三河武士がゆく

日本史や地域のお話し。
特に幕末や戦史をメインにしています。

豊橋空襲と豊橋球場 もう、取り壊されてしまったのか?

2024年12月24日 23時18分20秒 | 戦争ー空襲
豊橋空襲と豊橋球場 もう、取り壊されてしまったのか?

嗚呼!豊橋球場が取り壊されるのか?
額ビルが取り壊されて、豊橋球場の土手が空襲の隠れた遺跡でもあった。
ほとんどの豊橋市民が知っているであろうという思い込みがあった。

いとも簡単に壊してしまうんだ。
知っていて壊すのだろうか?
何か、少しでも、モニュメントとして残すのだろうか?
元市長の年齢からして、知っていないはずはない。
これも思い込みか?
長年豊橋から離れていたので、忘れてしまったのか?
気にも留めなかったとしたら、実にさびしいものだ。

わたしの家も空襲で焼かれ、復員してきた父は、家のあるべき場所に何もないので、おどろいたことだろう。(わたしは生まれていない)

家族は、父の母(私の祖母)の実家に疎開しており、無事だったとの事。

空襲被害に対する補償は無く、しばらくは、木の皮で葺いた屋根の掘っ建て小屋のような家に住んでいたという話しを、父の従弟から聞いた事がある。

戦争も昔の事だから、気にも留めない若者が増えているのは仕方が無い。
教育の失敗、汚点でもある。
犠牲となった英霊たちは、忘れ去られていくことにどんな思いでいるのだろうか。
豊橋新アリーナのことなど、どーでも良いのだ。
「わたしたちの犠牲を忘れないでほしい!」
と言っているのかも知れない。

合掌

今日は、豊川海軍工廠が爆撃された日です

2024年08月07日 14時19分11秒 | 戦争ー空襲
昭和20年8月7日、豊川海軍工廠が爆撃され、約2600人(約2800人とも)の命が犠牲となった。勤労動員された学徒約450人も含まれている。


昨日の中日新聞社朝刊に、九死に一生を得た方の証言があった。
そのなかに、いつもは「総員退避」の前に出される「女子、学徒退避」がなかったとあった。鉄帽を被り屋外に出たときには、すでにB29が上空にあった。


「総員退避」の発令が遅く、「女子、学徒退避」を発令する余裕はなかったということ。


ところが、石川県出身の女子挺身隊員を中心にした証言集、『ああ豊川女子挺身隊 8.7豊川海軍工廠の悲劇』(昭和38年)には、当時、防空発令室にあった海軍報道班員の方の証言として、「空襲警報」の後、「女子ならびに低学年学徒退避」が発令され、この報道班員の方が、マイクに向って工廠内に知らせたとある。
そして、その後で「総員退避」が発令されたということになっている。


「女子ならびに低学年学徒退避」あるいは、「女子、学徒退避」が発令されたのか、という問題について、近藤恒次氏が『学徒動員と豊川海軍工廠』(昭和52年)で言及された。近藤氏は、豊橋市立工業学校の動員学徒付添教官であり、担任の生徒と共に火工部第二弾莢工場にあり被爆している(同工場では愛知高等実習女学校生徒も働いていた)。


近藤氏によれば、「総員退避」の5分前に発令される「女子ならびに低学年学徒退避」命令はなく、「総員退避」の時には、B29は頭上にあったという。工廠外へ退避する余裕はなく、至近にある防空壕に逃げ込むのが精一杯だった。実習女学校生徒の方は、防空壕に爆弾の直撃を受けて亡くなっている。


道具を持って逃げたとしても、5分早ければ、5分遠くへ逃げられた事には間違いはないと思う。なぜ、「総員退避」が遅く、「女子ならびに低学年学徒退避」も発令されなかったのだろうという疑問は、当然多くの方が持っておられたはずだ。


近藤氏はこの件について、昭和49年、空襲時に防空発令室にあった工廠長の副官の方から直接、当時の事情を聞き取っている。これによれば、生産か退避かの板挟みで、「女子ならびに低学年学徒退避」発令の余裕がなかったということである。(『学徒動員と豊川海軍工廠』66頁の注7)


工廠長の判断を鈍らせたものは何だったのか?


「七月三十日午前十時頃、動員学徒付添教官の非常呼集があり、工廠長より直接の指示があった、今朝空襲警報が発令された際、一部の大学動員学徒が工廠の命令なく退避したことに対する厳重な訓戒であった。すなわち、今や兵器の生産は焦眉の急であり、瞬時たりともおろそかにすることはできぬ。動員学徒は当工廠長の全責任において、廠長の命令に従うべきことを厳守せよというのであった。如何なる事態が生じようとも、廠長の命なくして行動することは一切許されぬことを再確認したのである」(『学徒動員と豊川海軍工廠』51頁)


人の命よりも、兵器の生産が優先されたのである。




※経済を優先するか、人命か?
過去も現在も今後も、避けては通れない問題が現れる。自然破壊、産業公害、コロナも、何を最優先するのか?いざという時に、その人の性格の本質的な部分が如実にあらわれる。とくに、背負っているものが大きければ大きいほど(ポジション)、判断を誤れば、人的被害は大きくなる(人が多く死ぬ)。


大人は、○○よりも命が軽視された時代や出来事をしっかりと次の世代に伝えて、正面から向き合って、考えてもらうようにして行かなければならない。


命よりも重いものが当然のように現れたら、また悲劇は繰り返される。