交流分析士の勉強を始めると、
心理学のおもしろさに日に日に惹かれていくようになりました。
自分はどんな性格なのか…、
自分がどうしてこう考えるようになったのか…など、
自分への理解が深まると同時に、
子どもたちのいろいろな現れの意味が
少しずつわかってきました。
とはいえ、今思えばまだまだひよっこです。
それはわかったつもりになっているだけで、
全然わかってはいなかったのです。
それでも、自己理解はどんどん深まっていって、
思ったことは何でも言う性格だったのに、
これって本当に言っていいことなのかな…なんて考えるようになり、
次第に人との関わりが消極的になっていくのを感じました。
井の中の蛙が、外界に出たため、
臆病になったとでも言うところでしょうか…(笑)。
交流分析を学び始めて、資格を取りだして4年くらいが経った頃、
子どもたちも成長して学費がかかるようになってきていました。
当時、中学校にスクールカウンセラーを配置するという計画が進んでいました。
しかし、臨床心理士の数が少なく、それに変わる準カウンセラーを捜していました。
臨床心理士の友だちから、やってみないかと言われ、
金銭的にもそれならやっていけると思い教育委員会に履歴書を出したのですが、
あっけなく落とされてしまいました。
今思えば当たり前のことなのですが、がっくりしたことは言うまでもありません。
今までやっていた編集の仕事も辞めていました。
自分の中で次のステップに進みたいと強く思っていたからです。
やめた事による不安や落とされた事による落胆など、
当時は、本当に先の見えない不安な日々を過ごしていたのだと思います。
雑誌の中に書かれていた『一生懸命やっていれば道は拓けてくる』という言葉だけが
当時の私の心の支えでした。(つづく)