参考記事:
居留守ズンタッタ :公開の目的
むだづかいにっき:反論することについての考察
あれとかこれとか (Lefty):反論から降りる自由
以下引用文はあれとかこれとかのleftyさんの記事です。
「言い回し」は個人的にはあんまり関係ないです。怒った口調や少しくらいの罵倒が入った物でも、大事なのはその中身、と僕は考えています。
※2006-06-02 追記※
今現在、この考えは多少変化しています。
怒った口調で、不快感を伝えるのも悪い事だとは思いませんが、記事の本質に無関係な罵倒を交える必要は無いと思います。
「大事な中身」をなるべく相手に正確に伝える努力は怠らないようにしたいものです。
※追記終わり※
同じ単語のコピペ羅列(氏ね氏ね繰り返し等)とか、AAだけを貼り付けた物は、発言者の自己満足だけで、相手の怒りを増幅させる以外、何の意味も成さない物と思いますが、発言の中に忠告・要望を見出せる物であれば、僕はきちんとした意見として捉えますね。
反論することについての考察のコメント欄においても、lovedidyさんが残してくれたコメントは、残念ながら、僕には彼(あるいは彼女)が最終的に何が言いたいのかは今だ理解していませんが、その部分部分には僕に伝えたいことが読み取れるし、内容的に見ても「単なる嫌がらせ」とは思えない。そういう場合は発言者の責任として、可能な限り対応させてもらいたい、と考えているのです。
もちろん、意見の交換という意味においてのことなので、既存の日記ツールよりいくらか便利だからblog使う、という人も多いですが、ここでは「意見を述べること」と「反論すること」、それに「反論に対してのアクション」のことを述べているので、トラックバックの存在はやはり大きいと思います。
前にも書きましたが、自分の言いたいことだけわめき散らして、他人の意見は一切聞かない、というのなら、blogツールを使う意味が全くない(更新が楽とかいうのは除いてですが)。森の中にいって、秘密の木の穴に向かって叫んでいた方がよっぽど良いですよ。
多分僕はディベート好きなんでしょう。
ただ、僕にとっての意見交換には「勝ち・負け」などというのは無関係でして、僕は自分の主張を絶対に曲げない、というつもりは全く無いです。僕の考えに対する相手の反論が正しいと思えば、また、相手の意見から新たな考えが生まれれば、それまでの自分の主張の方向転換を図り、必要であれば謝罪をするなり、相手に新たな問題を提示したりすることには、何の問題も感じません。
批判を無視する、というのも一つの手段だとは思いますが、相手のアクションが単なる嫌がらせではない場合、無視するということは、一番好ましくない方法であり、人な話を聞けない人として軽蔑することになります。
そんな訳で、leftyさんの、文末の一文、
居留守ズンタッタ :公開の目的
むだづかいにっき:反論することについての考察
あれとかこれとか (Lefty):反論から降りる自由
以下引用文はあれとかこれとかのleftyさんの記事です。
まず、「きちんとした意見」ってなに?ということがひとつ。「きちんとした意見」については、以前の記事で説明したつもりなんですが、上手く伝わっていないのだとしたら、僕の文章力が足りないためでしょう。
どんなに「きちんとした意見」をコメントしても、言い回しとかで、「きちんとした意見」とはとられなかったり、
結局、これってコメントを入れる人と記事の作成者の主観の問題になるのでは?
「言い回し」は個人的にはあんまり関係ないです。怒った口調や少しくらいの罵倒が入った物でも、大事なのはその中身、と僕は考えています。
※2006-06-02 追記※
今現在、この考えは多少変化しています。
怒った口調で、不快感を伝えるのも悪い事だとは思いませんが、記事の本質に無関係な罵倒を交える必要は無いと思います。
「大事な中身」をなるべく相手に正確に伝える努力は怠らないようにしたいものです。
※追記終わり※
同じ単語のコピペ羅列(氏ね氏ね繰り返し等)とか、AAだけを貼り付けた物は、発言者の自己満足だけで、相手の怒りを増幅させる以外、何の意味も成さない物と思いますが、発言の中に忠告・要望を見出せる物であれば、僕はきちんとした意見として捉えますね。
反論することについての考察のコメント欄においても、lovedidyさんが残してくれたコメントは、残念ながら、僕には彼(あるいは彼女)が最終的に何が言いたいのかは今だ理解していませんが、その部分部分には僕に伝えたいことが読み取れるし、内容的に見ても「単なる嫌がらせ」とは思えない。そういう場合は発言者の責任として、可能な限り対応させてもらいたい、と考えているのです。
それと、トラックバックの有無って、そんなに大きいものなの?という点。必ずしもアクションを起こす必要がない、というのは個人個人の考え方なので、僕もみんながトラックバックに対してアクションを起こせ、とまでは言わないですが、blogツールの発展において、トラックバックの意義はたいへん大きい物である、という僕の主張は今後も変わらないでしょう。
トラックバックって、所詮「あっち側」の記事なので、それに対して(どういう内容の意見であれ)必ずしもアクションを起こす必要はないというのが私の考えです。
もちろん、意見の交換という意味においてのことなので、既存の日記ツールよりいくらか便利だからblog使う、という人も多いですが、ここでは「意見を述べること」と「反論すること」、それに「反論に対してのアクション」のことを述べているので、トラックバックの存在はやはり大きいと思います。
前にも書きましたが、自分の言いたいことだけわめき散らして、他人の意見は一切聞かない、というのなら、blogツールを使う意味が全くない(更新が楽とかいうのは除いてですが)。森の中にいって、秘密の木の穴に向かって叫んでいた方がよっぽど良いですよ。
そこまでして反論してまでけりをつけたいのかとか考えると…。ごもっともです。
批判されない権利なんてないですが、批判を無視する権利はあると思ってます。
多分僕はディベート好きなんでしょう。
ただ、僕にとっての意見交換には「勝ち・負け」などというのは無関係でして、僕は自分の主張を絶対に曲げない、というつもりは全く無いです。僕の考えに対する相手の反論が正しいと思えば、また、相手の意見から新たな考えが生まれれば、それまでの自分の主張の方向転換を図り、必要であれば謝罪をするなり、相手に新たな問題を提示したりすることには、何の問題も感じません。
批判を無視する、というのも一つの手段だとは思いますが、相手のアクションが単なる嫌がらせではない場合、無視するということは、一番好ましくない方法であり、人な話を聞けない人として軽蔑することになります。
そんな訳で、leftyさんの、文末の一文、
「反論をスルーするのもコメントやトラックバックを削除するのもぜんぜんかまわない。には、全く異論が無いです。
ただ、そうした分だけこの意見の説得力はなくなるよ」