商売つまり職業の隆盛は世の中の要求があって成り立つのに、昔は繁盛したが今はサッパリダメだと愚痴をこぼすのが人の常である。
米問屋や油問屋が永遠に金持ちで続けられるわけがないし、粉挽きやわらじ売りの商売が町ごとに繁盛する時代ではない。
世間の要求はどこにあるか?本当に必要なのは何か?絶えず考え続け絶えず変化してゆかねば、どの職業もジリ貧は間違いなく訪れる。
自分がこの道を目指しここまで来たのだから・・・あとに続く者もこの通りに・・・などと決して思っていない。
大昔からいつの時代もこれは変わらない事実である。
しかし、日々呑気に惰性で生きてる人間の多い事!根本には”自己中”が横たわっている。と私も大いに反省する。
蛙
芥川龍之介
自分の今寝ころんでゐる側(わき)に、古い池があつて、そこに蛙(かへる)が沢山(たくさん)ゐる。
池のまはりには、一面に芦(あし)や蒲(がま)が茂つてゐる。その芦(あし)や蒲(がま)の向うには、背(せい)の高い白楊(はこやなぎ)の並木(なみき)が、品(ひん)よく風に戦(そよ)いでゐる。その又向うには、静な夏の空があつて、そこには何時(いつ)も細(こまか)い、硝子(ガラス)のかけのやうな雲が光つてゐる。さうしてそれらが皆、実際よりも遙(はるか)に美しく、池の水に映(うつ)つてゐる。
蛙はその池の中で、永い一日を飽きず、ころろ、かららと鳴きくらしてゐる。ちよいと聞くと、それが唯ころろ、かららとしか聞えない。が、実は盛に議論を闘(たたかは)してゐるのである。蛙(かへる)が口をきくのは、何もイソツプの時代ばかりと限つてゐる訳ではない。
中でも芦の葉の上にゐる蛙は、大学教授のやうな態度でこんなことを云つた。
「水は何(なん)の為にあるか。我々蛙の泳ぐ為にあるのである。虫は何の為にゐるか。我々蛙の食ふ為にゐるのである。」「ヒヤア、ヒヤア」と、池中の蛙が声をかけた。空と艸木(くさき)との映(うつ)つた池の水面が、殆(ほとんど)埋(うま)る位な蛙だから、賛成の声も勿論(もちろん)大したものである。丁度(ちやうど)その時、白楊(はこやなぎ)の根元に眠つてゐた蛇(へび)は、このやかましいころろ、かららの声で眼をさました。さうして、鎌首(かまくび)をもたげながら、池の方(はう)へ眼をやつて、まだ眠むさうに舌なめづりをした。
「土は何の為にあるか。艸木(くさき)を生やす為にあるのである。では、艸木は何の為にあるか。我々蛙に影を与へる為にあるのである。従つて、全大地は我々蛙の為にあるのではないか。」
「ヒヤア、ヒヤア。」
蛇は、二度目の賛成の声を聞くと、急に体を鞭(むち)のやうにぴんとさせた。それから、そろそろ芦の中へ這(は)ひこみながら、黒い眼をかがやかせて、注意深く池の中の様子(ようす)を窺(うかが)つた。
芦の葉の上の蛙は、依然として、大きな口をあけながら、辯じてゐる。
「空は何の為にあるか。太陽を懸(か)ける為にあるのである。太陽は何の為にあるか。我々蛙の背中を乾かす為にあるのである。従つて、全大空(たいくう)は我々蛙の為にあるのではないか。既(すで)に水も艸木(くさき)も、虫も土も空も太陽も、皆我々蛙の為にある。森羅万象(しんらばんしやう)が悉(ことごと)く我々の為にあると云ふ事実は、最早(もはや)何等(なんら)の疑(うたがひ)をも容(い)れる余地がない。自分はこの事実を諸君の前に闡明(せんめい)すると共に、併せて全宇宙を我々の為に創造した神に、心からな感謝を捧げたいと思ふ。神の御名(みな)は讃(ほ)むべきかなである。」
蛙は、空を仰いで、眼玉を一つぐるりとまはして、それから又、大きな口をあいて云つた。
「神の御名(みな)は讃(ほ)むべきかな……」
さう云ふ語(ことば)がまだ完(をは)らない中に、蛇の頭がぶつけるやうにのびたかと思ふと、この雄辯なる蛙は、見る間(ま)にその口に啣(くは)へられた。
「からら、大変だ。」
「ころろ、大変だ。」
「大変だ、からら、ころろ。」
池中の蛙が驚いてわめいてる中(うち)に、蛇は蛙を啣(くは)へた儘、芦(あし)の中へかくれてしまつた。後(あと)の騒ぎは、恐らくこの池の開闢(かいびやく)以来未嘗(いまだかつて)なかつた事であらう。自分にはその中で、年の若い蛙が、泣き声を出しながら、かう云つてゐるのが聞えた。
「水も艸木(くさき)も、虫も土も、空も太陽も、みんな我々蛙の為にある。では、蛇はどうしたのだ。蛇も我々の為にあるのか。」
「さうだ。蛇も我々蛙の為にある。蛇が食はなかつたら、蛙はふえるのに相違ない。ふえれば、池が、――世界が必(かならず)狭(せま)くなる。だから、蛇が我々蛙を食ひに来るのである。食はれた蛙は、多数の幸福の為に捧げられた犠牲(ぎせい)だと思ふがいい。さうだ。蛇も我々蛙の為にある。世界にありとあらゆる物は、悉(ことごとく)蛙の為にあるのだ。神の御名(みな)は讃(ほ)む可(べ)きかな。」
これが、自分の聞いた、年よりらしい蛙の答である。
米問屋や油問屋が永遠に金持ちで続けられるわけがないし、粉挽きやわらじ売りの商売が町ごとに繁盛する時代ではない。
世間の要求はどこにあるか?本当に必要なのは何か?絶えず考え続け絶えず変化してゆかねば、どの職業もジリ貧は間違いなく訪れる。
自分がこの道を目指しここまで来たのだから・・・あとに続く者もこの通りに・・・などと決して思っていない。
大昔からいつの時代もこれは変わらない事実である。
しかし、日々呑気に惰性で生きてる人間の多い事!根本には”自己中”が横たわっている。と私も大いに反省する。
蛙
芥川龍之介
自分の今寝ころんでゐる側(わき)に、古い池があつて、そこに蛙(かへる)が沢山(たくさん)ゐる。
池のまはりには、一面に芦(あし)や蒲(がま)が茂つてゐる。その芦(あし)や蒲(がま)の向うには、背(せい)の高い白楊(はこやなぎ)の並木(なみき)が、品(ひん)よく風に戦(そよ)いでゐる。その又向うには、静な夏の空があつて、そこには何時(いつ)も細(こまか)い、硝子(ガラス)のかけのやうな雲が光つてゐる。さうしてそれらが皆、実際よりも遙(はるか)に美しく、池の水に映(うつ)つてゐる。
蛙はその池の中で、永い一日を飽きず、ころろ、かららと鳴きくらしてゐる。ちよいと聞くと、それが唯ころろ、かららとしか聞えない。が、実は盛に議論を闘(たたかは)してゐるのである。蛙(かへる)が口をきくのは、何もイソツプの時代ばかりと限つてゐる訳ではない。
中でも芦の葉の上にゐる蛙は、大学教授のやうな態度でこんなことを云つた。
「水は何(なん)の為にあるか。我々蛙の泳ぐ為にあるのである。虫は何の為にゐるか。我々蛙の食ふ為にゐるのである。」「ヒヤア、ヒヤア」と、池中の蛙が声をかけた。空と艸木(くさき)との映(うつ)つた池の水面が、殆(ほとんど)埋(うま)る位な蛙だから、賛成の声も勿論(もちろん)大したものである。丁度(ちやうど)その時、白楊(はこやなぎ)の根元に眠つてゐた蛇(へび)は、このやかましいころろ、かららの声で眼をさました。さうして、鎌首(かまくび)をもたげながら、池の方(はう)へ眼をやつて、まだ眠むさうに舌なめづりをした。
「土は何の為にあるか。艸木(くさき)を生やす為にあるのである。では、艸木は何の為にあるか。我々蛙に影を与へる為にあるのである。従つて、全大地は我々蛙の為にあるのではないか。」
「ヒヤア、ヒヤア。」
蛇は、二度目の賛成の声を聞くと、急に体を鞭(むち)のやうにぴんとさせた。それから、そろそろ芦の中へ這(は)ひこみながら、黒い眼をかがやかせて、注意深く池の中の様子(ようす)を窺(うかが)つた。
芦の葉の上の蛙は、依然として、大きな口をあけながら、辯じてゐる。
「空は何の為にあるか。太陽を懸(か)ける為にあるのである。太陽は何の為にあるか。我々蛙の背中を乾かす為にあるのである。従つて、全大空(たいくう)は我々蛙の為にあるのではないか。既(すで)に水も艸木(くさき)も、虫も土も空も太陽も、皆我々蛙の為にある。森羅万象(しんらばんしやう)が悉(ことごと)く我々の為にあると云ふ事実は、最早(もはや)何等(なんら)の疑(うたがひ)をも容(い)れる余地がない。自分はこの事実を諸君の前に闡明(せんめい)すると共に、併せて全宇宙を我々の為に創造した神に、心からな感謝を捧げたいと思ふ。神の御名(みな)は讃(ほ)むべきかなである。」
蛙は、空を仰いで、眼玉を一つぐるりとまはして、それから又、大きな口をあいて云つた。
「神の御名(みな)は讃(ほ)むべきかな……」
さう云ふ語(ことば)がまだ完(をは)らない中に、蛇の頭がぶつけるやうにのびたかと思ふと、この雄辯なる蛙は、見る間(ま)にその口に啣(くは)へられた。
「からら、大変だ。」
「ころろ、大変だ。」
「大変だ、からら、ころろ。」
池中の蛙が驚いてわめいてる中(うち)に、蛇は蛙を啣(くは)へた儘、芦(あし)の中へかくれてしまつた。後(あと)の騒ぎは、恐らくこの池の開闢(かいびやく)以来未嘗(いまだかつて)なかつた事であらう。自分にはその中で、年の若い蛙が、泣き声を出しながら、かう云つてゐるのが聞えた。
「水も艸木(くさき)も、虫も土も、空も太陽も、みんな我々蛙の為にある。では、蛇はどうしたのだ。蛇も我々の為にあるのか。」
「さうだ。蛇も我々蛙の為にある。蛇が食はなかつたら、蛙はふえるのに相違ない。ふえれば、池が、――世界が必(かならず)狭(せま)くなる。だから、蛇が我々蛙を食ひに来るのである。食はれた蛙は、多数の幸福の為に捧げられた犠牲(ぎせい)だと思ふがいい。さうだ。蛇も我々蛙の為にある。世界にありとあらゆる物は、悉(ことごとく)蛙の為にあるのだ。神の御名(みな)は讃(ほ)む可(べ)きかな。」
これが、自分の聞いた、年よりらしい蛙の答である。