表題は、先日S子ちゃんと話してて聞かれたこと。
今まで聞かれたことなくて、私とS子ちゃんの間柄だからだな、と、ちょっと新鮮な気持ちになった。
あと、こういうことを聞いたり話し合える友人は貴重だなとS子ちゃんのありがたみに益々しみじみした。
私の理由は、生きてくことを前提として社会の荒波を越えていくのであれば自分にとって好ましい人と一緒の方が圧倒的に楽だなと思ったから。
実際とても助かっているし、逆に、今生きる理由になっている。そうでもないといまこの場にはいなかったかもしれない。
望んだって一人で乗切らざるを得ないことだって当然あるし、結婚したからといって安泰ってことはなく、途中であるいは最後はどっちか一人になる。
苦労が二分の一になる瞬間もあれば二倍になる瞬間もあると思う。特に人生終盤老病死が近くなってくるときは。
だから永遠にプラスとは言い切れない。
それに、ずっと心に残ってることが一つある。
祖母が脳溢血で倒れて寝たきりで何も話せない状態だけど少しだけ意識が戻ってきたときにお見舞いに行った際、孫の私はばあちゃん喜ぶかな?と思って祖父の若い頃の写真を持っていって見せたことがある。
その時のばあちゃんが浮かべたなんとも言えない表情といったら…
表現するなら「あぁこの人か…」といった感じ。
まだ大学生くらいだった私は、あぁ、祖父母は単純に仲良しと括れるものじゃなくていろんなことがあって複雑でばあちゃんにとっては寧ろ色々な気持ちを我慢させられた相手なのかもしれない、と瞬時に察した。
だからプラスマイナスか、と聞かれたらあの複雑な表情を思い出してしまう。
S子ちゃんは、思春期に母親にずっと良い子でいるように親に求められていた子で、(推測だけど)ああなるくらいなら家族なんていらん、としばらく思っていたと思う。
歳を取るに連れて思いは緩和していったみたいで「結婚は90でもできるけど流石に子供を産むには年齢制限がある」と思い出した様子。ごもっとも!
それを聞いて、S子ちゃんと私は共に育った過程で家族関係で色々なことがあったかもしれないけど、S子ちゃんは私が感じてる自分自身に対する不全感みたいなのは感じてないのだな、と少し羨ましくなった。
実際ちゃんとした人だし。
結婚がマイナスだと感じるような行動はなるべくしたくはないし、されてもないけど、人生何があるかは分からない。
夫が高次脳機能障害や痴呆などで夫という人格がなくなったとき、果して思い出だけで私は結婚を「プラスだった」と信じ続けることができるかはぜ〜んぜん自信はない。
でもまぁどうせ分からないし、何かなるときは何かなってから悩もう、と思ってもいる。