銀座平野屋女将日記

銀座平野屋210年のあゆみと老舗女将の嫁日記

飾り櫛 補遺ー飾り櫛(その6)ー

2019-04-19 | 日記

銀座平野屋には普段お客様の目にはふれないけれど、素敵なものが数々ございます。

それは江戸からの粋を伝える物であったり、先人の技や美を伝えるものであったり様々です。

その中で銀座平野屋には、先人の技が光る逸品もございます。

 

 

今回は5回に渡りご紹介した「飾り櫛」で、

ご紹介していないものがございましたので、

そのご紹介です。

 ✳︎以前の記事はこちらから→(その1)(その2)(その3)(その4)

 

 

まず1点目

 

 

『櫛 蔦模様透かし彫り被せ』横9.5×縦4.5cm

鼈甲台の櫛です。

まるで一枚の鼈甲のようですが、斑(ふ)の入っていない黄色の鼈甲に、

黒い鼈甲(黒甲までは黒くない鼈甲)を接着してあります。

そしてさらに、蔦模様の銀の透し彫りを黒い部分に被せたものです。

(銀の透かし彫りは大変小さな金具で取り付けてあります)

 

鼈甲の色を活かして作られた素晴らしい櫛です。

銀の透かし彫りがアクセントになっているので、

今も使えそうな櫛です。

 

 

 

 2点目です。

『梳き櫛』横9.1×縦6.6cm

こちらは飾り櫛ではありません。

「梳き櫛(すきぐし)」です。中央の竹の部分に『うみ』と入っています。

持主の名か、工房の名か、詳しくはわかりません。

そして上部に木製の鞘がついています。

この櫛は両歯のため、片方を保護し、使いやすくする為につけられたようです。

 

梳き櫛は、髪のフケなど汚れを取に使り、梳くために使われた櫛です。

歯は大変細かく、髪の毛の一本一本に至るまで梳くことができるので

髪の毛の表面を一定方向に調え、艶やかにする櫛です。

 

このように大変細かな櫛の歯のものは、

「木曽のお六櫛(おろくぐし)」と言って、

みねばりという木を用いて歯を作っています。

江戸時代から中山道の名物として知られており、

現在も長野の伝統工芸品として愛されているようです。

(木曽のお六櫛についてはこちらを参考にさせて頂きました→)

 

 

 

最後に飾り櫛と梳き櫛の、異なる櫛をご紹介しましたが

ひと口に「櫛」と言っても、目的に応じた様々な種類があるのは

大変面白いですね。

日本髪の奥深さがよくわかる道具だと思います。

 


 

(ここから長文です。読むのが大変な場合はスルーして下さい)

 

飾り櫛や笄について、この女将ブログでアップしたところ、

知人より質問がありました。

「なぜ、制作時代についてハッキリ書いていないのか」と。

 

確かに、ご紹介しました銀座平野屋所蔵の櫛や笄は

先代から伝えられておよその時代がわかるものや、

セルなど材質から制作年代が割り出せるものは数点あります。

 

ところが、もう一つの手がかりである

「作者(製作者)名」が入っているものは限られているのです。

 

作者名から制作年代が判明するものが、

平野屋所蔵のものでもいくつかございます。

 

例えば「美明」。

こちらは昭和に入っての作者のようです。

確かにピンクの塗りなどは、現代ですよね。。。

 

 


他には「揚渓」。


こちらは明治後半に「豊川揚渓」という根岸(現台東区)辺りに住んでいた人物で、

螺鈿細工で大変腕の良い職人として有名だったようです。

 

ところがこのように作者名から時代が判明するものは稀です。

そして作者名を入れるようになったのは、江戸時代後期以降のようなのです。

では、それ以前はなぜ名が入れられていないのでしょうか。

 

江戸時代は身分制度の上に、生活風俗が厳格に形成されていた時代です。

櫛笄を含めた工芸の世界でも、この特徴が存在していたようです。

大名には大名にふさわしい事物。庶民には庶民に合う事物、というように。

あまた存在していた工芸の職人は、名人と言われてもほとんど名を残しません。

それは厳格に形が決められた類型化された社会では、

職人の個性など必要なかったのです。

 

しかし、江戸時代後期の町人中心の文化になると

庶民の個性が出始めるようになります。

合わせて工芸の世界でも少しずつ職人の個性が垣間見えるようになります。

そしてついには職人(製作者)の名を刻むようになるのです。

しかし職人は市井の庶民の一員です。

ごく一部の有名な職人を除き、その名や人物が知られてない事の方が多かったのです。

職人の一覧なども残っているようですが、それは江戸など限定された地域で

全てを網羅するものではないありません。

これは明治になっても同じで、

藝大などで工芸について教えていた職人などは記録が残りますが、

多くはどんな人物だったのかわからないのです。

 

ですので、銀座平野屋所蔵の櫛笄も多くは制作時代がはっきりしないものが多いです。

しかしそこに連綿と続く職人の仕事の素晴らしさを見出すことができるのは

本当に意義深いことだと思います。

 

[参考文献]『江戸時代の美術ー絵画・彫刻・工芸・建築・書ー』辻惟雄他著。有斐閣昭和59年発行「第6章江戸時代の工芸」より

 

豊川揚渓についてはこちらのHPを参考にさせて頂きました


 


  

 

これにて銀座平野屋所蔵の櫛のご紹介はおしまいに致しとうございます。

拙い文章を長々とお読みいただきありがとうございました。

 

 

さて、次の銀座平野屋所蔵品のご紹介は、いよいよこちらの登場です(予定)

こちらは現在準備中となりますので、もう少々お待ち下さいませ。

 

 

 

 

 



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