三河武士がゆく

日本史や地域のお話し。
特に幕末や戦史をメインにしています。

疑問、福岡孝弟と吉田東洋の関係

2020年05月26日 13時19分42秒 | 歴史
福岡孝弟は、「吉田東洋との関係」という談話で、東洋の弟子であったことを否定してます。
学問上の弟子、門下生ではなく、理屈を学んだ(経済が必要)ということを学んだのだと。
ただし、まったくの吉田派であると認めています。
そして、大町の書き方が酷いと述べています。
大町とは大町桂月のことでしょう。

実際はどうなのでしょうか?

法律を死守した判事、山口良忠氏

2020年05月25日 22時25分43秒 | 歴史
法律を死守した判事、山口良忠氏

法律を守り、闇米を拒否し、栄養失調による病気で亡くなった判事の方がいらっしゃいました。

法律に携わって生き(生計を立て)、法律に殉じた(法律を守って亡くなった)という、ちょっと考えさせられてしまうようなお話しです。

法律である以上、守らなければならないが、
守ることで死ぬ法律であってはならない。
そういう法律を作ってはならない。

山形道文 『われ判事の職にあり』 文芸春秋 1982年

太平洋戦争、攻めるか退くかの決断・・・責任を纏う指導者を待望する

2020年05月22日 20時33分20秒 | 歴史
開戦も終戦も似たようなもので、日本政府には国是を決定し実行する指導者がいなかったと言えます。開戦を止める、終戦を早める決断をすることで、何百万、いやそれ以上の命が救われたかもしれません。

国是を決定するポジションにあった人の多くが、大事な場面、もっとも重要な瞬間に、発言をしないという考えられないような行動をとっています。

それぞれの立場的としての意見が自分の意志に優先するのは仕方ないことですが、所属する組織の利益、意地や面子を優先して、国を危うくする行為は、当時の憲法、政治システムを差し引いたとしても、理解に苦しみます。

ずるずると、責任逃れをして決断を先延ばしにしたことによって、国が滅びかけ、国民が苦しんだのです。

国家の存亡がかかっているようなとき、
有事に指導的人物を欠くのは、不幸なことです。

どこを、どのように攻めるのか、あるいは退くのかは次の段階の話です。