三河武士がゆく

日本史や地域のお話し。
特に幕末や戦史をメインにしています。

無難に慣用読み? 固執(こしゅう)と言っても良い?

2024年11月07日 12時12分26秒 | 雑記
無難に慣用読み? 固執(こしゅう)と言っても良い?

あるビジネスマナーのサイトに、「固執」を「こしゅう」と読みのは相手から違和感をもたれるので避けた方が良いと書かれていました。

私は、これに「違和感」をおぼえました。

相手が、本来の読み方を知っていたら、どうなのでしょうか?

慣用読みと本来の読み方を意識せずに取り混ぜて使っているのが現状だと思います。それが、自然でお互い窮屈でないマナーといえるでしょう。

相手が「『こしつ』では?」と問いただしてきたときに、こちらがどのような対応をするのかが、大事。

「こしゅう」「こしつ」、どちらでもよい。
ということを知っていたほうが幅は広がるかも知れませんが、どちらでもいいのです。

中身が問題。

諸国民の中の正義の人や一人の命を救う者

2024年09月27日 10時20分40秒 | 雑記
多くのユダヤ人を救った杉浦千畝は、イスラエルより「諸国民の中の正義の人」という称号を受けました。その 勲章の裏には「一人の命を救う者が全世界を救う」という文が書かれているそうです。
 
人一人の命は尊いものである。
しかし、戦争となると、殺し合いのなかで、尊厳は無惨に損なわれていく。
 
憎しみと悲しみの輪廻の中では、一人の命を救う者はいても、全世界を救うのは困難なのかと悲観しています。
 
ただ、諸国民の中の正義の人は多くいると思います。
 

最近のマスク着用状況 ディーラー編(同じ会社で違う対応も)

2024年09月26日 14時56分46秒 | 雑記

①最近、トヨタカローラ○○へ点検のため訪れました。多分全員マスク着用。私の接客担当は、間違いなくマスク着用でした。

②これも最近のことです。

おなじディーラーの《少し離れた市の別店舗》へ、点検のため訪れた友人から報告あり。

見た範囲で、店員が、だれもマスク着用していない!

(もちろん、マスク着用していた人がいたかも知れない)

整備の人だけ顎マスクだったうです。

※友人は、コロナでたいへんな目に遭って、長いこと後遺症に悩まされていましたので、そこには敏感に反応するようです。

点検は30分くらい見て欲しいといわれるので、店外へでるわけでもなく、スマホいじりながらじっと座っているだけ。

そうそう、私の行く店舗は、飲みものはセルサービスですが、その友人の場合は、店員が持ってきてくれるサービスです。

「マスクしていない人に飲みもの持ってきて欲しくないよね」と私は言いました。

 

ただ、これだけのお話しです。


最近のマスク着用状況 ドラッグストア編(同じ会社で違う対応も)

2024年09月26日 14時35分50秒 | 雑記

義務とか義務で無いという話ではありません。

マスクをしていないと不愉快だという個人的な、些細な話しです。

 

①約1ヶ月前、ドラッグストアで、咳き込んでいる人(マスク着用)がいました。赤ちゃんをカートに乗せたお母さんが、慌ててマスクを付けました。店員は全員マスク着用(○ス○○)。

②1ヶ月以上前、夜間のドラッグストアで買い物。レジを待つ。

レジには2人の定員。1人は女性(マスク着用)、もう1人は男性(マスクなし)(スギヤマではない)。

私は、男性のレジにはまったら、迷うこと無くマスクを付けるように要請するか、レジを拒否しようと思っていたら、女性のレジへ。

※同じドラッグストアの別店舗で働く友人に、この話をしたら、友人の店舗は全員マスク着用とのこと。

そもそも、薬局(調剤もしている)なのだから、体調が悪い人が来る確率は高いのではないか?


コメ・食糧の安全保障と想像力・対応力

2024年08月28日 19時17分15秒 | 雑記

コメ・食糧の安全保障と想像力・対応力

おどろくことに、戦前の政治家、軍の指導者たちのなかには、おそろしく、想像力と対応力(実情に適した決断と実行力)に欠けていたことがわかってきている。

・開戦決定までの過程
・緒戦での勝利後の方針が決定できない(考えていない、統一できない)
・敗戦(戦争の継続)が確実になった段階での戦争終結への方針が決まらない(終戦までに多くの命が失われた)


昨年の米の収穫は、不作ではない。
では、どこに米があるのか?
様々な要因があると、マスコミは言っているが、大きな原因は、米政策にある。

食生活の変化、減反政策は、食料安全保障リスクの上昇という生命に関わる問題を引きおこしてきた。

一度荒廃した水田は、簡単には元に戻らないという。
農家が米を作らなくなれば、次世代の作り手も減少していく。

外国の安価な資源に頼る構造になるので、国内産業は弱体化して、為替の変動や気候変動の影響を受けやすくなるのは確実である。

世界が食糧危機になった時、いったい、どこの国が助けてくれるのか?
食料問題ではないが、コロナワクチンはどうだったか?

さて、昨日の農水大臣の言によれば、備蓄米を出さないという。
誰が、いつ、助けを必要としているのかが、わかっているのに。

「昭和恐慌」が、その後の日本の動向に与えた影響はかなり大きい。
なぜ、恐慌となったのか?
何を優先したのか?

令和の「大塩の乱」「米騒動」「昭和恐慌」とならないためにも、何を優先していくのかを考えて、速に実行して頂きたい。


ハードはデジタル、ソフトはアナログで

2024年02月03日 11時10分28秒 | 雑記
ハードはデジタル、ソフトはアナログで

私の学生時代は、ポケベルは存在していましたが、学生が持つようなことはありませんでした。(業務上)

したがって、コミュニケーション手段は、直接会う、電話、手紙でした。電話も遠距離は料金がかかりますので、市外・県外な、手紙がほとんどでした。仕事も見てやって覚えろでした。そういう時代だったということでしょうが、アナログには意味があったと思います。

LINEでの若者のやりとりは、「。」を使わないケースが多い、相手の気持ちが読めなくて誤解を生ずるからという話を聞きました。

短文から、相手の気持ちの裏側まで感じ取ることが難しいのは当たり前です。研究者・専門家であっても、短歌や俳句の解釈が違うと言うことはよくあることです。
「。」を付けようが付けまいが、相手の気持ちを読む力や洞察力は、体験・経験・努力によって身につけるのであって、若いうちから避ける方法を覚えていたら、身につかないと思うのです。
だからこそ、アナログな方法・伝え方を知っておいた方が良いのです。

例えば自分の「誠意」を相手に伝えるにはどうしたらよいのかを、時間をかけて苦心して考えることが必要なのです。
先輩たちが、どのようにしてきたかを、直接伺ったり、調べるのもいいでしょう。
但、伺うにも礼儀が必要ですけど。

いっぽう、自分が培ってきたことを後輩に伝えるには、コミュニケーション力が必要です。そこを怠れば、衰退し、消えていくことも、アナログ世代は肝に銘じておく必要があります。ただ、背中を見せているだけでは、衰退していくと思います。

面倒に思える、やりとりも、人類の歴史のなかで、良好な状態を保つため、作り出すために必要な場面があったから、そのようになったのだと思います。この伝承というか、継承が薄らいで、消えていくと、人類にとって非常に危ういことだと思っています。

そういう私も、アナログな内容を、デジタル技術を使って発信しています。

山本五十六長官の国葬とブギウギ

2023年12月12日 19時20分37秒 | 雑記
山本五十六長官の国葬とブギウギ

先週のブギウギ、山本長官の国葬からスタートしました。
むのたけじ氏は、朝日新聞記者として国葬の記事を書いていたそうです。

以前このブログで、「一つの歴史の体験のしめくくりをきちんとしなければ、同じような過失が、同じ手順で繰り返される」という、むのたけじ氏の言葉を取り上げました。

「昨日まで米英撃滅を書きまくった同じペンで、今日はその支配者に追随することはペンの良心が許さない」として、朝日新聞社を退社したそうです。

戦時中に限らず、信じる道を強制的に他人に歩ませようとする人は、現在でもいるかと思います。

戦後、価値観が一変したとき、その責めを負わずに手のひらを返して、主導的・指導的ポジションに返り咲いた人達もいたように、実は精神的に脆い人も中にはいるのかなと。(井上成美大将のような生き方は普通ではできない)

(手のひらを返すと言えば、芸能報道のあり方も同様)

人間が考える価値。何が良くて、悪いのか、そういうものは、その時々で変わってしまう。

山田太一と豊橋市

2023年12月02日 22時24分56秒 | 雑記
山田太一と豊橋市

脚本家の山田太一氏が亡くなった。

NHK土曜ドラマ『男たちの旅路』を毎週、真剣に見ていた。
10代の私にとっては、暗くて、重い内容であったが、鶴田浩二と水谷豊の掛け合いに、いつしかひきこまれていった。
当時仲のよかった、友人も同じようにテレビにかじりついていたようで、番組の内容でなぜか盛り上がった。

その、山田太一の兄が豊橋市に住んでいて、妹と一緒に遊びに来たという話が、『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』に載っていたことを思い出した。ちょっとせつない内容である。

CBC製作の『旅の途中で』のロケは豊橋市だったそうだが、山田太一はどんな思いだったのだろうか?

近藤勇狙撃、戸塚文海、小野友五郎、戸塚環海

2023年06月20日 15時05分46秒 | 雑記
慶応3年12月18日、二条城から伏見への帰り道、新選組の近藤勇が狙撃され負傷しています。
新選組によって殺された伊東甲子太郎一派による待ち伏せでした。

負傷した近藤勇は大坂城で治療を受ける事になり、翌年1月3日始まった鳥羽・伏見の戦いは参加せず、帰府の後、医学所で松本良順の治療を受けています。

『新選組史料集』の解説には松本良順の治療を受けるため下坂したような記述がありますが、良順はこの時大坂にはいないと思います。

当時の若年寄の記録に拠れば、会津藩より申し出があり、平塚久海という医師が遣わされたという。徳川慶喜が療養のために夜具と黄金を与えたという。

日付は異なるが「島田魁日記」にも「大樹君ヨリ御使者」が遣わされ、近藤勇は大坂城二の丸で養生したとある。

近藤勇の治療にあたった医師「平塚久海」とは奥医師であった「戸塚文海」のことでしょうか?文海は当時大坂におりました。

小野友五郎と文海は関係があり、友五郎が天文台勤務の頃、文海から西洋語を、友五郎から文海へは算術を教えあったそうです。

またこの文海の養子「戸塚環海」は八名郡賀茂村(現豊橋市賀茂町)出身でもあります。

ムツゴロウの喧嘩と大きな動物との向き合い方

2023年04月08日 10時14分15秒 | 雑記
ムツゴロウの喧嘩と大きな動物への接し方

意外かも知れないが著書によれば、畑正憲さんは、喧嘩が強かった。

大原則を述べている。
ひるまない。
遅れない。
遠慮しない。

小学5年生の時、上級生と喧嘩になり、何発殴られようが、一矢報いてやるという気持ちで先制攻撃をして勝ったのが転機となったそうだ。

この非情なばかりの攻撃性と動物たちと親しむ姿はマッチしないかも知れない。

テレビなどでは、猛獣と親しむムツゴロウの接近方法が、動物へのフレンドリー感に拠るというような、優しさが全面的に取り入れられるような表現が見られるが、そうではないように思う。

命のやり取りをする緊張感のなかで、相手と向きあうことを愉しんでいたのかも知れないと思うのである。

初めましてのライオンとなどの猛獣は、この気魄に圧倒されて従わざるを得ない情況に追い込まれたのかも。犬猫などは言うに及ばない。これを、動物への心を開いたフレンドリー精神だと思って、同じようなことをしたら、たちまち命の危険にさらされることになるのではないか。

秩序の安定の上に、あるいは安定のために信頼感が生まれることは、人間の社会でもある。

「あ~こうだった」

私は、おそらく1977年頃からムツゴロウの文庫本を読んでいた。
亡くなられたことで、何十年ぶりかに一冊だけパラパラとめくって、飛び込んできた記述に目が留まった。

テレビは本を読むことよりも私のなかでは大きな印象を与えるようだ。
すっかり忘れていた。

ムツゴロウは、本能的な生物であり、理知的でもある。そうであるが故に、読者や視聴者には魅力的であり、錯覚をおこしたりもする。誤解も生ずるのだろう。

そういうことを忘れていた。
最近、YouTubeの柴犬の動画を毎日のように見て、心がほっこり、平和ボケしている筆者にとっては、
良い意味で、自然の厳しさも思い出させていただいた。

「情況や動機がまったく違うけれど、大きくて危険な動物の前にひょいと立った時が、喧嘩の前のあの空白状態に似ていなくもない。心の中の屈折した部分がなくなり、何がどうなってもいいやという気になっている。くよくよ思い煩って以内、一種の捨身の状態は同じだと言ってもよい。片方は喧嘩で、片方は相手の心の中に入るためであり、目的はまったく違うけれど、心の真空状態は一つしかないのだろう」(『ムツゴロウの少年期』)