三河武士がゆく

日本史や地域のお話し。
特に幕末や戦史をメインにしています。

豊橋市がおかしい 市長対市議会 みんな責任重んじて行動せよ!

2024年12月28日 13時22分03秒 | 雑記
豊橋市がおかしい 市長対市議会 みんな責任重んじて行動せよ!

「恐竜」騒動以来、まあまあ、平穏であった、のんびりしていた豊橋市がキナクサくなってきている。

自分たちの考えを通したいために、住民投票をしない。
自分たちの考えと違っていたから、住民投票をしようとした。
でも、いろいろあってやめた。

では、問いたくもなる。

最初から住民投票を認めていれば、現状とか異なった結果になっていたと思われるのに、なぜ、住民投票を認めなかったのか?

自分たちの思惑と違った結果(市長選挙の結果)となったことで、逆の立場で住民投票を求めた。しかし、やめた。

やめるのだったら、なぜ、住民投票を求めるような行動に出たのか?
※住民票取り止めるべき理由を述べてはいるが、それは最初から明らかであったのではないか?なぜ、この時点で住民票を求める動きに出たのか?という意味

自分たちの思惑と異なった結果になった事で、急きょルール改正をした。
(反対側は、ここを突いている)

しかし、ルール改正も、ルールにのっとっておこなわれている。

それはそれで良い。民主主義のルールだから。(真髄であるかどうか?)

あとは、

粛々と地方自治法第178条の規定にそって、ことを進めたら良い。

民主主義である以上、折り合いがつかなければ、最終的に道は決まっている。

不信任を受けたら、議会解散か、失職かということ。

これが一番わかりやすい。

政治家は、政治に関して責任をとるべき。
それは、現職で無くても、過去の自分の判断が間違っていれば、他人に言われる前に認めて責任を負うのが、武士道。
人の道でもあると思っている。
その覚悟があって、政治家は動いているのだと思いたい。

それができなければ、政治家にならない方がよい。

はやく、騒動がおさまってほしいと願う人がイチバン多いのかもね。

200億円の使い道。

本当に困っている人とか福祉施設、公共医療機関にお金を回す事ができないのかね。
それを考えるのが、政治家ななのでは???



■宮城事件(8・15事件)と外務省の二人 阿南惟茂氏のお悔やみ記事を見て思う

2024年12月25日 12時44分44秒 | 戦争
■宮城事件(8・15事件)と外務省の二人 2002年05月22日

阿南惟茂氏(83歳)が、11月13日亡くなったことを、新聞のお悔やみ欄で知りました。以前この方や父親である阿南惟幾陸相について書いた事を思い出しました。記事を書いた2002年5月は、「瀋陽総領事館事件」が発生した時期です。

各紙のお悔やみ記事では、父親である阿南惟幾陸相について、ポツダム宣言受諾を拒否し、自決したという紹介が目に付きました。

ただ、特攻作戦に関しては否定的であったのかと思われます。昭和20年、陸軍航空総監であった阿南は、特攻を任務とする軍令上の正式部隊の編成を企図した大本営に対して、統帥の道に反し、皇軍編成の冒涜であるとして強く反対意見を述べたそうです(共に反対意見を述べた航空総監部次長であった河辺虎四郎の手記)。しかし、総監であった期間は短く、まもなく陸相となり、陸軍全体の立場を背負う事になります。


■宮城事件(8・15事件)と外務省の二人 2002年05月22日

昭和20年8月15日、徹底抗戦と国体の護持を主張する将校たちによって皇居が占拠されるという事件が起こりました。私がこの事件を知ったのは、テレビで映画化された『日本のいちばん長い日』を見たときでした。以後何回も見直しています。最近問題となっている亡命事件に接し、この映画のシーンの数々を思い出しました。

将校たちは、近衛師団や東部軍を動かそうとしましたが、決起に反対した森近衛師団長を殺害します。そして、偽の師団命令書を作成して近衛師団の一部兵力をもって皇居を占拠したのです。しかし、東部軍は動かず、田中静壱東部軍管区指令官(のち自決)が皇居に乗り込み首謀者の説得にあたったため事態は収束していきます。

その中、阿南惟幾陸軍大臣は、「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」という遺書を残し陸相官邸で自決しました。クーデタは失敗に終わり、首謀者の将校たちの多くは自決しました。

皇居占拠中に終戦の玉音放送を録音した録音盤(玉音盤)を奪おうとしたため、録音盤(玉音盤)奪取事件と言われることがありますが、実質は陸軍将校によるクーデタ未遂事件なのです。血眼になって録音盤を探し求める兵士に銃剣を突きつけられながら必死になって録音盤の在処を隠し通した宮中の人々の姿も映画に描かれています。

この自決した陸軍大臣阿南惟幾こそ、阿南惟茂中国大使の父親であり、阿南陸相と終戦の時期や方法をめぐり対立してた外務大臣東郷茂徳は、先に免職となった東郷和彦元オランダ大使の祖父なのです。

父親が割腹自決を遂げたとき、阿南中国大使は4歳でした。兄は中国戦線で戦死しております。尊い肉親の命を奪った戦争に対して彼はどんな思いで戦後を生きてきたのでしょうか。父の割腹自決は彼にどのような影響を与えたでしょうか。

角田房子さんの『一死、大罪を謝す』の中に、「血潮で濡れた下着類を着替えさせる必要があり、林秘書官が箪笥の中を探したが、洗いざらしの古いものしか見つからなかった(中略)のち阿南夫人とともに官邸に来た令息たちの服装も、古ぼけた、きわめて質素なものであった」という、当時陸相官邸に駆けつけた人の話が載っています。阿南惟幾という人は清廉な人であったといいます。

終戦の時期や方法をめぐり阿南陸相と対立した東郷茂徳外務大臣の孫が、このたび処分された駐オランダ大使の東郷氏です。無理矢理こじつける必要はないですが、なんか思いついたので書いてみました。東郷茂徳は三国同盟に反対していたため、松岡外相によって更迭されました。その後、東條英機内閣の外務大臣として、対米交渉にあたることになりましたが、ついに開戦となり、翌年辞職しました。戦後A級戦犯として巣鴨プリズンに服役中に病死しています。敗軍の将として責任を負って死ななければならなかった軍人を父に持つ阿南大使と、三国同盟に反対し、対米戦回避の努力をしながらも、A級戦犯として獄中で病死した外交官を祖父に持つ東郷元大使ですが、日本の歴史上、重要な役割を背負いながらも時代に翻弄され、不運な最期を遂げた父や祖父のことをどのように思いながら、外交官となり、日本の外交の舵取りをしてきたのでしょうか。父や祖父が彼らに与えた影響は少なくないと思うのです。

豊橋空襲と豊橋球場 もう、取り壊されてしまったのか?

2024年12月24日 23時18分20秒 | 戦争ー空襲
豊橋空襲と豊橋球場 もう、取り壊されてしまったのか?

嗚呼!豊橋球場が取り壊されるのか?
額ビルが取り壊されて、豊橋球場の土手が空襲の隠れた遺跡でもあった。
ほとんどの豊橋市民が知っているであろうという思い込みがあった。

いとも簡単に壊してしまうんだ。
知っていて壊すのだろうか?
何か、少しでも、モニュメントとして残すのだろうか?
元市長の年齢からして、知っていないはずはない。
これも思い込みか?
長年豊橋から離れていたので、忘れてしまったのか?
気にも留めなかったとしたら、実にさびしいものだ。

わたしの家も空襲で焼かれ、復員してきた父は、家のあるべき場所に何もないので、おどろいたことだろう。(わたしは生まれていない)

家族は、父の母(私の祖母)の実家に疎開しており、無事だったとの事。

空襲被害に対する補償は無く、しばらくは、木の皮で葺いた屋根の掘っ建て小屋のような家に住んでいたという話しを、父の従弟から聞いた事がある。

戦争も昔の事だから、気にも留めない若者が増えているのは仕方が無い。
教育の失敗、汚点でもある。
犠牲となった英霊たちは、忘れ去られていくことにどんな思いでいるのだろうか。
豊橋新アリーナのことなど、どーでも良いのだ。
「わたしたちの犠牲を忘れないでほしい!」
と言っているのかも知れない。

合掌

無難に慣用読み? 固執(こしゅう)と言っても良い?

2024年11月07日 12時12分26秒 | 雑記
無難に慣用読み? 固執(こしゅう)と言っても良い?

あるビジネスマナーのサイトに、「固執」を「こしゅう」と読みのは相手から違和感をもたれるので避けた方が良いと書かれていました。

私は、これに「違和感」をおぼえました。

相手が、本来の読み方を知っていたら、どうなのでしょうか?

慣用読みと本来の読み方を意識せずに取り混ぜて使っているのが現状だと思います。それが、自然でお互い窮屈でないマナーといえるでしょう。

相手が「『こしつ』では?」と問いただしてきたときに、こちらがどのような対応をするのかが、大事。

「こしゅう」「こしつ」、どちらでもよい。
ということを知っていたほうが幅は広がるかも知れませんが、どちらでもいいのです。

中身が問題。

諸国民の中の正義の人や一人の命を救う者

2024年09月27日 10時20分40秒 | 雑記
多くのユダヤ人を救った杉浦千畝は、イスラエルより「諸国民の中の正義の人」という称号を受けました。その 勲章の裏には「一人の命を救う者が全世界を救う」という文が書かれているそうです。
 
人一人の命は尊いものである。
しかし、戦争となると、殺し合いのなかで、尊厳は無惨に損なわれていく。
 
憎しみと悲しみの輪廻の中では、一人の命を救う者はいても、全世界を救うのは困難なのかと悲観しています。
 
ただ、諸国民の中の正義の人は多くいると思います。
 

最近のマスク着用状況 ディーラー編(同じ会社で違う対応も)

2024年09月26日 14時56分46秒 | 雑記

①最近、トヨタカローラ○○へ点検のため訪れました。多分全員マスク着用。私の接客担当は、間違いなくマスク着用でした。

②これも最近のことです。

おなじディーラーの《少し離れた市の別店舗》へ、点検のため訪れた友人から報告あり。

見た範囲で、店員が、だれもマスク着用していない!

(もちろん、マスク着用していた人がいたかも知れない)

整備の人だけ顎マスクだったうです。

※友人は、コロナでたいへんな目に遭って、長いこと後遺症に悩まされていましたので、そこには敏感に反応するようです。

点検は30分くらい見て欲しいといわれるので、店外へでるわけでもなく、スマホいじりながらじっと座っているだけ。

そうそう、私の行く店舗は、飲みものはセルサービスですが、その友人の場合は、店員が持ってきてくれるサービスです。

「マスクしていない人に飲みもの持ってきて欲しくないよね」と私は言いました。

 

ただ、これだけのお話しです。


最近のマスク着用状況 ドラッグストア編(同じ会社で違う対応も)

2024年09月26日 14時35分50秒 | 雑記

義務とか義務で無いという話ではありません。

マスクをしていないと不愉快だという個人的な、些細な話しです。

 

①約1ヶ月前、ドラッグストアで、咳き込んでいる人(マスク着用)がいました。赤ちゃんをカートに乗せたお母さんが、慌ててマスクを付けました。店員は全員マスク着用(○ス○○)。

②1ヶ月以上前、夜間のドラッグストアで買い物。レジを待つ。

レジには2人の定員。1人は女性(マスク着用)、もう1人は男性(マスクなし)(スギヤマではない)。

私は、男性のレジにはまったら、迷うこと無くマスクを付けるように要請するか、レジを拒否しようと思っていたら、女性のレジへ。

※同じドラッグストアの別店舗で働く友人に、この話をしたら、友人の店舗は全員マスク着用とのこと。

そもそも、薬局(調剤もしている)なのだから、体調が悪い人が来る確率は高いのではないか?


少しでも歴史に疑問があれば、調べてみましょう

2024年08月30日 11時26分31秒 | 歴史
この2-3年のことだが、内山彦次郎暗殺に興味をもって調べてきた。
小野友五郎の時も同じであるが、歴史の定説には間違いがあるもので、それは、意図せずそうなったのか、わざとそのようにしたのか、理由は様々だが、著名な人の言動や著作によって、信用され、さらに一人歩きすることもある。
だから、歴史は少しでも変だと感じたら、疑って調べる必要があり、面白い。

文久3年、大坂町奉行所与力内山彦次郎が何者かによって惨殺された。維新のどさくさでお蔵入りとなるが、西村兼文「新撰組始末記」によって、新選組犯人説が流れた。
更に、元新選組永倉新八の証言によって、西村の説はいっそう信憑性を帯びた。

しかし、犯人新選組説にはいくつかの疑問があることは、以前から指摘されていた。
極めつけは、真犯人は別にいるという史料の存在がわかっていながら、なぜか重視されなかった。

平成頃から、新選組説は姿を消し、令和になった今では、新規の出版物に見ることはない(たぶん)。

コメ・食糧の安全保障と想像力・対応力

2024年08月28日 19時17分15秒 | 雑記

コメ・食糧の安全保障と想像力・対応力

おどろくことに、戦前の政治家、軍の指導者たちのなかには、おそろしく、想像力と対応力(実情に適した決断と実行力)に欠けていたことがわかってきている。

・開戦決定までの過程
・緒戦での勝利後の方針が決定できない(考えていない、統一できない)
・敗戦(戦争の継続)が確実になった段階での戦争終結への方針が決まらない(終戦までに多くの命が失われた)


昨年の米の収穫は、不作ではない。
では、どこに米があるのか?
様々な要因があると、マスコミは言っているが、大きな原因は、米政策にある。

食生活の変化、減反政策は、食料安全保障リスクの上昇という生命に関わる問題を引きおこしてきた。

一度荒廃した水田は、簡単には元に戻らないという。
農家が米を作らなくなれば、次世代の作り手も減少していく。

外国の安価な資源に頼る構造になるので、国内産業は弱体化して、為替の変動や気候変動の影響を受けやすくなるのは確実である。

世界が食糧危機になった時、いったい、どこの国が助けてくれるのか?
食料問題ではないが、コロナワクチンはどうだったか?

さて、昨日の農水大臣の言によれば、備蓄米を出さないという。
誰が、いつ、助けを必要としているのかが、わかっているのに。

「昭和恐慌」が、その後の日本の動向に与えた影響はかなり大きい。
なぜ、恐慌となったのか?
何を優先したのか?

令和の「大塩の乱」「米騒動」「昭和恐慌」とならないためにも、何を優先していくのかを考えて、速に実行して頂きたい。


今日は、豊川海軍工廠が爆撃された日です

2024年08月07日 14時19分11秒 | 戦争ー空襲
昭和20年8月7日、豊川海軍工廠が爆撃され、約2600人(約2800人とも)の命が犠牲となった。勤労動員された学徒約450人も含まれている。


昨日の中日新聞社朝刊に、九死に一生を得た方の証言があった。
そのなかに、いつもは「総員退避」の前に出される「女子、学徒退避」がなかったとあった。鉄帽を被り屋外に出たときには、すでにB29が上空にあった。


「総員退避」の発令が遅く、「女子、学徒退避」を発令する余裕はなかったということ。


ところが、石川県出身の女子挺身隊員を中心にした証言集、『ああ豊川女子挺身隊 8.7豊川海軍工廠の悲劇』(昭和38年)には、当時、防空発令室にあった海軍報道班員の方の証言として、「空襲警報」の後、「女子ならびに低学年学徒退避」が発令され、この報道班員の方が、マイクに向って工廠内に知らせたとある。
そして、その後で「総員退避」が発令されたということになっている。


「女子ならびに低学年学徒退避」あるいは、「女子、学徒退避」が発令されたのか、という問題について、近藤恒次氏が『学徒動員と豊川海軍工廠』(昭和52年)で言及された。近藤氏は、豊橋市立工業学校の動員学徒付添教官であり、担任の生徒と共に火工部第二弾莢工場にあり被爆している(同工場では愛知高等実習女学校生徒も働いていた)。


近藤氏によれば、「総員退避」の5分前に発令される「女子ならびに低学年学徒退避」命令はなく、「総員退避」の時には、B29は頭上にあったという。工廠外へ退避する余裕はなく、至近にある防空壕に逃げ込むのが精一杯だった。実習女学校生徒の方は、防空壕に爆弾の直撃を受けて亡くなっている。


道具を持って逃げたとしても、5分早ければ、5分遠くへ逃げられた事には間違いはないと思う。なぜ、「総員退避」が遅く、「女子ならびに低学年学徒退避」も発令されなかったのだろうという疑問は、当然多くの方が持っておられたはずだ。


近藤氏はこの件について、昭和49年、空襲時に防空発令室にあった工廠長の副官の方から直接、当時の事情を聞き取っている。これによれば、生産か退避かの板挟みで、「女子ならびに低学年学徒退避」発令の余裕がなかったということである。(『学徒動員と豊川海軍工廠』66頁の注7)


工廠長の判断を鈍らせたものは何だったのか?


「七月三十日午前十時頃、動員学徒付添教官の非常呼集があり、工廠長より直接の指示があった、今朝空襲警報が発令された際、一部の大学動員学徒が工廠の命令なく退避したことに対する厳重な訓戒であった。すなわち、今や兵器の生産は焦眉の急であり、瞬時たりともおろそかにすることはできぬ。動員学徒は当工廠長の全責任において、廠長の命令に従うべきことを厳守せよというのであった。如何なる事態が生じようとも、廠長の命なくして行動することは一切許されぬことを再確認したのである」(『学徒動員と豊川海軍工廠』51頁)


人の命よりも、兵器の生産が優先されたのである。




※経済を優先するか、人命か?
過去も現在も今後も、避けては通れない問題が現れる。自然破壊、産業公害、コロナも、何を最優先するのか?いざという時に、その人の性格の本質的な部分が如実にあらわれる。とくに、背負っているものが大きければ大きいほど(ポジション)、判断を誤れば、人的被害は大きくなる(人が多く死ぬ)。


大人は、○○よりも命が軽視された時代や出来事をしっかりと次の世代に伝えて、正面から向き合って、考えてもらうようにして行かなければならない。


命よりも重いものが当然のように現れたら、また悲劇は繰り返される。