この地震を契機に開発されたものだそうです。要は、(就寝中の方々が多かったものの)多くの人が建物を含む倒れてきた家財等の下敷きになって身動き取れないまま亡くなったとのことで、1秒でも早く危険を察知できれば屋外に逃げることができ、圧死等の被害を少なくすることにあるとされています。(通報慣れして・・・大丈夫だと行動にとらないことには無意味となりますので・・・)
↑ 六甲山の山肌に点灯した「1・17」を示し追悼する電飾です。
↑ 三宮駅から神戸ポートオアシスまで設置されている街路灯も普段はオレンジ色ですが毎年この日(午前0時以降)の朝は追悼の意味で白に近い淡いピンク色になります。
↑ おまけ・・・宮崎フェリー、着岸間近です。(今朝は、青い部分が沢山見えていますので・・・利用車両は少ないようです。)
あの日の事は、忘れられません。
厄神さんに行った次の日の事で、誰も亡くならずに済んだのも守ってもらったからや!と子供が言ってました。
倒れたピアノの下敷きにもならずマンションの非常灯の灯りで咄嗟に起き上がり助かりました。
今年は、東遊園地にも行かずに終わりましたが、写真をどうもありがとうございました。