女らしさと男らしさ
少し古い話になるが、昨年12/5に朝日新聞「声」欄に女子高生による次のような投稿があった。
「「女性らしく」は古いですか?」
「高校でジェンダー平等について学習した。「女性はこうあるべきだという考えは古い」そうだ。確かに育児は女性などという考え方は是正すべきだが、「女性らしくありたい」という考えまで否定される気がする。「家庭に入りたい」なんて言えなくなった。結婚して家庭に入りパートで働く、私の母のような人が生きづらい世の中なのではないか。
私は大学に進学し、卒業後は仕事を持ちたいと思っている。その一方で結婚後は仕事をやめて育児に専念したいという考えもある。このような考えは「女性も自立するのが当たり前」という風潮のなか、冷ややかな視線が向けられている気がしてならない。女性らしく自立するとはどういうことなのだろう。」
また、今年4/23の朝日新聞「天声人語」には下記記事があった。
「赤いランドセル」
「緑に紫、黄色とカラフルなランドセルが百貨店の売り場に並んでいた。来春の入学準備がもう始まっているのだとか。赤いランドセルを眺めていたら、店員に「お嬢さんですか」と話しかけられた▼何年も昔の、我が子のランドセル選びを思いだした。入学前の兄についてきた幼い次男は真っ赤なランドセルを背負い、これにしたいとご満悦。つい「女の子がよく選ぶ色かもよ」と言ってしまったのだ。後悔が残る▼「男の子/女の子だからと思うことがあるか」。小学5、6年生を対象にこんな質問をしたところ、4割が「そう思う」と答えたと、東京都が先月公表した。この子どもたちは、親や教師から「男の子/女の子なんだから」と言われた経験を持つ割合が高かったそうだ」(以下略)
「男らしさ、女らしさ」、「男だから、女だから」、この二つは同じようで微妙に違う気がする。
「男らしさ、女らしさ」というのは、男女の違い、特性(性差)を取り上げた表現で、どちらかというと自然発生的な客観的視点を感じる。一般的に、子供は母親には「やさしさ」、父親には「厳しさ」を感じるものだが、この特性は歴史的に、母親の子育て、父親の狩りなどという役割分担から生じたものだろう。従って、この表現には否定的要素はほとんど含まれず、それぞれの特性の良い面を取り上げて、誉め言葉として使うことが多い。
一方、「男だから、女だから」というのは、「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という、社会的に作られた概念で、科学的根拠もないまま社会通念化していったものと言える。この表現をするときは、その場面がどちらかというと否定な場合が多く、またその背景にある基準はその人が思っている社会通念で、これは時代とともに変わり得るものである。
そしてこの表現だが、これがエスカレートすると「男のくせに、女のくせに」「(雄々しい)、女々しい」となり、男の場合は、(ある意味期待感などもあって)それほど問題にはならないが(「雄々しい」の場合はむしろ誉め言葉)、女性の場合は、女性には極めて否定的な要素が含まれており(見下した感じ)、ましてや「女々しい」となると人格の否定にもなり、女性からしたらたまったものではない。従って、これは「男女平等に反する」「差別だ」ということになるのは当然のことであろう。
「男らしさ、女らしさ」についてついでに言うと、一般的に女性は自分を魅力的に見せたいという本能、欲求があり、「声」欄の投稿でも、「認知症でもおしゃれ忘れぬ母」「おしゃれは我慢、でも痛む足(ハイヒールのこと)」などというものがあった。
しかし男は、一般的にファッションなどにはあまり興味はなく、化粧などは考えもしない。
「男は出来るだけ他人と違わないように装い、女は他とは違うように装う」という言葉があるが、確かに社交パーティーなどの会場を見ても、男はカラスの集団で、女性は個性豊か、華やかで花が咲いたようである。
ともかく、人はそれぞれ異なる存在であり、型にはめることは出来ず、どうであろうと自由であって然るべきである。
ところで、冒頭で述べた女子高生の投稿だが、極めて冷静に事態を見つめ感想を述べていると思う。
近年「男女平等」「男女差別」という言葉が乱用され飛躍した判断となり、男女の特性の存在、それぞれの良さまで否定するような意見も見られるようになっている。
そしてこのような主張が幅を利かせ、この飛躍した判断がこの女子高生のような感想をもたらすことになっているのだろう。
男女平等は当然のことだが、昨今逆の意味での差別も見られ、世間がそれにおもねるような傾向も感じられるが、どうだろうか。
ということで、「声」欄の投稿には次のようなものもあったので記しておく。
「男性に厳しい風潮に疑問も」(2022/9/9の男性からの投稿)
「携帯電話のCMで、娘に「どうしてパパと結婚したの?」と尋ねられた母親が、電話料金が割引になるからと答える場面がありました。こうしたCMは、状況設定が逆であれば、つまり男性から女性に対する発言であれば、女性蔑視と受け取られかねないものです。
最近は一般に、男性が女性を一方的に虐げているとの批判が目立つと感じますが、今回のCMのように、男性には厳しく女性には甘い表現もあります。男性たちが感じているつらさが配慮されることが少ないのではないでしょうか。例えば入浴施設の脱衣場に女性従業員が入ることに不快な男性がいても、そうした意見はあまり話題に上りません。「それくらいのことで」と男性のわがままのように言われることもあります。
私の投稿も、「まだまだ男性中心社会なのだから仕方ない」と反論されるかもしれません。しかし「いつも女性はかわいそうな被害者、男性は卑劣な加害者」というのも、ステレオタイプな思い込みではありませんか。」
(追記)
男女の違い、男女差などについては、当方の別のブログ「男と女」で考察しているので、時間のある方はどうぞ。
(ここには「男女平等・女性差別とは?」という項目(記述)もあります。)