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適当に生きている適当な日常メモ(お返しイイネ&followご無用です🙏thanks!更新通知で読んでます)

義父の様子見

2024-12-06 | 義母義父
義母が亡くなって一カ月くらいして、事後手続きの諸々の確認と義父様子見のため義父宅へ。

葬儀後数日して義父と連絡を取ることがあった時は、葬儀の後一気に人がいなくなって、対照的な寂しさが少し身に堪えているように見えて心配していたのだけれど、もう全然そんなことはなくて、いたって通常運転だった。

安心した。

日頃忙しくしているし、ぼんやり物思いにふけることが少ない質のようで、常に何かをしているみたい。忙しそうだった。

葬儀後からも義父家の片付けを始めていたが、いかんせん物が多くて多くて、今回も片付けを少し行ったが、とにかく物量が多くて全然進まない。

(お義父さん曰くお義母さんが溜め込んでいたそうだ。たしかに🐿️みたいに色んな隙間にまで物が詰まっている。空間があるとまだスペースある!みたいになるっぽい)

家から物を追い出さないことにはどうにもならない。

実親のときも思ったし、人から伝え聞く死後の整理もまぁ大変だったという話の事例が重なり、老いると物を溜め込むのはもう人間のサガなのでは?と思い始めている。

全然!
片付け終わらない。

義父は一人でも頑張ってはいるが、やはり労力に限りはある。帰省のたびに皆で片付けてたら、いつかスッキリするかもしれない、と遠い未来を夢見ている。

本当に何年後に片付けが終わるのやら。

あと、それとは別に、夫と義父とはコミュニケーションスタイルがちょっと違うこともあって、夫がストレスを抱えている様子だった。

父と息子は色んな関係性があると思うけど、どこもそういうものなのかしら?と不思議に思っている。
2人だけで放っておいたらどうなっちゃうのかしらん。

家族関係には絶妙なバランスがある。

義父家の片付けをしていて思ったが、やっぱり「物の始末」がついておらず、始末がついていないということは当然掃除も行き届いてはいないということであって、ハウスダストが凄すぎて花粉症状態で辛かった。

ハウスダストは実害があってしんどい。

人の家だからどうこうすることはないが(文句は言うけど)、物の始末がつかないとやっぱり汚部屋化していくんだな…と認識を再確認した。

感傷

2024-11-12 | 義母義父
感情を理性で抑えて、あるべき自分でありたい義父ではあるが、昔好きだった曲を聴くと、歌詞がやけに自分の経験とシンクロして聴こえて、抑えている理性から感情が漏れ出て涙がでそうになることがあるそうだ。

小田和正氏の楽曲で、義母が一番好きだったか義父が一番好きだったか忘れてしまったが、「言葉にできない」という曲で、オフコースの楽曲である。1982年2月1日に通算23枚目のシングルとして発売された。(作詞・作曲 小田和正)

終わる筈のない愛が途絶えた
いのち尽きてゆくように
ちがう きっとちがう 心が叫んでる
ひとりでは生きてゆけなくて
また誰れかを愛している
こころ 哀しくて 言葉にできない


せつない嘘をついては
いいわけをのみこんで
果たせぬ あの頃の夢は もう消えた
誰れのせいでもない
自分がちいさすぎるから
それが くやしくて 言葉にできない

あなたに会えて ほんとうによかった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない

義母だったかな

あなたに会えて ほんとうによかった
のいうのは善い歌詞だ。

他にも色々聞いたのだけど忘れちゃった。そういうときでもないとそんな話することはないから、覚えておきたかったのだけど忘れてしまった。

なんだったかな…

確か義父が
長渕剛の乾杯か
長渕剛のとんぼか
そういう感じの働く男が共感できる感じの曲で

義母が
松山千春の大空と大地の中でか
松山千春の季節の中でか
そんな感じの曲だった気がするんだけど…

ウ~ン。

とりあえず、人が自分の経験に重ね合わせて感情に浸れる曲というのは良い曲ということで。

私ももう悲しくない

2024-11-11 | 義母義父
義母との約束が叶わなくなってしまったとき、本当に悲しくて、数日しても思い出すと感情をなぞるので悲しくて、いくらでも涙が出てきたのだけど、そういうことも頻度は減ってきた。

約束は永遠に叶わないし、それはそれ、我々には我々の家と生活がある。

義父母は無宗教だったが、色んな弔問客がやってきて、各々の宗教で勝手に弔って去っていった。ある意味興味深かった。

魂があるとかないとか佛界があるとかないとかは、天動説と一緒でまだ証明されていないが心の拠り所として信じていることであるので、
私は私の宗教であるエネルギー保存の法則に則って有機体としての義母は終わり、骨とその他のエネルギーと質量に変換されて別の形になって地球に漂っているだけで意思はないものとしている。

そういうわけで、もう有機体の義母いないしな、と思って遺影を見てもただの写真としか思わないし、私の特徴である「いまここにないもの」についてあまり興味がわかない。

あれは、社会的に必要なもので、社会的でありたい義父にも必要なもので、物以上の何物でもない。

そういうわけで、思考は次のステージに移り、事務的な死後処理と物的な死後処理大変、という気持ちになっている。

やっぱり物の処理は本当に大変そうなので、何回かまた帰らないといけないだろうな、と思っているが、ひとまずは義父が整理すると言っているので、しばらくは放置して様子を見ることにする。

年末年始の旅行はそのまま行くことになった。一人でいても仕方ないし、約束は行動にしておかないと永遠に叶わない

もう、今いる人たちとの間で思い出を作って、物は処分して生きていくのだ。

あと、ますます断捨離について思いを馳せるようになった。

今後は「他人の人生終盤の処理」をしていくことが増えるだろうから、いつも自分は身軽でいたいという思いは強くなった。

できるかどうか分からないけども。

死後の心の処理

2024-11-10 | 義母義父
死後の処理は難しい。

生きているということは、動物なので動いているということで、色んなものが拡散しているし、拡散していないと死んでいるも同然とも言えるのかもしれない。

死ぬのも仕方ないし、生きていて拡散しているのも仕方ないが、人ひとり消えるとその後始末はとても手間のかかるものである。

義父は義母の他にも身近な家族を亡くした経験がある方なので、有り体に言ってしまえば慣れている。

慣れている、というのは事務や葬儀手続きや連絡手順に慣れている、ということ以外に、感情の処理にも慣れていた。

急逝の報を受けてからの「今後」の話が非常に早くて切り替えの早さに私も夫もびっくりした。

葬儀が終わってからその話をしたら、大事な人を亡くしたときの心の防御方法を知っていたみたい。

その方法とは、大事な◯◯を亡くしたからといって、自分だけで幸せであることはできるし実際自分は幸せなのである、と、大事な◯◯と自分とを分離して自分は何もなくしていない、と思うのがその秘訣なのだそうだ。

そりゃ悲しいし寂しいけれど孤独でかわいそうなのではなくて、自分は完全で自分1人のみで幸せである、と考えるし実際そうであると理性で考えるらしい。

「悲しくたって、不幸に思ったって、悲劇のヒロインになったっていいじゃない、実際悲しいのだし。感情を発露することの何が悪いの?」と私が聞いたらば
「そういう自分になりたくない、ポジティブな自分でありたいと思っている」からだとのことであった。

きっと、自分の理想とする【ありたい自分】や【望ましい人格】というのがあって、それを追求している自分が好きだし死ぬまでそれを心得ていたい、ということだと理解した。

そのありたい自分や望ましい人格というのは、社会的に善いとされている人格で、私の生き方(immature)と彼の生き方(mature)は全く違うのだけれど、義父の考えていることや望む方法が分かって良かった。

義父母セットでの交流だったし、夫の心象風景としても義父の心象風景としても、義母が拠り所であったから、義父ひとりとなったときの個人が何を望んでどんなふうにしていきたいのか、ということを話せて良かった。

あと、義父と夫が揃うと「女性の方が感情が強くて理性的ではない」という意見で合意して、今まで義父&夫vs義母&私というタッグで勢力均衡がとれていたのに、義父&夫vs私となって、途端に旗色が悪い。

◯◯と考える思考実験は楽しい、みたいな話を夫がしだして、今まで義母が抑えてくれていたのに、途端に夫が超面倒くさい男になって困ってしまった。

前から面倒くさい面のある男であることは知っていたけれど、義父が至極真面目に話に参加するので、ほどほどの塩梅で終わらず延々そういう話が続くようになってしまった。

それから、LINEもお義父さんだけだと社内のグループLINEみたいになってて可笑しいような哀しいような…

お義母さ〰️ん!困るから帰ってきて〰️!
という気持ちで私はいっぱい。

ピンコロへの羨望

2024-11-09 | 義母義父
義母はピンピンコロリであった。

心の整理のついた面々は(精一杯楽しんでよかったね)と(周りに迷惑をかけずにピンコロ羨ましい)という感情に集約された。

ピンピンコロリは理想の逝き方で、多くは脳が先にやられたりする。

義父は人付き合いが好きな人間にはあまり見えていなかったが、この葬儀の合間の数日で、彼は大変社会的な人間で、その幸せは個人の嗜好というより、社会や周りの人に必要とされることである、ということが明確になった。

義母が急逝して、これを機会に都会に、ということも想定をしたが、私達よりも地域の人に必要とされている今の状態を幸せと感じているようなので、何かあるまでは1人で頑張るということになった。

周りの人に大変頼りにされていて凄い。

義父がもし今亡くなるとしたら義母以上に葬儀は大変そうだ。

ピンコロをするにはボケスピードを緩めることが大事で、畑にでたり、集まりに参加したりして家に引き込もらないようにし脳を刺激するようにすると良いそうだが、義父は我々夫婦よりよっぽど忙しくほぼ週6-7勤務状態で忙しくしているので、まだ大丈夫そうだ。

ただ、義父の行動を見ていると、何かをやっている最中に別のことに気を取られると前の作業に戻れないことが良くあった。

義父が火を使っているときは常に夫が遠くから見守っていた。


これは老人(および我々)あるあるだが、自分が思っているより老いのスピードが早い。

そして老いと自分の思いのスピードの差が、感情的に受け入れられない。
人生色々生きてきた実績があるしプライドもあって当たり前だが、このプライドの処理はなかなか難しい。

我々夫婦は引きこもりなので、義父より先に夫や私が脳梗塞や脳溢血などで不随などになってしまう可能性も十分にある。

人生色々、何が起こるかは分からないし、多くはピンコロというわけにはいかないが、ピンコロへの羨望は止まない。