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適当に生きている適当な日常メモ(お返しイイネ&followご無用です🙏thanks!更新通知で読んでます)

葬儀終わる

2024-11-08 | 義母義父
義母の葬儀が終わって、家に帰ってきた。

私は親族とは完全に縁が切れているが、姻族とは何かあったわけではないので、いつもの引きこもりニートモードというわけにも行かず、できないながらもそれなりに社会一般の対応をすることとなった。

率直な話をすれば、しんどかった。

私がそういう親戚づきあいはできないししんどいと思っていることは義母は良く分かってくれていたので、(sololoさんそういうのダメだもんねごめんね〰️)と思っていてくれそうな気がする。

親戚一同が揃うのは誰かに何かがあったときという感じで、従兄弟と会うのは◯年ぶり、みたいなことを夫が言っていた。

失礼な話であるが、そういうのは誰かに何かがあったときにまだ動ける年齢と状態であるために親戚一同が集合できるだけで、あと10年、20年したら体の状態が悪くて行けない、ということも出てきて一族勢ぞろいということは出来ないかもしれない。

義父義母は人望があるので、家族葬とはいったものの親戚だけではなくて、たくさん人が弔問に訪れた。

お骨を家に安置して我々は帰ってきたものの、しばらくは周りの人々は義父のことを気にかけていてくれそうだ。

義父に何かない限りは、義父との付き合いもそのうち従前どおりに1年に1回や2回様子伺いする状態に戻るだろう。

義母がいた頃に感じなかったことであるが、私には脳みそ的に理解できない分からない話を義父と夫が長時間するようになって、そういう私にも話が分かるように説明してくれたり、行き過ぎた議論を止めてくれたり、義母はバランスを取ってくれていたバランサーだったのだな、と何だかしみじみとしてしまった。

そういう、人同士のハブ的な役割が得意な義母だったので、私達と義父との関係だけではなくて、義母の関わっていたコミュニティそれぞれでなんだかバランスが変わっていきそうだ。

(義母さんが居た頃はそうじゃなかったのにな)とか(こういう時はいつも義母さんがとりなしてくれてたのにな)みたいなことが起こりそうだ。

まぁでも、もう居ないものは居ない。

葬儀とは、周りの人の心の区切をつけることのできる機会でもあるのだな、と勉強になった。(人によるが)

キッチンに入る

2024-11-07 | 義母義父
義母急逝の報を受けて、私達夫婦は仕事を休んで急遽義父の元へと向かって数日を過ごした。

地元の火葬場がいっぱいで、葬儀までに通常より数日少し時間があった。葬儀までは自宅安置であったが、秋口であったのに多少救われた。

実親よりもよっぽど義母が亡くなった時の方が大変だった。

住んでいる地域や、その人がどれほどの交友関係を築いていたかが大きい気がする。

自分の心持ちとしては、数日するとだんだん義母がいないのにも慣れてきて、義父もやることが沢山あって義母のいない寂しさにまだ気をやる時間がないみたいだ。

でも朝起きて、義母の遺体の手をさすっている義父の姿を見て、やっぱり辛くて切なくて悲しくなった。

私と義母は短い時間しか関わっていなかったけど、義父母は結婚して50年ほど経過している。

モラトリアムから子を育て上げて老人になるまでずっと一緒の(そりゃ時々は喧嘩するが)仲睦まじいおしどり夫妻だった。

突然いなくなってしまったから、義父だけではどうしようもないので、葬儀までの間だけ掃除したり料理したりしたが、どこからか義母の「いいそうなこと」が脳裏に閃いてちょっと気が引ける。

たとえば、
義母はパンパンの冷蔵冷凍庫見られるの恥ずかしいからやだ~とか嫌がってたよね、とか
ゴミの量をとにかく少なくしたい人だったからまだ捨てるの早いよ〰️とか
それは皮むかないでも食べられるのに〰️もったいないとか
そんな声が天界から聞こえる気がする。

でも
あなたはもう現世には居ないし
おとうさん大変だからゴメンね、
やりやすいようにやらせてもらうねという気持ちでやっている。

おかあさんはいなくても、淡々と周りは進んでゆく。

人の死は本当にあっけない。



義母急逝

2024-11-06 | 義母義父
義母が急逝した。
本当に本当に突然だった。
超急性の病だったようだ。
完全なピンコロであった。

人の死、というものに対して「違う形になったのね」なんて思えるのはもっともっとずっと先のことで、純粋に今ここにいない、一緒に◯◯しようね、と約束していたことまだたくさんあったのに、と思ってただ悲しい。

一緒に◯◯しようね、したいね、と思っていたことがたくさんであるほど悲しい。

まだ若かったのに。

この間ノロノロ台風で島の海遊びできなくて、きれいな海をまだ見せてなかったのに。

年末の海外旅行「私は人生最後だとは思ってないわよ」と言って楽しみにしていたのに。

一緒に九州の島、行きたかったのに。

近場の紅葉の名所、もう一度行きたかったのに。

カヌー、もう一度一緒にリベンジしたかったのに。

この続きはまた次回に繰り越しだね、と言っていた次回にはもう彼女はいない。

もう全部できない。

彼女はいない。

突然居なくなるのはしんどい。

長く苦しまないのは幸いだったとは思うけれど、つい2日前にラインしたばかりだったじゃない、と思うのが辛い。

居たのにもういないのが悲しい。

人生の相方を失った義父も心配だけれど、義父を案ずるより先に、まだ、皆、ただ悲しい。


義母と読書の趣味が大分かぶっている

2023-09-26 | 義母義父
めずらしく姻族の話。

本棚のラインナップと
youtubeの登録チャンネルは
その人がどんな人であるかを如実に表すセンシティブな話題だと勝手に思っている。

自分のkindleや本棚を人に見られるのは恥ずかしいし
人の本棚も見ちゃっていいのかな…🫣
みたいな気持ちになる。

で、義母は少女の頃から本の虫だったそうで老いてもなお「新しい趣向」というものに飢えていて、それは家族用の共通kindle本棚を作ろうかとしようとしていたくらいだった。

ところが義母の本棚を見てびっくり
これかぶる〜?!
というような著書が被ったりするわけである。

まぁ
赤毛のアン
は分かる。

読書少女が皆が通る道な気がするので、結構な頻度でこれは被る。

一番びっくりしたのは
野田知佑氏
の著書被りで、えーこれ女同士でダイレクトに被る?!😳みたいにびっくりした。

椎名誠氏が被るならまだ分かるんだけど、二人共椎名誠氏じゃなくて野田知佑氏の著書を集めてたのが草w

野田知佑氏は2022年3月27日(84歳没)で亡くなったらしい。
あらやだ知らなかった。ずっと川の学校やってらっしゃるのだと思っていた。ご冥福をお祈りします。
間違いなく日本のカヌー(カヤック)人口を増やした方でしょうね。

年代的にはどちらかというと義母側があやしい探検隊オンタイムだったから、びっくりされるのは私の方かもしれないけれど。

そのうちに
家族本棚で「これは私が買ったやつ!」みたいなのが、結局どっちが布教してどっちが買ったのか、わけわからないことになって、あまり「新しい趣向」に役に立たないことが分かってしまった。

そういうわけで、まさかの義母と本の趣味が大分被る件の話でした。
オチは特にない。

私が幸せでなければ子供達は幸せではない

2023-05-22 | 義母義父
タイトルは義母の言葉。

誰かのために生きるという思いは難しい。

私は夫が悲しむから生きてるけど
別に夫の幸せのために生きてるのだとは全く思ってない。

私が
夫を悲しませたくないというだけ。

社会のために
貧困のために
誰かのために
家族のために

そのように生きることが心から幸福と思ってりゃいいけど、結構、そう思い込まないと生きてらんねぇゼ!ということってまぁあるよね。

人生は不可逆的だからね。

そう思い込まないと生きてらんねぇゼ!という自覚がある人間はまだ良いけど、「ずっと子供のために生きてきたのに」とか「夫のために」とか自分を犠牲にしてる感を無自覚に持っている人ほど幸せを感じにくい気がする。

周りからしてみたら意外と「それ自己満足じゃん」とか「頼んでないし」とか思われてたりして、他人が介在する幸せなんて報われないことは容易にある

私が義母から聞いて
うわ~私の家庭ではそんな考えは生まれなかっただろうな、という思い出深い言葉が私が幸せでなければ子供達は幸せではないと思って生きていたという言葉。

自分の幸せのために仕事も続けるし、当時は保育園とかも充実していないので、お隣さんやお友達に迷惑をかけつつ、子供が当時は数少ない鍵っ子でも、とにかく自身の幸せとのバランスを取っていたらしい。

当時は女は結婚退職するか○歳までに退職すれば退職金加算される、というような規定が普通に会社の規定にあるような時代で、育休なんてもっての他、女性管理職なんてましてやありえないという時代。

彼女はどうやら会社の先陣を切った女だったようだ。後々後輩に○○さんのおかげで、と感謝されたこともあると言っていた。別に彼女は会社の後輩のためを思ってやったことではないが、結果として幸いにもそういうことになったようだ。

いろんな障害があっても、自身が幸せでいることが大事だね。

死ぬときに「もっと自分のために生きていれば良かった」と後悔しないように。

もちろん「もっと自分以外の人の幸福も考えるべきだった」と後悔もしないように、何事もバランスだな〜