四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

人生は中々厳しい物。灯油がありませんです。

2011年03月18日 21時04分16秒 | 日毎起こること
被災地も大変です。確かに北関東と比べると被災の規模が違います。
千葉・茨城・栃木などでも被災の規模は小さいなりに、電気・水道・ガスの来ていない地域もまだまだあります。

自動車のない私などは遠くまで買出しに出ますが、食品も中々手にいらなくなって来ています。
今日はわざわざバスでショッピングセンターまで行ったのですが、午後4時5時6時に閉まる店ばかりです。
帰りのバスもいつ出るかもわかりません。灯油も売り切れのところばかりで、着ぶくれの状態で寒さをこらえています。

計画停電も同じ町内で消えるところ消えないところがあり、どこでいつ始まるかを、ネットで見てみるのですが、ブロックまで載っていません。一応寒くとも死ぬわけではありません。

昔の人は電気もガスもなく、自動車も重機もないのに、あの巨大なピラミッドを作っているのです。
それに比べると何でもあってもあれがないこれがないと、行ってられるのは幸せな証拠です。

間寛平氏は、生身の肉体で地球を一周しています。毎日毎日、暑くとも寒くとも走るのを辞めなかった姿には感動します。

勝海舟は喰うものがなかったときは、泥団子を食べていたと書いています。
火にくべる薪がないから、柱を削ったといいます。

こどもの頃は飯などほとんど食えなかったし、暖房などは全くなかったものです。しもやけひび割れだらけで生きてきたものです。それでもあれがないこれがないなどと言っていられません。

まだ、飢死状態でビアフラのように腹にガスが溜まって喰うもののない状態でもありません。
ミルクミルクと言っていて、でかいおっぱいがある癖に、乳もでないのでしょうか? 女の役割も果たさない女が増えすぎている。おっぱいは性技のためにあるわけではないでしょう。

粉ミルクのない時代の、母親たちはどうして子供を育てたのでしょうか? 

自動車がなければどこもいけない。他人になにかしてもらわなければなにもできない。
せっかく被災したなら、自分たちで何かしないことには、常に他人や自治体に依存し、あちらへいけこちらへいけの命令を待っているのではどうしようもないでしょう。

みんな雛鳥のようにただ待っているだけで、あれが来ないこれがないと言っているだけで、車がないと移動できないと考えている。

小規模の被災者のところには、今も何も来ない。もちろんマスコミもやってこない。支援品もやってこないという。例えば避難所に入っていない自宅にいるような被災者は被災者ともみなされないようです。常に、すべての人を救済しようとしているわけではないようです。

今や民間の力で多くの支援物資や義援金をだしていますが、うまく活用されていないようです。
つまり、ピンポイントで救援するやり方を今まで学んで来なかったからでしょう。義援金がうまく分配されるわけでもないようです。

多くは漏れていくようです。

神戸淡路島大地震で今でも被災の後遺症の人たちがいますが、長い目で支援することも忘れてはいけないでしょう。息の長い救援というのは中々出来ないものです。忘れた頃には別の災害が起こっています。

ハイチの地震、チリの津波、宮崎の口蹄疫、新燃岳の噴火への義援金、ニュージランドの地震、世界中が災害だらけです。

では、なぜ21世紀に入ってからこのような巨大な自然災害がなぜ起きるのかを考えたことのある人はどれほどいるでしょうか?

次はどこか、福島原発である。






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