何故医療に初診料が必要であるのか?
しかも毎月そのような料金が加算されるようになっている。
医者の治療は科によっても違うが、早いところではドアを入ったら出口に出るような診療がある。
これでも通過料は数万円する。この打ち3割は自腹である。
これで病気が治るはずはない。
現に病院へ行けば行くほど悪くなるということがある。
その内、死ぬであろうことは誰しも免れないが、病院はそれを加速する。
できるだけ病院へはいかないことである。
医者は次から次へ患者が來るから横柄になる。診なくとも文句も言われない。
自分たちが多額の診療費をとっていることも忘れている。
象牙の塔に暮らしているのである。
おそれるものは何もない。
診察もしなくともよいのである。
今、医者は煩雑な医療現場を離れる医者が増えている。
医学部でも外科や産婦人科や小児科は少なく、精神科・内分泌科・眼科・耳鼻科が人気である。
患者と接触しなくともよく、検査結果だけ見ればよいのである。
老人医師は患者の方ではなく、医者自身の痴呆症が増えている。
これも危険なことであるが、医師免許は一度取れば更新もなく、死ぬまで医師のままで居られる。
さあ、こんな医師ばかりで日本の医療は大丈夫であろうか?
問題は医者ばかりではない。
患者も始末に悪いのである。
患者の7~9割は老人である。
時間的には暇であるから、病院へ通うのはお友達と出会えるからである。
冷房も効いている。別段、病院へ行って診察に期待する必要もない。
どうせ元気を取り戻しても寿命は短いのである。心配の種にするほどのことではない。
老婆の患者の間では若いイケメンの医師が人気だという。
老人の患者の間では可愛い看護師が人気だという。
人生とは愛からわずである。若者がAKB48に憧れるように、年寄りも少女時代に憧れるのである。
自分の病気は医学書を読んで、生薬(漢方薬)で治すことができる。
病院へ行くよりは効率がよい。
日本には和漢方という、優秀な医療があったが、明治維新の薩長土肥によって廃絶させられた。
維新アレルギーの私は、実は先祖が幕臣である。
いまでも維新と聞くと腰の刀に手が届く。
しかも毎月そのような料金が加算されるようになっている。
医者の治療は科によっても違うが、早いところではドアを入ったら出口に出るような診療がある。
これでも通過料は数万円する。この打ち3割は自腹である。
これで病気が治るはずはない。
現に病院へ行けば行くほど悪くなるということがある。
その内、死ぬであろうことは誰しも免れないが、病院はそれを加速する。
できるだけ病院へはいかないことである。
医者は次から次へ患者が來るから横柄になる。診なくとも文句も言われない。
自分たちが多額の診療費をとっていることも忘れている。
象牙の塔に暮らしているのである。
おそれるものは何もない。
診察もしなくともよいのである。
今、医者は煩雑な医療現場を離れる医者が増えている。
医学部でも外科や産婦人科や小児科は少なく、精神科・内分泌科・眼科・耳鼻科が人気である。
患者と接触しなくともよく、検査結果だけ見ればよいのである。
老人医師は患者の方ではなく、医者自身の痴呆症が増えている。
これも危険なことであるが、医師免許は一度取れば更新もなく、死ぬまで医師のままで居られる。
さあ、こんな医師ばかりで日本の医療は大丈夫であろうか?
問題は医者ばかりではない。
患者も始末に悪いのである。
患者の7~9割は老人である。
時間的には暇であるから、病院へ通うのはお友達と出会えるからである。
冷房も効いている。別段、病院へ行って診察に期待する必要もない。
どうせ元気を取り戻しても寿命は短いのである。心配の種にするほどのことではない。
老婆の患者の間では若いイケメンの医師が人気だという。
老人の患者の間では可愛い看護師が人気だという。
人生とは愛からわずである。若者がAKB48に憧れるように、年寄りも少女時代に憧れるのである。
自分の病気は医学書を読んで、生薬(漢方薬)で治すことができる。
病院へ行くよりは効率がよい。
日本には和漢方という、優秀な医療があったが、明治維新の薩長土肥によって廃絶させられた。
維新アレルギーの私は、実は先祖が幕臣である。
いまでも維新と聞くと腰の刀に手が届く。