鼻から猫の毛

札幌から東京にやって来たババア一人、猫一匹

何が不安なの

2013-04-14 21:08:09 | 
昨日、夜の10時過ぎに帰宅しました。
カムイ師匠の「遅いよ」とニャースカ鳴くのを宥めつつ
ご飯をあげたり窓を開けたり。
全然離れなくて「どうした~?」って言ってもくっついてきては
人の足元や膝の上でコロンとしてました。
平日、遅い時はこのくらいになりますでしょ?
何もいつもと変わってないですよ?
泊らないで帰って来て良かったなーと思いつつ体を撫でる。
そんな状態が未だに続いています(^_^;)
どうした!といい加減怒るあたい(笑)。
くっつき虫でどこへでも来る。
鳴きながら追いかけてくる。
いない時になにか怖い事あったかな?
寂しかっただけかい?
もー。甘っこちゃーん(でれでれ)。

本日は夕方猫トイレを掃除していたら
お外を見ていたカムさんのすぐ近くで大きなカラスが
電線に止まってカムさんにガンたれてました。
おおお!と思ってカメラ向けようと電源入れたら、カラス逃げちゃった(^_^;)
黙って振り返る師匠に「ごめんなさいね!」って謝るあたい。
それにしても猫って鳥を見ると
ウカカカって鳴くと思ってましたよ師匠。
歴代の猫は皆さんそうでした。
貴方、全然鳴きませんでしたね。
顔見知りだからかな?



遊びが足りないそうなので一緒に遊びました。
カムさん、やっぱ寂しかったか。
でも今後は1泊くらいは我慢出来るようにならないとねー。
やっぱそうなると2匹で待ってた方が、寂しくないかな。



絶賛アフターフォロー中。

カムさんがどうこうより、新しく来た子がカムさんに何かするのではと
気が気じゃないのだよねえ。
仲良くできるって、すぐにお見合いとかで判る子がいないかしら。
こればっかりは縁を待つしかないですね。



ヒグマ出没注意。




日帰り弾丸ツアーその7【これにておしまい】

2013-04-14 11:23:39 | 
最後は石巻の海側へ。





ここにはコンビニがあったそうです。
下の白いのはその土台。
そしてポールが残っておりました。



比較的新しいポールが後ろに立っていて
そこには津波の高さが表記されてました。



圧倒的に高いよ。こんなとこまで車だの家屋だの巻き込んだ波が来たら
そりゃひとたまりもないよ。
よく逃げれたよね、ほんとそう思ってこの場を後にしました。

仙台市内に入って、仙台駅まで送ってもらうことに。
帰りの道すがら
「あーもう!どうして一泊しないんですか!
 平泉とか松島とか、紹介したい場所が沢山あります!」と怒りだす運ちゃん(笑)。
そうね、また今度。
チケット代は意外と安かったから、割と現実味がある「また今度」だと思う。
「きっとですよ!景色も綺麗だし僕連れ回したいところ沢山あります!」と熱弁。
確かに今度は、もっとゆっくりしたいかも。
次があるって幸せなことだわ。



仙台駅でお土産買ってJRに乗る。
うん、判りやすいな仙台。
路線を見てたら福島もそんなに遠くない。
今度は福島も行ってみたいね。



外側は札幌のとあまり変わらないけれど



中の豪華さが違う(笑)。



また来るね。

余談ですが機内の雑誌にて。


布袋さん?

洋ちゃん、フランスロケの話してました。
食べたものがかぶらないようにガイドブック持って一生懸命説明したのに
前の日と全く同じ「海鮮の盛り合わせ」が大量に来たって言ってた(笑)。
それでこそだよ洋ちゃん。

被災地を回って、よくここまで頑張ったなーってことと
仮設住宅の多さに驚いて、やはりまだまだなんだなってことを思いました。
時々でも心を添えて、本当に元気になるまで見守って行きたいですね。
それよりも、ご飯がまんず美味しいから!
一度行って食べてみて!って言いたいです(笑)。
海鮮美味しいって最強だわー。
あ、今回タン食べなかったな。
麻婆やきそばを「県民ショー」でやってたので「食べたい!」と運ちゃんに言ったら
「あれ結構不評ですよ」って言われちゃった(笑)。

自然の美しさが素晴らしかったよね。
海がこんだけ近いと、北海道のそれとはまったく別の魅力が満ち満ちていたわ。
桜や梅が咲いていて、とっても綺麗。
独眼竜正宗めぐりしたいね、次は。

長々と拙い話を読んで下さって有難うございました<(_ _)>


日帰り弾丸ツアーその6

2013-04-14 10:41:32 | 
ツアーの間中、震災のゴミが沢山固まって
あちこちで山になっておりました。
「これでも少なくなった方なんですよ」と運ちゃんは話します。
石巻に入った時に、びっくりするくらいの量の車の山がありました。
「この車は津波で流された車たちです。」
運ちゃんのつぶやきに、言葉を無くすあたい。
道路わきの一軒家達は数こそ少ないけれど、いくつかがまだ残っていて
1階はどこもベニヤ板がはられていました。
「津波でもう一階は使いものになりませんから。
 でも義援金を100万200万頂いても、修理出来る金額には追いつきません。
 沢山の義援金、寄付金にとても感謝しています。
 しかし現実問題として家を建てるにはやはり、千万単位のお金が必要ですから。
 でも墓石が新しいでしょう?壊されてしまった墓石は、義援金で作ってる方が
 結構いるんです。本当に助かってます。」

建ってそんなに年数が過ぎていないお家もあり、痛々しい限り。
かつて主がいたその家たちは、ひっそりと佇んでいました。
平地の中に、どうしてその建物だけ残っているのか。

「家を取り壊す作業というのもしておりますが、遺族の方々が
 当時はお墓もない、家もないじゃ先祖も津波で死んだ家族も
 お盆にどこに返ってくればいいのか。せめて家だけは残したい、と
 仰いまして。
 また声を上げる遺族すらいないお家は、その家の住人の承諾がないわけですから
 勿論勝手に撮り壊せません」



土台だけになった家に、小さなチャリがありました。



このチャリに乗っていた子は、今どうしているんだろう。



石巻の小学校。ここの校庭で紅白の時長渕剛さんが歌ったそうです。
「長渕さんがですね!」って嬉しそうに話す運ちゃん見て
好きなんだねーって思いました(笑)。

周りを歩いていたら、若い柴犬が赤い首輪をつけてトコトコ歩いていました。
小学校に入ったまま出て来なかったけど、可愛かった。
ご安心を。とても綺麗な毛並みの子だったので飼い犬だと思います。








カーテンが揺れているのが、悲しげに写りました。
上の方や右っかわが黒いでしょう?
これね、津波で流された車たちが引火して爆発して燃えた火が
校舎にもうつったから何だそうです。
学校の中は、掲示板があったり黒板があったり。
ここで学んでいた子がいたんだよね。
卒業間近でワイワイしていた子たちもいたんだろうな。
走って運ちゃんの元に戻ったら
「慌てなくていいですよー。転ばないように気をつけて下さいねー」と
声がけしてくれました(笑)。すまないねえ。

海側には石巻病院があったのですが、その後ろの建物は
被害が少なく、住める人もいるそうです。
病院によって流れてきた津波の方向が変わったんですって。
「何で生死を分けるか、本当に判りませんよね」。
運ちゃんはそう言って車に戻りました。

エンジンをかけて、「時間がオーバーしちゃったな」と運ちゃん(笑)。
張り切って話過ぎちゃったんだそうな(笑)。
最後のポイントへ行く前に
「Solo_pinさん!僕これから絶対見せたいところへ行きます!
 最近見つけたんですよ♪」と運ちゃんが振り返って言いました。



石巻市立病院のすぐ近く、介護施設のようなこの建物は
地盤沈下によって水が全くはけないんだそうです。
「停車できないんで!ゆっくり走りますから、その隙に写真撮ってください!」
なんだか盛り上がってるねえ(笑)。
わかったよ、撮りましょう。





「撮りました?撮りました?」と聞く運ちゃん(笑)。
うん、撮った。撮れたわ。ありがとね。
生々しく残る病院施設のような道具やベッドたちが
奥の方で不安定に立っていました。



日帰り弾丸ツアーその5

2013-04-14 09:54:05 | 
お昼はね、女川へ行きました。
タクシーの運ちゃんが「この辺で一番美味しいところです」と
連れて来てくれました。
「おかせい」さん♪





店内は凄い混みよう!
名前を書いて待ちました。
呼ばれたところで運ちゃんが「では私は外で待ってます」というので
一緒に食べましょうよ、といったけれど
「お弁当はありますので」とやんわりと断られちゃった(^_^;)

お店の中とか写真撮ってもいいですかー?と聞いて
「いいですよー」と答えて下さったので容赦なく撮る(笑)。





女川丼という海鮮丼ぶりいただいたよ!



ちょー美味。画面に入りきらんかったし。切れたさきにはマグロだのトロだの。
これで1,200円って安いでしょ。
でもそれよりも驚きなのは、美味しさ。
びっくりした。
食べ物食べて美味しすぎてびっくり!って滅多にない経験。
お味噌汁は蟹のお味噌汁。つみれがね、蟹の身と味噌の味がしたよ。
たまらん!美味すぎる!!
美味しいって最後まで思ってお腹パンパンになっても美味しいが消えませんでした!
運ちゃんに「どうでした?」と聞かれてテンションあがりっぱなしで話すあたい。
たまらんね、たまらんよ。
これだけ食べにまた来たいよ。

次の場所へ行く途中で見た光景。



建物が倒れている。





警察署だよ。黄色いの、見えるかな?
津波ってどぱーんと来た時よりも潮が引く時の方が威力が強いんですって。
で、その引き潮で建物がてっくり返ってしまったんだそうな。

山の途中にある病院から撮影。


これも横に倒れてるの。



この辺も、在りし日の姿を運ちゃんのスマホで拝見しました。
栄えてたよ~。スーパーとか銀行とかもあって。
あ、七十七銀行の跡もありました。
この銀行、津波が来た時に本社へ避難して良いか聞いたそうです。
しかし本社は支社長に高台への避難を認めず
「お客様がいつ来るかわからないから建物の外へは出ないように」という
指示を下したそうです。
結果、生存者1名(この人はビルの外へ営業で出ていたそうです)を除いて
死亡されたということでした。

本社に聞くから!

思わず言ってしまいました。
そういう時は自分の判断さ!と亡くなった方に怒ってもしょうがないけど。
もー(泣)。
本社に聞いたらまずOKって言わないしょやね。
その後この銀行は震災復興支援ローンとか立ちあげたらしいです。
「うまいことやるよなと正直思いました。死者出しといてこういうことするんですから」

海からの風が強くて、寒く感じました。
こんなに綺麗な海が見える場所。
あたいが立っていた場所は病院の駐車場で、
更に上には病院がありました。
写真にあるこの柵。
この高さまで、津波は上がっていたそうです。
銀行の方が一人、建物の屋上から泳いでこの柵目指していたのが見えたそうですが
急流に流されて亡くなったそうです。
ただ見ているだけしか出来ない。
無念さがひしひしと伝わりました。

ちなみにこの絵の右手側に山が在るのですが、
その山を越えた所に原発があるそうです。
福島のじゃないよ。
福島の原発は東京電力でしょ。
女川のはね、東北電力なんだって。
でね、地震だったけど無事だったんだって。
何が違うかって?
高さ、らしいよ。
福島原発よりもずっと高台に女川の原発って建ってるそうですよ。


日帰り弾丸ツアーその4

2013-04-14 08:01:04 | 
震災直後は色んなところからの義援金や頑張れのお言葉も頂き、
とても感謝していると話す運ちゃん。
「でも」
それも最初のうちだけなんですよね、とつぶやく運ちゃん。
ここの土地の人たちは別にお金が欲しいわけではないよ。
興味を持たれなくなった
熱しやすく冷めやすいというのが、
自分たちだけが復興に頑張るあまり日本から置いてけぼりをくらっているような
焦りもあり寂しさもあるみたい。
頑張ってるのに、忘れられた?みたいな。
みんな、待ってよ、みたいなね。

あたいの周りには今も折りに触れ話題に出るし
誰も忘れてないし興味が無いわけではないですよ、と話すと
運ちゃんは「そうなんですか。有難いです。嬉しいですね」と
ちょっと顔をほころばせた。
でも正直、震災直後は邪魔になるかもと思うよね。
「ここにいらっしゃった方々は、よくそうおっしゃって下さいます。
 心配ですぐに来たかったけれど、大変な時に行って迷惑かけたくなかったと」
じーん。
なんて美しい心だろうねー、日本人て。
間違っても泥酔してチケット買ったの覚えてないなんて言えないよ!
貝だ!貝になるんだ!と心の中で全力で叫ぶあたい。

「そういえば」と運ちゃん。
石原軍団が炊き出しに来てくれまして、とかAKBやEXILEの皆さんが
時々慰問に来て下さってます、あの場所で歌ってらっしゃいますよと
消防庁舎がある場所からそう遠くない山の上の建物を指差した。

「そんな中でも個人的に凄いなと尊敬したのが、SMAPの中居さんです。
 テレビの取材とか人に判るようにとか、そういうのを全くなしに
 いきなりふらーって20人くらい連れて被災地にいらっしゃって、
 炊き出しをして行かれるんです。1回2回じゃないんです。
 ずっと続けて下さっている。
 あちこちで目撃情報があります。
 僕は、有名なアイドルグループのリーダーは、やはりどこか違うと思いました」
続けてくれること、それが何よりうれしいと言ってました。
やるな、中居くん。
そういや先日のスマスマ男5人旅でも、東北の方へも温泉に行くって
言ってたもんね。いやー、温泉に行くってサラっと言うところが恰好良いな!おい!
テレビ番組でも未だに被災地の事を語りかけてるのはSMAPだけですもんね、と言うと
「SMAP×SMAPですよね。有難いです」と運ちゃんもご存知の様子でした。
そうこう話しているうちに、次は大川小学校へ。



校長先生が不在時に起こった震災で
あまりに沢山の児童と先生が亡くなった場所でもあり、
後で「何故裏山に避難させなかったのか」と
テレビなどでも糾弾されていたのが記憶に在ります。
他の小学校が裏山へ走っているのにも関わらず、なぜここだけはしなかったのか。



まずは津波に関する防災の取り組み事態が、他とは違い形骸化されていたこと。
裏山にしても階段をつけるなり設備が整っていたら、今回の状況はまた
全然違っていたでしょうねとのこと。
保育所と小学校が隣接しているというのも悲劇の1つでしょう。
ある程度聞きわけのある年齢ならまだ、助かったのかも。
そして判断もあるのかなー。
大川小学校はすぐ近くに川があって、立派な鉄橋もありました。
先生は子供たちを連れて逃げるにはこの橋を渡ろうと判断したらしく
まず橋に向かったそうです。
しかし、なまじ立派なその橋に津波で流されてきた木材だの建物だのが詰まる形になり
行き場を失った濁流は小学校めがけて流れてきたそうです。
川を何キロも遡ってきた津波。
まさか5km先の小学校まで、川を上ってくるなんて思いもしなかったでしょうな。

山の傾斜の途中には札が植えられておりました。
「ここまで津波が来たという目印です」
運ちゃんは静かに言いました。
その位置は、子供が校庭から目指すには
あまりに上の位置にありました。