先日の散歩コースでは、京浜急行の平和島で降りて旧東海道を北上した。
目指すは「品川宿」の北部「歩行新宿」である。
今の人には「歩行新宿」が読めないだろう。
私も永らく読めなかった。
やっと「かちしんしゅく」と理解したのは10数年前のこと。
歴史的にはけっこう重要な舞台である。
維新の志士が「凶器(狂気?)を準備して集合し、夜な夜な「共同謀議」という名の
酒宴を張っていた遊郭・「土蔵相模」はここにあった。
今同じことをやったら、ただのテロリスト扱い。
まったく「勝てば官軍」とはよく言ったもの。
ところで、私の4代前の先祖は100年ほど前ここに住んでいた。
本籍が残っているから番地はわかる。
でも建物等何も残ってはいない。
ただ明治18年生まれの祖母はここで芸者修行をし、浅草のお座敷に上がっていたのだから、
影響は今に残っているとはいえるか。
私の望みは品川に残っているはずの先祖の墓を突き止めることだ。
江戸時代は「寺請」だから必ずどこかの檀家になっているはず。
明治10年に青山墓地に移転する前は、ここに墓地があったと推定するのは確率が高そう。
問題は「身分」だけ。
おそらく無縁に合祀されとるのだろうね。
なにせ鈴ケ森刑場にかかわっとるだけに。
ハハハ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます