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「戦艦大和艦歌」の歌詞について

2020年08月25日 14時52分14秒 | 雑記

「戦艦大和艦歌」の歌詞について

「『戦艦大和艦歌』発見秘話」(『歴史と人物』昭和53年2月号)には、戦艦大和艦歌がレコード化された経緯が書かれている。寄稿者の林進氏は、大和に乗組の元海軍軍楽隊員で、艦歌誕生の生き証人である。

大和がトラックに進出した昭和17年、艦歌を作ることになり、募集された歌詞の中から、坂井保郎海軍中尉の詩が選ばれた。軍楽隊員に作曲が命じられたようであるが、これに曲をつけたのが、岩田重一軍楽長である。

昭和18年、旗艦が武蔵に移ると、軍楽隊も移乗したので、以後も乗組員によって歌われていたと想像するが、実際に大和艦歌が演奏された期間は短かったようだ。

経緯は不明だが、この楽譜が東郷神社にあり、のちに戦艦大和の会に渡ったという。ちぎれた五線紙ノートには、「作詞海軍中尉坂井保郎、作曲呉海軍軍楽隊」と書かれていたが、林氏らの記憶に基づく調査により、作曲者は岩田重一軍楽長であることが明らかになった。

そして、「戦艦大和艦歌」は、フィリップスレコードから発売された「海行かば―甦える栄光の海軍軍楽隊―」のなかに「戦艦大和の歌」 として収録されることとなった。

しかし、疑問点がある。「『戦艦大和艦歌』発見秘話」掲載の歌詞と、ウィキペディアなどで見ることができる歌詞(レコード化したときのものかはわからない)との違いである。1番は、ほとんど同じであるが、それでも「すめ国の」(発見秘話)と「日の本の」の違いがある(意味は同じ)。2番は全く異なる歌詞で、発見秘話の3番は省略されているので比較できない。

どういうことなのか?