娘へ、
今日は何がしたいかわからないとき、お父さんがどう道を決めてきたかについて話そう。
周りでは明確な夢を持ち、したいことがわかっていて、夢の実現に迷わず突き進む友達もいるだろう。
でも多くの人は一瞬だけ「これがしたい」と思ってもその実現に多くの壁が立ちはだかり、「自分には無理ではないか」と思ってしまう。
そんなタイミングで他に面白そうなものが目に入れば、そっちに目移りしてしまって、ふらふらして何もできていない、、、、。なんてことはよくあると思う。
特に20代は考え方も柔軟で、何をやっても成長を感じられる年代である一方、選択肢も多いから目の前にある沢山のチャンスと
選択しの迷いから生じる行動力の鈍化に焦りを覚えることもあると思う。
お父さんにも同じような経験をしている。これが正解ではないかもしれないけど、お父さんは自分のやりたいことがわからないとき、
人に必要とされていることを優先に考えて道や行先を選んできた。
キャリアも自分がやりたいということよりも、自分ができることで、人に必要とされるところを基準に選んだりもした。
そうすると貢献の機会も多くあり、感謝されることも多い。自己肯定感が自然と高まってくるんだ。
自己肯定感が高まれば、「自分はもっとできるんじゃないか」と思えることがある。
そのステップを踏むとなんとなく「こんな事がしたい」と思うよになり、壁にぶつかっても「できるかも。必要とされていることだし」と思いながら継続できる。
周囲で自分よりも社会的に成功している人も多くいる。そういう人たちに蔑まれている感じることもあるかもしれない。
でも一つ言えるのは、その人たちとは目指しているフィールドも成功の基準軸も違うということ。
誰かの役に立っている感覚があれば、自己肯定感も芽生え、周囲の視線は意外と気にならなくなる。
いや、多少は気になるかもしれないけど、必要とされることをしていれば、必ず見てくれる人、支援してくれる人が現れるものだ。
自分の感覚で、一瞬の感情で、人にも必要とされていない判断をしてしまうと結果が出ないときに本当に落ち込んでしまうだろう。
支えてくれる人も多くはないかもしれない。つながりや絆のない中で生きていくことほどしんどいことはないだろう。
何がしたいかがわからないときは、周りの大事にしている人に聞いてみよう。「君の為に何ができるかな」。
きっと大事にしているひとなら、真剣にこたえてくれるはず。
父より
今日は何がしたいかわからないとき、お父さんがどう道を決めてきたかについて話そう。
周りでは明確な夢を持ち、したいことがわかっていて、夢の実現に迷わず突き進む友達もいるだろう。
でも多くの人は一瞬だけ「これがしたい」と思ってもその実現に多くの壁が立ちはだかり、「自分には無理ではないか」と思ってしまう。
そんなタイミングで他に面白そうなものが目に入れば、そっちに目移りしてしまって、ふらふらして何もできていない、、、、。なんてことはよくあると思う。
特に20代は考え方も柔軟で、何をやっても成長を感じられる年代である一方、選択肢も多いから目の前にある沢山のチャンスと
選択しの迷いから生じる行動力の鈍化に焦りを覚えることもあると思う。
お父さんにも同じような経験をしている。これが正解ではないかもしれないけど、お父さんは自分のやりたいことがわからないとき、
人に必要とされていることを優先に考えて道や行先を選んできた。
キャリアも自分がやりたいということよりも、自分ができることで、人に必要とされるところを基準に選んだりもした。
そうすると貢献の機会も多くあり、感謝されることも多い。自己肯定感が自然と高まってくるんだ。
自己肯定感が高まれば、「自分はもっとできるんじゃないか」と思えることがある。
そのステップを踏むとなんとなく「こんな事がしたい」と思うよになり、壁にぶつかっても「できるかも。必要とされていることだし」と思いながら継続できる。
周囲で自分よりも社会的に成功している人も多くいる。そういう人たちに蔑まれている感じることもあるかもしれない。
でも一つ言えるのは、その人たちとは目指しているフィールドも成功の基準軸も違うということ。
誰かの役に立っている感覚があれば、自己肯定感も芽生え、周囲の視線は意外と気にならなくなる。
いや、多少は気になるかもしれないけど、必要とされることをしていれば、必ず見てくれる人、支援してくれる人が現れるものだ。
自分の感覚で、一瞬の感情で、人にも必要とされていない判断をしてしまうと結果が出ないときに本当に落ち込んでしまうだろう。
支えてくれる人も多くはないかもしれない。つながりや絆のない中で生きていくことほどしんどいことはないだろう。
何がしたいかがわからないときは、周りの大事にしている人に聞いてみよう。「君の為に何ができるかな」。
きっと大事にしているひとなら、真剣にこたえてくれるはず。
父より