鼻から猫の毛

札幌から東京にやって来たババア一人、猫一匹

日帰り弾丸ツアーその3

2013-04-13 23:47:29 | 






さんさん商店街。
何でも揃ってますよ!って感じ(笑)。
お寿司屋さんまであってびっくり。
クリーニング屋さんも、お花屋さんも、お菓子屋さん食べ物屋さん
たーくさんありました。









この辺はプレハブのセブンイレブンや他のコンビニもありました。

「現地の人たちのためじゃないです。
ここにきてくれる建設関係の人たちに、飲み物や食べ物を提供するために」

そのためにコンビニを、自分たちが大変なのに建ててしまう。
なんて情の厚い県民性でしょうね。



「この写真館は必見です」
運ちゃんにそう言われて入ったところ。
店主がまさに、あの被災の現場を撮り続けて写真集を作ってました。
他の観光客の婆さん3人がちょうどお店の中にいまして
「これ、ほんとに撮ったんかな?」
「そんなわけない、これは編集よ」えと会話しておりました。
それを聞いて店主が
「私が撮りました。本当にその場で撮ったんです」
おばあちゃん言いました。
「カメラ向けずにいられないんだろうな!」
いたたまれなくなりました。
こんな心無い人たちの言葉に、どれだけ傷つけられているのか
考えただけでも辛いです。
写真集を1冊買ってお店を出ました。

商店街を出ると、運ちゃんがきちっと待ってました。
にっこり笑っているその姿に
どれだけの苦労があったのか。
そしてだからこそ1人でも見てほしいと思ったんろうなって思いました。

次の場所へ行く途中でも、写真に収めたいほど
「当たり前のように転がる爪後」が見受けられました。
無理に言って止めてもらった場所にて。







こんな上まで、津波でひしゃげてしまっています。



小学校の門。

この辺の子供たちは誰も亡くなっていないそうです。
そこには「津波てんでんこ」という昔から伝承された教えがあり
津波が来たら、すぐに逃げろ。親を待つなというのがあるそうです。
実際、この小学校の子どもたちは教師の指示が出る前に高台へ
駆けあがって行ったそうです。
そうやって死傷者0だった小中学校もあったそうです。

続きは明日~。

日帰り弾丸ツアーその2

2013-04-13 23:25:25 | 
「最初は南三陸に行きます。仙台市内から高速に乗って、
 一番遠いところから徐々に仙台へ戻ってくるコースです」

はいはい、なるほど。無駄がないですね。
いいながら周りの景色を見る。
杉の木もあるけど、針葉樹もあるのかな?ちょっと北海道の木に似てるのもあり。
でも山の下部分がグレーになってて、除草剤か何かかけたのかなーと
漠然と見ていたら、「現地についてからの説明スタートなのですが」と
運ちゃんが教えてくれました。

「色が違うところは、津波の跡です。海水によって色が変わってしまったんです」

言いながら車を走らせているその間にも、
仮設住宅や横向きになったテトラポットの残骸みたいのがある。
キラキラ光る海が常に視界に入る町。
南三陸は本当に、海が近くて美しくて
自慢の故郷だったろうなーって思いました。
否、今でも自慢だよ!だって皆で復興しようと努力し続けてるんだもの!

最初に行ったところ。





最後まで、呼び掛けていた遠藤未希さんのいた防災庁舎。
1階はハローワークだったそうです。
3階は会議室。
2階が遠藤さんがいたところだったそうです。
遺体発見後、解剖したところ妊娠していたそうで
二重の悲しみにご遺族は包まれたと伺いました。
海が見える事務所。オーシャンビューで素敵だけれど、安全面では?
本当は山の上に建てるべきでは?そんな話もあったそうです。
でも山の上だとお年寄りが歩けない。
平地で誰もが立ちより安い施設であるべき。
その決断があの悲劇を呼んだのは言うまでもありません。
お線香をあげて、写真の許可を撮ってこの場を離れました。

被災地に観光に来ることは、最初は拒まれていたそうです。
現地の人が本当に神経質になって
「見世物じゃねえぞ」「何しに来た」という感情むき出しだったそうです。
でも「これからの俺たちを見てもらおう」「この悲劇を風化させないようにしよう」
そう思って観光客を受け入れることにしたんだそうです。

観光バスが近くに止まりました。
観光客の皆さんが降りてきて、
たまに運ちゃんの説明に耳を傾けてました(笑)。
こんな観光客、中にはバスの中で酔っ払って
被災地で立ち小便をして被災者の皆さんが非常にご立腹されたと聞きました。
心無いですね。
酔っ払うだけでも十分失礼なのに。
あげく、立ち小便。
言葉を失いますな。



庁舎の近くには錆びた貨車が。
震災が起こるすぐ前に建てられた老人介護施設の残骸がありました。
その建物の設計者がたまたま訪問していたらしく
「外へ逃げるな、ここにた方が安全だ」と老人たちとその施設にとどまり、
そして死者を出さずに事無きを得たそうです。
その老人介護施設は、消防庁舎の斜め前あたりに在りました。
海に近いのは、その施設の方だったのです。

片や3階まで埋まってしまうほどの津波を受け
片や死者が出なかった。
その決定的な差は何でしょう?
建設物の強度の問題ではなく、津波が来るルートに
障害物があったり山があったり波の高さが変動したり
色んな要素があいまって、あの悲劇は起こったようです。
その後はさんさん商店街へ。


日帰り弾丸ツアーその1

2013-04-13 22:53:56 | 
行ってきたぜ~。

先日酔っ払って予約した地へ
朝の8時20分発の飛行機で行ってきたぜ。
そして帰りは夜の7時55分の便で帰って来たぜ。
ゲロ吐きそうなくらい疲れたぜ(笑)。
さて目的地は。



のーん!
博多のーん!
仙台です!

初めて行ってきたわ~。
タクシーツアーで7時間半。
なんと金額4万円のツアー。
タクシーの運ちゃんに
「女性が一人で来て被災地見たいというのも初めてですが
 タクシーで回りたいというのは、当社では社長様か会長様以外では
 見たことありませんでした」
と言われる始末。
そりゃ友人から「ブルジョア気取りか」と言われるわけだ。

いーんだよ。
金落とすつもりで来たんだから。
そして出来る限りガイドの細かい話も聞きたかったのだから。
こんなことは後にも先にもないし、する気もありません(笑)。

仙台ってね、飛行機の上から見たら
海が本当に近くて、まさに「海と共存している」っていうところだったよ。
綺麗な海でねー。きらきらと輝いて宝石みたいでした。
ずーっと海の上を飛んでたから、ずーっと見て
その美しさと、地震がなければ本当に素晴らしい所だったんだって思えて
涙が出そうになりました。
海と生きてきた町。夢のように美しい風景。
あたいの最初のイメージでした。
ちょっと見惚れすぎて飛行機からの写真無いっちゃんね(^^ゞ

仙台空港についたら「solo_pin様」ってカード持って待ってる運ちゃんが(笑)。
これは恥ずかしい!嫌だ!やめれ!
でもしょうがないわね、駆け寄って挨拶しました。
「どうして仙台に?」って聞かれて
こういうのは失礼だとは思うのですが、と前置きし
被災地を観ておきたい、ということと
現地の人の今の状態を知っておきたいという話をしました。
状況はどうですか?
建設物資は足りないって聞いてますけどどうですか?
人々の生活はどうですか?
1つ1つに、丁寧に運ちゃんは答えてくれました。