三河武士がゆく

日本史や地域のお話し。
特に幕末や戦史をメインにしています。

エール、松井玲奈さんの三河弁がすごい!

2020年09月30日 20時15分21秒 | 雑記
最近の、NHK連続テレビ小説「エール」、
松井玲奈さんの三河弁が耳に気持ちよい。
最初のころは、豊橋市で育ったのに、なぜかぎこちなさを感じていました。
(平田満さんも)
何かが、吹っ切れたのでしょうか。

戦前の三河弁そのものかというと、そんなことは気にはならないのです。

とにかく、三河弁の使い方が気持ちよい。

ちょうど、「純情きらり」 が再放送されていますが、
あちらは岡崎市、西三河の三河弁です。
最初の方は、東三河の三河弁の匂いがしたような感じでしたが。

今、NHKは、三河弁がいっぱいです。

小栗上野介と薩摩藩邸焼き討ち

2020年09月16日 19時47分40秒 | 歴史
小野友五郎でも滝川播磨守も、大きな権力を持っていなかったのに、どうしてなのか、「悪者」にされているような感じを受ける。薩長からみてのそればかりではなく、旧幕府の中からもそのような見方がをする者がいたのかもしれない。

小栗上野介もそのように見られていた一人で、小野友五郎と滝川播磨守は、維新後口を閉ざし、小栗は命を奪われてしまったので、言いたいことも言えない。

最新の研究がどのようになっているのか全くわからず、詳しく調べてもいないので、何とも言えないのだが、小栗上野介(小栗忠順)は、慶応3年12月25日の薩摩藩邸焼き討ちヘの関わり方について疑問がある。

小栗が主導したとか、煽動した、命令したというような見られ方もしている。これが、小栗殺害の一因になっているとも。しかし、小栗は強硬論者ではあったかも知れないが、大坂の意向を聞くべきではないかという意見を持っていたという見方もある。これが事実であれば、小栗の評価も少し変わってくるのではないか。

維新後生き延びた者の中には、讒言とまではいかずとも、知っていてもかばうことをせず、身を保ち、死んだ者をスケープゴートにしてしまった悪人がいる可能性はある。あるいは、知ったかぶりをして、「じつは、彼が・・・したのだ」と、その場にいたような顔をして得意げに話したり、伝聞や想像・思い込みを事実であったかのように談話や筆記を残したりした者も多いと思う。

そういう、歴史の作られ方は、恐ろしいことだ。