nojyucal moonの趣味

仏教が大好きで仏教を楽しみながら趣味として成り立ててます。僧侶では無く仏教ファンの視点から記事を書いてます。

楽しく仏教を学ぶ(真言)

2023-05-07 00:45:15 | 日記

今回は真言について、専門的にでは無く仏教ファンからの視点から思った事や感じた事を書いてみます。
少し前に私が行ってみたい寺院などインターネットで検索してたのですが
ある寺院の口コミの中に、「真言宗のお寺はヤバイ、焚火の前で気味悪い怪しそうな呪文を唱えて・・・」のような事が書かれてました。

私は自己流では有りますが仏教について色々と調べたりしてますから、それは直ぐに護摩祈祷の様子だと直ぐに解りました。
いや、そう言った口コミを批判する訳では有りません。そして不気味に感じた事もよく理解出来ます。
勿論、私は僧侶では無いので専門的な細かい知識は有りませんが仏教に関してはある程度は理解してますから不気味とは感じません。

日本では戦後GHQにより宗教関係を義務教育で習わさないと言った方針が影響してるのでは無いでしょうか?
義務教育ではお寺や神社がどのような存在なのかは全く教え無いのですから初めて見る護摩祈祷の様子は不気味に感じても不思議では有りません。
明らかに日本語では無く、聞いた事の無いような言語でお坊さんが祈り続けてるのですから護摩祈祷を知らない方はビックリしますよね。

☝梵字で書かれた光明真言です。

で、その怪しくて訳が解らない言語の呪文のようなのが、真言です。
日本人だとアルファベットやハングル文字は見慣れてますが、古代インドで使われてたサンスクリット語やパーリ語は知らない方が多いと思います。
元々はインドのバラモン教が神に捧げる祈りの言葉として儀式等で唱えられてたのが次第に仏教にも取り入れられて来たそうです。
そう考えると真言は呪文と言っても間違い無いのかもしれませんね。
まぁ、呪文の定義が解らないから何とも言えず、ここでは呪文のようなものとしか言えませんが!

真言とは、お坊さんがお葬式や法事などでもお唱えしますので
お経のような物として認識して頂くと解りやすいのではないでしょうか?

しかし、真言はお経とは大きな違いが有ります。
我が国でのお経とはインドでサンスクリット語で書かれた経典を三蔵法師が中国に持ち帰り中国語に訳したのを唱えるのがお経です。
それに対して真言とは、サンスクリット語そのものの言語を使い唱えると言う事です。
そして真言には2種類あり、比較的に短い文章のものを真言
長い文章のものを陀羅尼(ダラニ)と言います。

この陀羅尼ですが、例えば誰かと口論になった時に「お前は先程からダラダラとくだらんたわ言を抜かしよってからに・・・」などと使われたりしてますが、ダラダラ←こちらの部分は陀羅尼が元となってます。まるで陀羅尼のように長い!と、言う意味です。

以前の書き込みで、不動明王の真言でウンタラタカンマンも面白いエピソードを書きましたが、こんな感じで仏教用語から現在、何気無く使われてる現代表記された言葉はけっこう有るようです。
そんな訳でして、今回は光明真言について私なりに解釈してる事を書いてみますが、私が理解してる部分が正しいとかでは有りませんし、本来の正式に翻訳された事とは違う解釈かもしれません。

光明真言
オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン
☝こちらが光明真言を片仮名表記したもので有ります。
宗派やお師匠様により、若干違う部分も有るようですが、こちらをお寺さんで唱えてお坊さんから、うちの宗派ではそこは、ハラバリタヤウンでは無くハラハリタヤウンだ!と指摘され叱られるような事はまず有りません。

仏教では、こんな感じの細かい事に関して拘らないのが良いです。
(在家信者に対しては)
何よりも細かい作法より気持ちの上で仏教をしっかりと理解して行動する事を重要視してるのです。
(出家修行僧は細かい事まで厳しく修行してます)

光明真言は私達が生活して行く上で
何かしら不幸を招いてく事から逃れる事を光明真言により邪悪な物を祓いのけて光明をもたらす物だと私は認識してます。例えばいくら努力しても報われず何をしても失敗ばかり、ひょっとしたら何か得体の知れない何かが取り憑いてるんじゃないか?なんて思った事は誰しも思った事が有るのではなかろうか?
まぁ、幽霊や悪霊と言った物が存在するかしないかは別として、自分自身意識しない部分で邪悪な心を持ってしまったりしてるかもしれません。
それを光明真言を繰り返し唱える事により自分自身も意識してない何かの邪悪な心を取り除き光明をもたらして行くような真言だと私は認識してます。

人は自分自身が意識して悪い事をして無くても、道を歩けば蟻などの虫を踏み殺してるかもしれないし自分自身が知らない所で沢山の悪事をしてしまっているものです。そうした事が積み重なれば、多少なりとも何らかの形で報い(罰)が来るとすれば、光明真言を唱えて邪悪な部分を取り除く事が出来ると私は理解してます。


光明真言ですが正式名称は
不空大灌頂光真言と言うらしい。
光明真言の翻訳は
「信奉します。不空よ、大日尊よ、
この大印と汝の宝珠と蓮華と
光明をもってこの身に諸徳を具有し
満たしたまえ」
となります。


光明真言は比較的短い文章なので
簡単に暗記出来ますし、日々の暮らしの中で少し気分が優れない時や、何か失敗して落ち込んでる時に、暗記した光明真言を唱えると、気分が落ち着いていきます。

まぁ、光明真言の力が実際に働いて不幸が幸運に変わるとかでは無く気分的な事が大きいとは思いますが、仏教ではその気分的な事が物凄く大事なので有ります。自分自身の思いや意識、感覚を仏教を通して間違った方向へ向かわせず良い方向へ向かわせるのが仏教の基本的な事なのではないでしょうか!

今回は真言について、書きましたが
最後に、1〜2ヶ月程前だったかな
私の記事を読んで下さってる方のブログの中で般若心経の真言の部分
ギャテイギャテイハラギャテイ
ハラソウギャテイボジソワカ
を解説してる記事がありました。

往った者よ往った者よ
彼岸へ往った者よ、彼岸へ往ってしまった者よ、
悟りの上に幸いあれ。

の真言の意味の裏には

生きる者よ生きる者よ
今を生る者よ、今を生きてる者よ、
迷いの上に幸いあれ。

との意味が隠されてるとの事!
実に素晴らしい解釈をなされたものだと感心いたしました。
確かに般若心経は自分自身を供養するような目的でも有るので、真言としても亡くなられた者に対する意味と生きている者の両方に真言の意味が有るのだと私は思いました。

この訳された裏の意味の般若心経の真言が気にいってしまい
写経用紙を半分にして下手くそな字ですが筆で書きました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
仏教は知れば知る程、楽しく学べますので堅苦しく考えずに気楽に仏教を楽しんで行く事を目的に書かせて頂いておりますので、次回もまた読みに来て頂きたく宜しくお願い致します。

🙏😌オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン









































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