私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。2コリント 4: 7
器の内側にある神様の光を表す為には、
「自分ではできない」ことを認める。
「私が輝くのではない」「私が愛するのではない」
「私が語るのではない」「私がいやすのではない」・・・・
ことを認める度合いで、器が薄く薄くなってゆく。
そして、うすければうすいほど、内側の光が現れてくる。
「神様にはできること」を認める。
「私は光ることができないけれども、神様の光がある」
「私は愛することができないけれども、主が私を通してあいしてくださる」
「私はいやすことはできないけれども、主がいやしてくださる」
その光を通すことを選択することができるときに、
最も神の前にへりくだったものとなることができる。
器の内側にある神様の光を表す為には、
「自分ではできない」ことを認める。
「私が輝くのではない」「私が愛するのではない」
「私が語るのではない」「私がいやすのではない」・・・・
ことを認める度合いで、器が薄く薄くなってゆく。
そして、うすければうすいほど、内側の光が現れてくる。
「神様にはできること」を認める。
「私は光ることができないけれども、神様の光がある」
「私は愛することができないけれども、主が私を通してあいしてくださる」
「私はいやすことはできないけれども、主がいやしてくださる」
その光を通すことを選択することができるときに、
最も神の前にへりくだったものとなることができる。