天高群星近

☆天高く群星近し☆☆☆☆☆

短歌をはじめるべきか

2007年01月30日 | 文化・芸術

短歌をはじめるべきか

先日の1月25日で終わってしまったけれども、日経新聞の毎週木曜日の夕刊に、「現代短歌ベスト20」と題して、佐佐木幸綱氏が入門講座を連載されていた。
第一回と第二回は記事も読んだはずだったけれど、さして興味も無く印象にも残らず、どんな内容だったかも忘れてしまった。調べればわかるはずだけれど、そこまでする気にもならない。

第三回の講座では、「口語・現代語のうねり」と題して現代短歌のかっての文語・古語の伝統からの変遷が語られていた。現代歌人として若山牧水も取り上げられ、彼の歌集『みなかみ』から、

  さうだ、 あんまり自分のことばかり考えてゐた、
  四辺(あたり)は  洞(ほらあな)のやうに暗い
 
という一首が取り上げられていた。和歌の中に読点を入れ、破調も極端で、こうした作品も現代語短歌の一つとされているらしい。伝統的な和歌の概念からすれば、おそらく、とうてい和歌とも呼べない作品だろう。

もちろん、若山牧水については、

  白鳥は  哀しからずや  空の青  海のあをにも 
  染まずただよふ  
                    『海の青』

といった学校教科書に掲載されていた歌などは記憶に残っている。紙面には、その他にも山崎方代、平井弘、林あまり、穂村弘ら四人の現代歌人の名前が取り上げられていた。こうした歌人は、短歌に造詣の深い人にはなじみの深い名前なのだろうが、和歌にはほとんど関心のない私には、いずれもはじめて聞く名前ばかりである。ただ私には、そんな現代短歌を詠んでみても、古い和歌のような豊かで深い情調を見出せず、よく分からない。たとい佐佐木幸綱氏が「現代短歌ベスト20」として取り上げていたとしても、賛同する気にはなれない。

私の知っている歌人とは、時々マスコミに登場する、黛まどかさんや(この人は歌人ではなく俳人だったか)、かって『サラダ記念日』で一躍有名になった、俵 万智さんとか、全共闘世代の女性歌人で大道寺なんとかさん(失礼ながらお名前を失念してしまった)ぐらいしか知らないし、そうした歌人、俳人の作品も実際にほとんど知らないような短歌音痴である。和歌については、西行のそれか百人一首か源氏物語や伊勢物語などの古典作品に登場するもの以外には全く関心はなかった。

ただ、それが少し心動かされたのは、「現代短歌ベスト20」の最後の第四回で、和歌と戦争とのかかわりのある和歌が取り上げられているのを読んだからである。  

その中で、佐佐木氏は三枝昂之氏の評論『昭和短歌の精神史』を紹介したあとで、『渡辺直己歌集』から、

     涙拭いて  逆襲し来る敵兵は  髪長き  
     広西(カンシー)学生軍なりき

     頑強なる  抵抗せし  敵陣に
     泥にまみれし  リーダーありぬ

という二句と、宮 柊二氏の歌集『山西省』から、

     おそらくは  知らるるなけむ  一兵の
     生きの有様を  まつぶさに遂げむ

を取り上げていた。これらの歌を詠んでいて、短歌の記録性と描写力に、あらためて感銘を受けた。短歌の専門家ではない私には、もちろん、これらの短歌の破調や音韻その他の表現技巧については評価できない。主観的な印象評価しか述べることしかできない。

ただ、これらの作品の中に、その歴史的な記録性と、それに遭遇した個人の心情が、さらに一昔前の流行語で言えば、人間の実存性が表現されていると感じたことである。とすれば、短歌によっても哲学の可能性を追求できるかもしれない。

また、ふだん絵画にせよ音楽にせよ芸術的な鑑賞からは遠い、論理と概念の世界に専念しようと志している者にとって、寸暇にでも芸術的な感興に浸れる短歌は貴重である。

それに西行などの作品をたんに分析、鑑賞するだけに終わるのではなく実作することによって、芸術的なあるいは宗教的な、さらには「哲学的」な「情操」をも記録し開発するのに有効であるようにも思われた。

それで、勇気を出して、恥の上塗りを覚悟で、実作を試みてみようかと思うようになった。また、それでブログの更新がマメになるかもしれない。その他、ボケ防止(短歌を専門に創作されている方には大変失礼)や思考の訓練にさえ、意義があるかもしれない。

西行や源氏物語、伊勢物語や百人一首その他古典に登場する和歌、短歌はいずれも歴史的で奇跡的な名歌がほとんどである。それはそれとしても、たんに散文的な記録だけではなく、心情の起伏などをもふくめた「生活」を、短歌によって記録し描写することもそれなりに意義があるようにも思われた。07/01/29

それで、せっかちな私は早速作ってみることにした。

姉歯建築設計事務所によるマンションの構造計算書の偽造事件が一昨年あったばかりなのに、また新たに、水落建築士の耐震偽装問題が持ち上がっている。その建築士が設計したホテルがたまたま京都にあって、それを実際に目にしたときの気持ちを題材に「詠ん」でみた。短歌のルールにも全く無知のまま推敲もろくにせず。

耐震偽装で話題になったホテルを、ビルの窓より眺めて詠む。

     冬空の  ビルの窓より  耐震の  
     偽装記事なる  ホテル眺むる

大原野を散歩していたときを思い出して詠む。

     冬枯れの  大原野行き  聖霊の
     白き鳩舞う  逸話思ほゆ

どうかお笑いを楽しんでいただくだけでも。誰か添削指導していただければ幸いです。時間に余裕があれば練習してゆくつもりですが。
熱しやすく冷めやすく飽きっぽい私が三日坊主に終わらずに済むかどうか。最後に、アメリカ映画を見ていたときに思い出した愛好の恋歌一句をお口直しに。 こんな和歌を作れたらうれしいのですが。

   難波江の  蘆のかりねの  一夜ゆゑ 
                        身をつくしてや  恋ひわたるべき                                                                                                                                                                                『千載和歌集』皇嘉門院別当

定年退職を迎えようとされている団塊の世代の皆さんも短歌をはじめられればどうでしょう。恥じ掻きの仲間が増える?

 



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