タヌキの本陣夜討ちで始まりました。
嫌疑のかかった有楽斎にタヌキ急襲の策を伝える幸村。
しかし、本当の内通者はおでした。
密書に書かれていたおとはだれか?
以前にも記しましたが、自らの欲で裏切った事で悪名高き者、
大坂城台所頭の大角与左衛門の事。
有楽斎に策を伝えているときも後ろでしっかり聞いていました。
タヌキ急襲を任された佐助。
きりに求婚するも瞬殺!!!され消えました。笑えました。
有楽斎は自らを、徳川との懸け橋だと言っていますが
その通じ方があまりにも徳川の言いなりとなっている為
大角与左衛門ほどの裏切りではないにしろ
幸村が執ろうとした策をことごとく反故にしてきた事を考えると
追い出しておかなければならない存在であったことは確かだと思います。
佐助によるタヌキ急襲。しかしそれは影武者でした(´・ω・`)シャボーン。
多くの戦国武将には影武者いたと言われます。
当然、幸村にも影武者がいたと言われています。
タヌキの影武者伝説には有名なものが2つと大坂夏の陣後のものとあるようですが
ここで影武者登場とは。
タヌキの影武者が登場したのであれば幸村の影武者も登場してほしいなぁ。
新たな策を打ち立てた幸村。
真田丸や大坂城の堀が和睦によって破却埋立られてしまった。
では別の場所に要害となる防御施設を作ればよいと。
茶臼山と岡山を結ぶ大規模な空堀普請。
この時点でも勝つためにと諦めない幸村。
ここ来てようやく修理が腹を決め、大蔵卿を一蹴。
牢人衆の血気盛んな心を鎮めようと次々と策をたてる幸村。
そして、重大な策を秀頼に伝える。
茶々と千を前にして何れは大坂を離れる事を伝える秀頼。
源次郎がいれば心配ないという茶々に、
戦場で流れ弾に当たって居なくなるかもしれないという源次郎。
大事な人をたくさん戦場で亡くしてきた茶々にとって
源次郎の言葉は非常に不安な気持ちにさせた。
源次郎も来てくれるのであろうなぁと言う茶々に
わずかにほほ笑むことで茶々の懐柔に成功。
盛親にお伺いを立てる幸村。
まだあきらめていないという幸村に対し盛親も本心を言う。
秀頼に譲るのならということで行った場所が淡路島。
土佐に比べたらって思いますが水軍を率いた長宗我部家にとっては京や大坂、堺、西国に目を光らせることが出来る場所。
この時のBGMは勿忘草。切ないですね。夢と散るわけですから。
江戸に帰りたいという千に聞かなかった事とした幸村。
以前から千の不安な気持ちを感じ取っていたいましたが、そう易々と手放すわけもなくましてや幸村が決められる事ではありませんでした。
久しぶりの再会。
三十郎はその足音ですぐに源次郎が来たことに気づく。
茂誠や信吉、信政に挨拶。
信吉、信政それぞれが幸村を見る目の違い表情の違いが垣間見れました。
そして、大助が二人に対して挨拶。
そんな大助を
信吉の嬉しそうな表情と
信政の敵対の表情で見つめました。
畑での会話はほのぼの。内記ときり。真田丸では、内記の願いは叶いませんでしたが、幸村の下で親子共々過ごせたことに感慨深げです。
幸村と茂誠、三十郎との3人の会話。
茂誠の徳川を追い払った後は?の問いに上田に戻りたい。
良いセリフを入れてくれました。感激です。
でもホントに戻りたかったんだろうなぁ。
父昌幸が必死になってあらゆる手を使って守った地に。
大助に対し親しみを感じた信吉と
幸村は大罪人と罵倒する信政。
大助もその父も一族と思ったことはないわ!
この一言は非常にキツイ、キツイ。
大助も小さい頃に言われた事を思い出してしまったことでしょう。
正直、信政の人となりについては良く分かりませんが、ここまで言う人だったのか?
伝わっている話では父信之とも対立したことがあるようで
その言動に信之は立腹したと、そんなことがあればそんな感じだったのかな。
真田丸では、
こう(元々真田の人)の子と
稲(元々徳川の人)の子として
それぞれの母の生い立ちによって
信吉は根っから真田の人として
信政は根っから徳川の人として
対立?性格や考え方を対比させて描かれています。
信之の子孫、信吉や信政にその子達の頃は非常に不安定なお家事情でした。
事の発端というかその根源は
昌幸が上田(3万8000石)、信幸が沼田(2万7000石)と
分かれてそれそれが領地経営するようになってからだと思います。
しかし、昌幸は独立し大名となった信幸を誇らしく思ったことでしょう。
真田家を継ぎ上田も継ぎ大坂夏の陣後に沼田から上田に移った信之は
信吉に沼田を相続するという父昌幸と同じ事をしました。
信之は松代移封後、特に大変苦慮したと思います。
信吉の早世をきっかけに孫の代に松代と沼田が険悪な関係(家督相続問題)に。
更に信政にも先立たれましたが、この家督相続を解決し没しました。
茂誠に敵陣に馬で突き入る際は槍かと問うと鉄砲が良いと。
しかし、槍も鉄砲も結局は囲まれやすいと、ましてや敵の本陣など・・・
といったところで、幸村の真意を茂誠は察しました。もしや・・・そんな幸村を止めることはできませんでした。
そんな時、大坂城内の利休の茶室跡という場所で耕作していた作兵衛が何やら見つける。
その箱の中身は、勝永に見せると馬上筒だと。利休が隠し持っていた短銃。
それを手にしてしまった幸村。これである意味で覚悟が出来てしまった。
タヌキからの牢人衆退去の催促が秀頼の手に届く。
牢人衆の支度金の心配。
そんな時、主馬がやらかしてしまいました。勝手に金銀米を持ち出してしまう。
それがきっかけで皆に分け与える羽目となり、それが事態を更に悪化される。
こぞって武具を購入。そのことがタヌキの耳に入る。修理が主馬に襲われ自体は悪化の一途。更に主馬の暴挙は続き堀の堀返しを始めてしまった。堀返しの事もタヌキの耳に入り、いよいよ戦支度。
この期に及んでも幸村の思うようには事が運ばず。
遂に幸村も死の覚悟をしてしまったのか?
松や茂誠、すえの夫石合十蔵に宛てた書状ではその胸の内の葛藤が書き記されていると見てとれるのです。会って話したいと言いながら、もう亡き者と言ったり。
諦めない心と刺違える覚悟。
諦めない、勝つ為という気持ちから徐々に刺違える覚悟へ(´・ω・`)
お兄ちゃんにはわかる弟の気持ち・覚悟。ああああぁぁぁ・・・
あと2回・・・
嫌疑のかかった有楽斎にタヌキ急襲の策を伝える幸村。
しかし、本当の内通者はおでした。
密書に書かれていたおとはだれか?
以前にも記しましたが、自らの欲で裏切った事で悪名高き者、
大坂城台所頭の大角与左衛門の事。
有楽斎に策を伝えているときも後ろでしっかり聞いていました。
タヌキ急襲を任された佐助。
きりに求婚するも瞬殺!!!され消えました。笑えました。
有楽斎は自らを、徳川との懸け橋だと言っていますが
その通じ方があまりにも徳川の言いなりとなっている為
大角与左衛門ほどの裏切りではないにしろ
幸村が執ろうとした策をことごとく反故にしてきた事を考えると
追い出しておかなければならない存在であったことは確かだと思います。
佐助によるタヌキ急襲。しかしそれは影武者でした(´・ω・`)シャボーン。
多くの戦国武将には影武者いたと言われます。
当然、幸村にも影武者がいたと言われています。
タヌキの影武者伝説には有名なものが2つと大坂夏の陣後のものとあるようですが
ここで影武者登場とは。
タヌキの影武者が登場したのであれば幸村の影武者も登場してほしいなぁ。
新たな策を打ち立てた幸村。
真田丸や大坂城の堀が和睦によって破却埋立られてしまった。
では別の場所に要害となる防御施設を作ればよいと。
茶臼山と岡山を結ぶ大規模な空堀普請。
この時点でも勝つためにと諦めない幸村。
ここ来てようやく修理が腹を決め、大蔵卿を一蹴。
牢人衆の血気盛んな心を鎮めようと次々と策をたてる幸村。
そして、重大な策を秀頼に伝える。
茶々と千を前にして何れは大坂を離れる事を伝える秀頼。
源次郎がいれば心配ないという茶々に、
戦場で流れ弾に当たって居なくなるかもしれないという源次郎。
大事な人をたくさん戦場で亡くしてきた茶々にとって
源次郎の言葉は非常に不安な気持ちにさせた。
源次郎も来てくれるのであろうなぁと言う茶々に
わずかにほほ笑むことで茶々の懐柔に成功。
盛親にお伺いを立てる幸村。
まだあきらめていないという幸村に対し盛親も本心を言う。
秀頼に譲るのならということで行った場所が淡路島。
土佐に比べたらって思いますが水軍を率いた長宗我部家にとっては京や大坂、堺、西国に目を光らせることが出来る場所。
この時のBGMは勿忘草。切ないですね。夢と散るわけですから。
江戸に帰りたいという千に聞かなかった事とした幸村。
以前から千の不安な気持ちを感じ取っていたいましたが、そう易々と手放すわけもなくましてや幸村が決められる事ではありませんでした。
久しぶりの再会。
三十郎はその足音ですぐに源次郎が来たことに気づく。
茂誠や信吉、信政に挨拶。
信吉、信政それぞれが幸村を見る目の違い表情の違いが垣間見れました。
そして、大助が二人に対して挨拶。
そんな大助を
信吉の嬉しそうな表情と
信政の敵対の表情で見つめました。
畑での会話はほのぼの。内記ときり。真田丸では、内記の願いは叶いませんでしたが、幸村の下で親子共々過ごせたことに感慨深げです。
幸村と茂誠、三十郎との3人の会話。
茂誠の徳川を追い払った後は?の問いに上田に戻りたい。
良いセリフを入れてくれました。感激です。
でもホントに戻りたかったんだろうなぁ。
父昌幸が必死になってあらゆる手を使って守った地に。
大助に対し親しみを感じた信吉と
幸村は大罪人と罵倒する信政。
大助もその父も一族と思ったことはないわ!
この一言は非常にキツイ、キツイ。
大助も小さい頃に言われた事を思い出してしまったことでしょう。
正直、信政の人となりについては良く分かりませんが、ここまで言う人だったのか?
伝わっている話では父信之とも対立したことがあるようで
その言動に信之は立腹したと、そんなことがあればそんな感じだったのかな。
真田丸では、
こう(元々真田の人)の子と
稲(元々徳川の人)の子として
それぞれの母の生い立ちによって
信吉は根っから真田の人として
信政は根っから徳川の人として
対立?性格や考え方を対比させて描かれています。
信之の子孫、信吉や信政にその子達の頃は非常に不安定なお家事情でした。
事の発端というかその根源は
昌幸が上田(3万8000石)、信幸が沼田(2万7000石)と
分かれてそれそれが領地経営するようになってからだと思います。
しかし、昌幸は独立し大名となった信幸を誇らしく思ったことでしょう。
真田家を継ぎ上田も継ぎ大坂夏の陣後に沼田から上田に移った信之は
信吉に沼田を相続するという父昌幸と同じ事をしました。
信之は松代移封後、特に大変苦慮したと思います。
信吉の早世をきっかけに孫の代に松代と沼田が険悪な関係(家督相続問題)に。
更に信政にも先立たれましたが、この家督相続を解決し没しました。
茂誠に敵陣に馬で突き入る際は槍かと問うと鉄砲が良いと。
しかし、槍も鉄砲も結局は囲まれやすいと、ましてや敵の本陣など・・・
といったところで、幸村の真意を茂誠は察しました。もしや・・・そんな幸村を止めることはできませんでした。
そんな時、大坂城内の利休の茶室跡という場所で耕作していた作兵衛が何やら見つける。
その箱の中身は、勝永に見せると馬上筒だと。利休が隠し持っていた短銃。
それを手にしてしまった幸村。これである意味で覚悟が出来てしまった。
タヌキからの牢人衆退去の催促が秀頼の手に届く。
牢人衆の支度金の心配。
そんな時、主馬がやらかしてしまいました。勝手に金銀米を持ち出してしまう。
それがきっかけで皆に分け与える羽目となり、それが事態を更に悪化される。
こぞって武具を購入。そのことがタヌキの耳に入る。修理が主馬に襲われ自体は悪化の一途。更に主馬の暴挙は続き堀の堀返しを始めてしまった。堀返しの事もタヌキの耳に入り、いよいよ戦支度。
この期に及んでも幸村の思うようには事が運ばず。
遂に幸村も死の覚悟をしてしまったのか?
松や茂誠、すえの夫石合十蔵に宛てた書状ではその胸の内の葛藤が書き記されていると見てとれるのです。会って話したいと言いながら、もう亡き者と言ったり。
諦めない心と刺違える覚悟。
諦めない、勝つ為という気持ちから徐々に刺違える覚悟へ(´・ω・`)
お兄ちゃんにはわかる弟の気持ち・覚悟。ああああぁぁぁ・・・
あと2回・・・