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私と桜田門外の変との関係

2015-09-18 04:37:03 | 日記

安政7(1860)年3月3日はご存じ桜田門外の変の当日である。
幕閣を代表する大老・井伊直弼は江戸城に登城する途中、
水戸藩士らに襲われ絶命した。
当時の老中は相談の上、直弼死去を数日間発表しなかった。
そのままではおとりつぶしになってしまう井伊家相続等の手続きと、
彦根藩と水戸藩の融和を図ることが目的だったとみられる。
しかしこの事件によって幕府の権威は地に落ち、尊王攘夷派は完全に革命への
流れをつかんだ。
当然ながら井伊時代の老中は不手際を理由に次々と罷免された。
その中に脇坂安宅(やすおり)龍野藩主もいた。
時は移り、維新後脇坂家は華族に列せられる。
子孫の一人は某銀行家に嫁いだ。
生まれた息子は財産を寄進してキリスト教の牧師となった。
彼の最初の夫人は小学校の校長だった。
そこに50数年前の私が入学したというわけ。
つまらない話ですみません。(2013.11.17記)



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