たけしのTVタックル20周年記念番組
江口ともみさんは一回しか出なかった。
元法政大学の女教授(助教授クラスの意味か)田嶋楊子
間接的な知り合い。
元経済学者の友人の奥さんが大学院時代にジェンダーを習っていた担当女教授
元美術史の友人の良く行くすし屋のおかみさんが習っていた担当女教授
経済学者と美術史の教授とはすし屋で私の紹介で知り合い、たまたま話のはずみでそこのおかみさんが法政大学の公開講座に参加していて、経済学者の嫁さんとも知り合いになっていた。
偶然的な出会いである。こういう偶然的な出会いというのを私は何件も持っている。
大学院在籍中の経済学者の嫁さんはアメリカ留学をするため田嶋女教授に紹介状をお願いしていたが、いつになっても紹介状を書いていくれない。いろいろ詮索すると英文が書けないらしいという結論に達した。その後、その嫁さんは同じ大学院の中国留学生とできちゃった結婚をし、つまり旦那の経済学者がいるにも関わらず妊娠したので離婚してしまった。中国人恐るべしである。
田嶋女教授がTVタックルの常連であるとは知らなかった。私はその番組さえ知らなかった時代である。顔を見る限りでは、田嶋女教授は品がなく知性が感じられない。学問の道筋をまじめに納めて来たようには見えない学者である。
多くの正統派に属する女性たちは田嶋の言動に靡くことはないようだが、それでも男社会を否定する傾向が強まっていることも確かであるし、ひょっとすると田嶋派の人々が勢力を成しているのかもしれない。
昔、中ピ連の榎 美沙子(えのき みさこ)を資金面で後方支援した糸山英太郎がいたが、田嶋にも影でコントロールする人物がいないかどうかである。
田嶋陽子は津田塾大学出身、大学院で英文学を学ぶ
ウィキペディアより
あまり英語は得意とは言えないが、英文学専攻としての学者としてはまったくその教養ぶりを感じさせない。教養があるとは到底思えない振舞いをしている。シェークスピアなどは素通りしてきたのではなかろうか?
特に20周年記念番組では田嶋陽子の激論(議論にはなっていない)を主流に追いかけている。
江口ともみさんは一回しか出なかった。
元法政大学の女教授(助教授クラスの意味か)田嶋楊子
間接的な知り合い。
元経済学者の友人の奥さんが大学院時代にジェンダーを習っていた担当女教授
元美術史の友人の良く行くすし屋のおかみさんが習っていた担当女教授
経済学者と美術史の教授とはすし屋で私の紹介で知り合い、たまたま話のはずみでそこのおかみさんが法政大学の公開講座に参加していて、経済学者の嫁さんとも知り合いになっていた。
偶然的な出会いである。こういう偶然的な出会いというのを私は何件も持っている。
大学院在籍中の経済学者の嫁さんはアメリカ留学をするため田嶋女教授に紹介状をお願いしていたが、いつになっても紹介状を書いていくれない。いろいろ詮索すると英文が書けないらしいという結論に達した。その後、その嫁さんは同じ大学院の中国留学生とできちゃった結婚をし、つまり旦那の経済学者がいるにも関わらず妊娠したので離婚してしまった。中国人恐るべしである。
田嶋女教授がTVタックルの常連であるとは知らなかった。私はその番組さえ知らなかった時代である。顔を見る限りでは、田嶋女教授は品がなく知性が感じられない。学問の道筋をまじめに納めて来たようには見えない学者である。
多くの正統派に属する女性たちは田嶋の言動に靡くことはないようだが、それでも男社会を否定する傾向が強まっていることも確かであるし、ひょっとすると田嶋派の人々が勢力を成しているのかもしれない。
昔、中ピ連の榎 美沙子(えのき みさこ)を資金面で後方支援した糸山英太郎がいたが、田嶋にも影でコントロールする人物がいないかどうかである。
田嶋陽子は津田塾大学出身、大学院で英文学を学ぶ
ウィキペディアより
* 1966年 同大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程を修了
* 1970年 イギリスに留学
* 1974年 法政大学第一教養部助教授に就任
* 1976年 法政大学第一教養部教授に就任
* 1979年 イギリスのロンドン大学に留学
1980年代には、NHK教育テレビの最上級者向け英会話番組「英語会話II」(1985年~1988年)の司会進行役だった。初年度は日本語でビデオ内容を概説するだけで英語はほとんど話さなかったが、後に英国人ゲストと会話もするようになった。後にフェミニズムの論客になろうとは想像もつかぬほど地味な役回りだった。
あまり英語は得意とは言えないが、英文学専攻としての学者としてはまったくその教養ぶりを感じさせない。教養があるとは到底思えない振舞いをしている。シェークスピアなどは素通りしてきたのではなかろうか?
特に20周年記念番組では田嶋陽子の激論(議論にはなっていない)を主流に追いかけている。