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適当に生きている適当な日常メモ(お返しイイネ&followご無用です🙏thanks!更新通知で読んでます)

プロジェクト・ヘイル・メアリー読んだ

2025-01-21 | 
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 は、2021年5月に出版されたアメリカ合衆国のSF作家アンディ・ウィアーのSF小説。

ひろゆき氏が『映画化されるからネタバレになる前に読んだほうがいいよ!』とXで言っていたのがおすすめに表示されたので、興味をもって読んでみた。

まぁまぁおもしろかった。
あらすじ一部ネタバレあり↓
病室のような部屋で目を覚ました主人公は、記憶を喪失していた。ライランド・グレースという科学者であることを思い出した主人公は、実験からここが宇宙船の中であることに気づく。また徐々に取り戻される記憶から、地球が滅亡の危機に瀕していることと、自身が地球を救うためにここにいることにも気づき、一人地球の危機に立ち向かう。

翻訳の小野田和子さんの翻訳の仕方のおかげか、日本の小説かなと思うくらいに読みやすくて2日で上下巻読んだ。

冒頭で目覚めた主人公の『ここは誰私はどこ』状態から、現在と過去のシーンが切り替わりながら段々と読者にも明らかになっていく感じだった。

ちらっとネタバレすると
地球外生命体物であるのだが、物理っぽく社会学的(多数)でちょっとペシミスティックだった三体と比べると、生物っぽくパーソナルで順当なハッピーエンドなので、とっつきやすく映画にもしやすそうな印象。

まぁまぁとしたのは超ご都合主義的なところ(SFでは仕方ない)。

地球を脅かす外敵が現れたとてこんなにすみやかに超国家の組織はできないし意思統一もできないよな〜といつも心で突っ込む。

でもロッキー可愛いよ、ロッキー。

ロッキーのポジティブな言葉の数々にはとても励まされる。

あと、人間て柔らかくてタポタポな水袋なの確かにちょっとウケるよな〜と思ったし、E・T・は地球の大気構成でも重力でも生息できる特殊な宇宙人だったのだなと思うなどした。人間が直接触れても問題のない皮膚と体温を持っているのも超レアだ。

そういう生物学的な諸々の設定もとても興味深く新鮮だった。

早く映画見たいな〜
アメリカでの映画公開が2026年3月20日だそうだから、来年の夏くらいかなー?


劉慈欣『三体III 死神永生』読んだ

2024-09-26 | 
うーん、三体2までは面白かったんだけどな、というのが正直な感想。2まではお勧めできる。

という人結構多いんじゃないかと思って調べてみたら同じような人沢山いた😅

著者はこの3巻目を、一般読者よりもコアなSFファンに向けて書いたとのことで、私のこの感想も一般読者としては正当だと思われる。

でもその甲斐あって劉慈欣氏は世界的SF作家としての名声を確立した。

3巻目はとんでもなく飛躍したストーリー展開で、単に著者が宇宙で起こり得る様々な事象について理論展開したかったんだな、という感想。

SFとはサイエンスフィクションの略だけれど、サイエンスは秀逸だとしても3巻目はストーリーに難あり。

スケールを大きくしたかったためか1巻の精緻さと比べて描き方が雑だし、そこまで描きたいのなら行動の主体となる主人公は変えたほうが良かった。
凄く残念🥲

藍色空間と万有引力(戦艦の名前)が大変人類にとって有意な働きを沢山するのだけど、著者が描いた地球側の動きよりもずっと、物語中では省略された2艦の社会の発展が読みたかった。

3巻で突然時空を超えて会うから、そんなに簡単に時と空間座標特定できて待ち合わせとかできるもの?とその後のすれ違いエピソードも含めて余計に????となる。理屈はあれどあんまり納得できない。

サイエンス部分は私の妄想ではカバーしきれなかったので、早く映像で見たい。渦巻きのところもわかりやすく比喩してくれたのだと思うけど( ゚д゚)ポカーンだった。

次元攻撃の所までは良かったけど、下巻が本当に余計だったな…。前二作の闘争物語が結局どうでもよかった感じでスケールインフレ状態。

これなら約束の地で旅の終末に再会する形ですっきりと終わった方が良かった。最後本当に蛇足に感じて、これほど長大で重厚な物語の終わり方としてもったいない〜!😖と思ってしまった。

あと、この物語全体で言われる評価として女性の描き方が気持ち悪いということが言われている。これは女性が読めば言わんとすることは分かると思う。

物語中でも、最近の女性化する社会について半ば批判的描写で物語中に出てくるし、最終的には男性性を再評価して終わる。

これは劉慈欣氏のバックグラウンドに拠るものかな、と思う。1963年北京で生まれ、3歳の時に山西省の炭鉱の町、陽泉に移り住み、本業はエンジニアで、発電所のコンピュータ管理を担当。
物心ついたころは文化大革命の真っただ中。陽泉市は武力闘争が激しかった街で「外で銃声が聞こえ、家から出してもらえなかった」と振り返り文革期は外国の文学は所持することさえ危うかったとのこと。

あの時代を生きぬいた女として、作中では葉文潔が描かれており、この物語の発端となった人物でもある。どことなくグルーミーで人間に期待しておらず、物語の中で唯一リアルな女性として感じることができる女性でもある。

当時を生き抜いた人間からすると、最近の女性というものはふわふわしていて、目的意識に欠けるのかな、という感じであくまで著者の捉える女性性というものが投影されているのかな?と感じた。

とりあえず、読了!

グレッグ・イーガンやグレッグ・ベアなどのハードSFという領域があるということを認識したので、いつか読むかもしれない。

劉慈欣『三体II 黒暗森林』読んだ

2024-09-20 | 
前回の『三体』の次の作品。
ネタバレしたらもったいないので、中身にはあまり触れない。

第一巻は視点が入れ替わりまくるし、世界観をまだ掴めていないので「難しすぎて何言ってるのか良くわからんポカーン」という感じだったが、2巻になってとたんに「そうきたか!」という感じがした。
混乱から解明へ。

2巻のメインテーマは、フェルミのパラドックス。
イタリアの物理学者E=フェルミが発した「もし宇宙人が存在するなら、いったいどこにいるのか」という問いに由来する矛盾。
これだけの宇宙の歴史でこれだけの広さがあって、普通に考えたら他にも生命がいるはずなのに、今までにいる痕跡や過去に接触した証拠が見つからないのはなんでなの?ということ。
今までにも色々な説が提唱されていて、SF界でもそれを主題とした作品は数々あるらしい。

三体2では、あるひとつの仮説が提唱されている。他の説も気になったので、今後関連作品を読むかもしれない。

そして、三体2では地球の常識は常識ではないかもしれないし、地球外を想定した場合にはそれらを捨てて新しい常識を獲得する必要があるという視点もとても興味深かった。

ガンダムでも青い星に惹かれるコロニー生まれの人間だったり、シドニアの騎士で母星という星を持たない宇宙生まれの人間についてのことは見たことがあったけれど、母星を知る第一世代が母星を離れるときの気持ちは想像したことがなかった。得も言われぬ気持ちになる。

この本を読むのとは別に、Netflixの三体を見出した。今まだ3話目である。

本を読んでいて、この部分映像としてみたいな、と思っていたシーン(主にゲームの所)があるので楽しみ。インターステラーみたいな現実にはない宇宙空間や概念を映像として鑑賞できるのが好きと1巻での感想で書いたが、脱水のシーンはやっぱり衝撃的だった👀
こちらはシーズン1まで制作されていて8話ある。

Netflixではいくらか設定変わってる。

ワンミャオではなく、5人くらいの科学者グループになっていてアベンジャーズみたいな感じになってる。
あと史や葉、本では中国のネーミングだったけれど、映像ではあたかも移民のように英語のファーストネームと中国語の苗字になっていた。ドラマ化にあたって欧米人に馴染みやすいように変更されたのかな。全部がチャイナナイズされてると都合が悪いのかな?

SFに興味のない人は、読むより映像として楽しんだほうが良いかもしれないが、読んでから見たいという人は私と同じように本先行の方が良いと思う。

ついに3巻目に入るゾ。ドキドキ!

老神介護/劉慈欣 「彼女の眼を連れて」より

2024-08-25 | 
前に読んだ短編集「老神介護」の中の短編『彼女の眼を連れて』の1節からメモした文がでてきて、やっぱり素敵な文ねと思ったので記載してみる。

「きみはこんな平凡なものをとても大切にするんだね」
「あなたはどうして大切にしないの?生きるってそういうことでしょ」
「ほとんどの人が同じだと思うけど、ぼくはそんなふうにはできないよ。この時代は、求めるものがなんでもすぐ手に入る。
ものだけじゃなくて、青空や川の流れのような美しい環境も、田舎や孤島のような静かな環境も、なんの苦労もなく手に入る。
昔はだれもがけんめいに探し求めていた愛だって、ヴァーチャルで簡単に体験できる-まあ、短いあいだだけどね。
だからぼくらは、なにも大切にしなくなった。簡単に手に入るフルーツが目の前に山盛りになってるから、ひと口かじったら捨てちゃうんだよ」

簡単に手に入るとその価値が分からなくなってしまうあるあるということで。

彼女が「何気ない平凡さ」を大切にしている理由は小説内にあるのでネタバレは控えておく。


さくらももこ『ひとりずもう』読んだ

2024-08-14 | 
漫画の方でなくて小説のほう。

ご存知のとおりさくらももこさんは自身の少女時代をモデルとしたコミック『ちびまる子ちゃん』が代表作で1965年生まれ乳がんで若くして2018年没。配偶者2名。

「ちびまる子ちゃん」は静岡県清水市(現 静岡県静岡市清水区)を舞台に小学校3年生のまる子と家族や友だちとのほのぼのとした日常を、楽しく、面白く、時に切なく描いた心温まる作品であるが、こちらの「ひとりずもう」はもっとももこさんが大きくなった時のエッセイ。思春期や性のこと、漫画家になるまでのことが赤裸々に書いてある。

この本の中には「何もしない青春の夏休み」の章があって、これがとても良い。

以下一部引用。
夏は、家でダラダラするに限る。この過ごし方は私の子供の頃からの習慣であり、多分正しいのだ。なぜ正しいと言えるのかといえば、うちにはクーラーが無かったので、ダラダラする以外にはやる事が無い。もし、ダラダラ以外に何かをやろうとすれば、暑さにやられ体力を著しく消耗し、倒れる事になるだろう。だからダラダラしているのは正しいのである。
(略)ひとつも悪い事はしていないのに、私は毎日母から文句を言われていた。ダラダラするなと言うのである。こちらとしては、ダラダラする以外にはやる事が無いというのに、それすらしてはいけないなんて言われたら、死ねと言われているのと同じだ。
(略)もしも夜中が無かったら、私は考える力が0のまま大人になってしまっただろう。

その後、ダラダラしていたももこさんが、漫画家になりたいという夢のために脇目も振らず一心不乱に漫画を描く日がやってくるのだが、それもまた良い。

私の人生にもダラダラしているときもあったし、必死に追い込まれている時もあった(もう追い込まれるのは勘弁)。

ダラダラしかしたくないとかゆっくり生きてるとか言うとすぐに批判の対象になってしまうから、この「ひとりずもう」を読んで、となりのクラスの子の日記を読んでいる気がして、なんだ〜私だけじゃなかったや、となんだか心強い。

私は大人になって忙しくなったももこさんとは違って、大人になっても変わらぬ夏のお休みを過ごしているけれど、そんな夏に度々読みたくなる本かもしれない。

相変わらず平日はしぶしぶ仕事して終わったらゴロゴロして、土日もゴロゴロしてしぶしぶプールいってkindleの積読を読む生活を送っている。

夏は、毎年、季節が変わるまで永遠に終わらない夏休みを送りたい。