幸せってカテゴリーについて
思考を巡らせるも
纏まらない三毛猫。
論点を間違えた事に気付いたものの
答えが見付からない。
些細な出来事にすら
幸せを感じるタイプ
なんて分類される事がある事を不意に思い出すと
己にとってそんな風に感じる事柄があるかを
検証し始める。
甘いものと可愛いもの…
この2つだけは
至福を覚えるな
そう感じた三毛猫。
甘いものを食べる事
これは三毛猫にとって心身共に癒やされる貴重な
行為である。
可愛いものを集める触る見る
コレも三毛猫の心身を癒す。
けれど可愛いものは偶に飽きてしまう。
それを踏まえると三毛猫にとって
些細な出来事での幸せを感じる
と、云うシチュエーションは
甘いものを食べてる時
こうなるのだろう。
甘いものは別腹…
漸く少しだけ答えが見えたが…
根本的な解決にはならない。
また別の方向へ
視点を変えてみる。
アリストテレスの著書は読んだ事ないな…
啓蒙思想家達の考察
アリストテレスだけではなく
ソクラテスなんかも幸福について
考察を遺して居る。
ヘレニズム期には
ストア派、エピクロス派
このニ派にわかれてしまってたり
仏教経典の1つである
法華経は人々の真の幸福と安心の為に
説かれた。
等々…
様々な参考になりそうなものに
軽く目を通したが…
ふむ、珍しくこれと云う決定打がないな。
決め手に欠ける。
こう云う考察や教えがあるのか。
と、知識的に蓄えるものの
己の探してる答えには繋がらない。
啓蒙思想家からヒントを得れないのは
三毛猫にしては珍しい事。
何か気付かないうちに根底が変わった?
思い掛けず三毛猫は
今の己が数年前と少し違う様な
そんな違和感を感じたのだ。
幸福がどうよりも
気になることが見つかった三毛猫は
己の何が変わったかを
妙に識りたい気持ちになった。
幸福
それよりも興味が湧いたもの
もしかしたら
それがわかれば
今の己にとっての幸福が
何なのか
識れるかも知れない。