広島と同じく、暑い祈りの日になりました。
11時2分の時刻まで、お盆休みを前に汗だくになりながら、75年前の今日もきっと、長崎の人たちもこんな風に家事や仕事に励んでいたのだろうな、とか、原爆がさく裂した瞬間に較べればこの暑さなど大したものではないのだろうという思いが頭をよぎっていました。
暑くてしんどくても、当たり前の日常の仕事をこなすことが出来ることのありがたみを改めて感謝もしました。
なんとか11時前に掃除を終わり、11時2分には姿勢を正して黙とうを行うことが出来ました。
ここでも規模を縮小した祈念式典でしたが、核兵器廃絶への決意を力強く訴える長崎市長の平和宣言、小学生や高校生たちによる歌声…それらは決して縮小などはしていません。
平和を願う思いは夏の暑さにもコロナウイルスにも負けてない。
若者が中心になって行われる祈念式典を見ていると、核兵器が未だに存在し、その脅威に依存しようとする為政者がいることへの大きな不安を感じながらも、若人達の心意気に希望をも思う事ができました。
亡くなられた皆様、そして共に熱線と爆風にその命を奪われたすべての生き物の冥福を心からお祈りします。
75年目の今日に伝えられた記事を記録としてここにリンクを貼ります。