恋うさ空

独り言ブログになります

ブログでの悩みができました

2019-12-14 23:52:37 | 日記
続き希望ってなんだろうって思う
話の続きって事でいいのかな
ブログを続けてってことかな
うーん なんだろってちょっと悩み中

画像のあるところだと きれいだから またお願い!って意味もありそうだけど

なにかなぁってね





今はない好きなもの

2019-12-14 22:45:01 | 日記
私が最後にそれを見たのは4年くらいのとき 
江ノ島のお土産屋さんに 海ほうずきっていうのがあって 口に含んで膨らましたり噛んだりすると 音がでるんです

オレンジと黄色の丸くてさくらんぼくらいの大きさのものが5つくらいはいって売ってました 
夏に鎌倉にくると それが遊びのひとつになってました

何でできてるかは知らないけど とれなくなったと言うのだから 海のものなのかなって思います

八幡さまの滑り台もよく遊びました
今思えば 父の逢い引きのお手伝いをしていたんだろうなってね

八幡さまの砂利遊びとか
ひとりで遊ぶのには楽しすぎます

まさかのちに兄弟が三人も増えるとは思いもよりませんでしたってオチです

やりすぎです


ぽよぽよぽよ

2019-12-14 20:14:40 | 日記
はい こんばんは そらです

もう皆さん引かないで 
色々な家庭があるもんですよ
ほら 幸い 私記憶抜けてるから
そう言う意味では悲しかったり不安はありますけど 

現状 問題はそこじゃないしね

全然 全然 ね?
何があった知らぬが仏って言うでしょ?

私もね 初めは いろんな質問をしたわけよ
兄なんかは 多分一番大変だったと思うのよ
なんでなんでって私が煩いからね
彼にも聞いたかも
ふたりとも 優しいからね 
うまく例え話とかで答えてくれたりするよね
うん あんまり言えないよね
ちゃんと気持ち伝わるもの

そんなふたりに 私はずるいよね
私より辛いんだもの
それが哀しいわ すごく

母には複雑でね
物凄い嫌悪感があるの
好きなのに嫌い
気持ち悪くてだめなんだよね

おやおや ぽよぽよなのにどうしたことか 暗いじゃないですか 
夜だからね だめですね
夜に書くつもりじゃなかったのに
こんななっちゃった

取り敢えず おしまいってことで
また 後々ね

ではでは またね

そうそう

2019-12-14 19:05:45 | 日記
中学の頃は携帯とかも持ってなかったと思うよ
いつ買ったのか全然心当たりないしね
てか母親の携帯だってのがびっくり

入院したのも自殺だっていうのを最近知って驚きとショックだった
でも入院してなかったから病気も気づかなかったかもしれないもんね

記憶が戻ったとき?青天の霹靂ですよ

何があった?って感じ
身体中痛いし 点滴だらけだし 声でないし 動けないし 腕折れてるし包帯してるわ マヒしてるし 意味わからなかった 

母親は謝るし 兄は泣くし 家族みたいな会話してるし えー?なになにって感じ
廊下で泣く兄の嗚咽とか はっきりいって気持ち悪かった
やめてよって思った
いや 入ってくんな かな
変だし 唯一信用してた人がいなくて
知らない人がいるんだもの

その時兄や母っていう認識なかったからね そらゃ知らない人が泣いてたら気持ち悪いでしょ
父がいないってことしか頭になかった 
そう 父のことは覚えてたのね
残念な事だわ

兄との写真をみせられて お兄ちゃんだよって言われた
なんだかふわふわな感じ 
でもすぐ理解し始めた
一定期間の記憶が抜け落ちただけで 徐々に家族のことはわかってきたよ

知らない女の人が嫌な質問してきたりして そんなことしてたら また忘れちゃって 
どの時点で彼に連絡したのかもわからないのよね
多分すごい興奮状態だったのかね
今考えても 日数とかわからなかったもの 点滴して寝て点滴して寝てって感じ

携帯のアドレスは空で 何通かメールがきてたんだったかな
あのときがつらかったのかもしれない
病気になっちゃうと それはもうお医者様に任せるしかないしね
あ でも先生が男性って言うのは やっぱりきつかった 吐きまくってた

病院はきつかったなぁ 精神的に非常にきつかった
痩せる一方よ
もう全然 目標体重なんか無理
食べることが出来ないのに 吐きまくるからね 
だから入院してから父に会ってないです
1度来たようだけど 私は知らない

父はお金で物事を解決することが多々あるので 生前遺産やら毎月の生活費じゃないな わからないお金をずっと振り込んでいます
母も離婚しちゃったし 原因は私なのかなって 
なんかちょっとね
母も結構暴力ふるわれてたけど あの人父を愛してるからね 
わかるよ 私の見る目で あれは女の目だもの
きもっ
吐き気するわ

うちの家庭は こうなる運命だったのに私が抗ったのかもしれない
普通の四人家族でいたかった 
私の願いは 家族がいつも一緒に仲良く食卓を囲むこと ただそれだけだったのです
普通って難しい









父と世間体と私

2019-12-14 17:46:38 | 日記
父は生きるのに必要な人と言うのかな
母は父に従う人
兄は今となってはわからない
今は協力者?味方?何て言うんだろうね

どう話そうかなってずっと考えてた
知らないとみんながブログを見てても なんだろって思うだろうしなってね

まぁあれか お手伝いさんと二人で住んでる時点で 訳有りだよね
私もね 所々記憶が抜けてるから 正確に話そうなんては思ってないけどね
出来ないしね

父は 横暴で自分勝手だと 今なら理解してます
ただ私には優しく接することもあるので 
優しくが行きすぎてるって兄なんかは突っ込みす
父の話をするのは嫌だと思う人がいます

兄と彼です
なのであまり話せません
別に話をするなと言われたことはないですが 哀しそうな雰囲気は察します

父とは学校以外 生活が常に一緒で 行動範囲はほぼなかったです
躾 話し方 立ち方 振る舞い方 物の持ち方 食べ方 食べるもの 着るもの 1日のスケジュール全てを父が決めていました
私は特に何も感じませんね それが普通ですしね 生まれたときからそうなのだから当たり前です
兄と私は 違うと差別していました
母も同じです
母は兄と共にいました

私達兄弟は話をあまりしませんでした
たまに兄がおにきりを作ってくれて 母に気付かれないように こそこそしてました
母は私に無関心で
父に言われたことだけを私にしていました
なので長い出張とかだと私はお腹すいて死にそうです 死なないけどね 
父がいないと私は生きていけませんでした 
両親は表に出ることが多く私達も連れていかれます 家庭円満の印です
父は兄にすぐ手をあげます 何故かわかりません大したことではないのに 
私はなぐられませんが嫌なことはされます でもそれくらいならなんてことないのです 殴られるのよりはましだと思ってたし 大層な事だとも思わなかった
ちょっと我慢するだけで 家族が一緒にいられるんだからって 特別悪いことともなんとも思わない
だってパパだから

で 話は飛んで 入院して 病気にまでなっちゃって 兄が変わってて 母が知らない母になったようで え?って感じ

パパは?って不思議だった
彼にも言ったことないかもしれないど 父がいないって言うのは受け入れがたかった 捨てられたって思った
父はよく私を海岸の知らないところにおろして帰ってしまったり 男の人がだめなのに そんな場所とかに連れていって見せびらかしたり 娘自慢みたいな?置いていくぞって言ってたりしてたから捨てられたって思った
病院でこわくてこわくて泣いてた

ちょっと長いね
ちょっと整理して また書くね