話の種

新聞やテレビ、雑誌などで、興味深かった記事や内容についての備忘録、感想、考察

女らしさと男らしさ

2023-06-23 14:38:50 | 話の種

女らしさと男らしさ

少し古い話になるが、昨年12/5に朝日新聞「声」欄に女子高生による次のような投稿があった。

「「女性らしく」は古いですか?」

「高校でジェンダー平等について学習した。「女性はこうあるべきだという考えは古い」そうだ。確かに育児は女性などという考え方は是正すべきだが、「女性らしくありたい」という考えまで否定される気がする。「家庭に入りたい」なんて言えなくなった。結婚して家庭に入りパートで働く、私の母のような人が生きづらい世の中なのではないか。

私は大学に進学し、卒業後は仕事を持ちたいと思っている。その一方で結婚後は仕事をやめて育児に専念したいという考えもある。このような考えは「女性も自立するのが当たり前」という風潮のなか、冷ややかな視線が向けられている気がしてならない。女性らしく自立するとはどういうことなのだろう。」

また、今年4/23の朝日新聞「天声人語」には下記記事があった。

「赤いランドセル」

「緑に紫、黄色とカラフルなランドセルが百貨店の売り場に並んでいた。来春の入学準備がもう始まっているのだとか。赤いランドセルを眺めていたら、店員に「お嬢さんですか」と話しかけられた▼何年も昔の、我が子のランドセル選びを思いだした。入学前の兄についてきた幼い次男は真っ赤なランドセルを背負い、これにしたいとご満悦。つい「女の子がよく選ぶ色かもよ」と言ってしまったのだ。後悔が残る▼「男の子/女の子だからと思うことがあるか」。小学5、6年生を対象にこんな質問をしたところ、4割が「そう思う」と答えたと、東京都が先月公表した。この子どもたちは、親や教師から「男の子/女の子なんだから」と言われた経験を持つ割合が高かったそうだ」(以下略)


「男らしさ、女らしさ」、「男だから、女だから」、この二つは同じようで微妙に違う気がする。

「男らしさ、女らしさ」というのは、男女の違い、特性(性差)を取り上げた表現で、どちらかというと自然発生的な客観的視点を感じる。一般的に、子供は母親には「やさしさ」、父親には「厳しさ」を感じるものだが、この特性は歴史的に、母親の子育て、父親の狩りなどという役割分担から生じたものだろう。従って、この表現には否定的要素はほとんど含まれず、それぞれの特性の良い面を取り上げて、誉め言葉として使うことが多い。

一方、「男だから、女だから」というのは、「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という、社会的に作られた概念で、科学的根拠もないまま社会通念化していったものと言える。この表現をするときは、その場面がどちらかというと否定な場合が多く、またその背景にある基準はその人が思っている社会通念で、これは時代とともに変わり得るものである。
そしてこの表現だが、これがエスカレートすると「男のくせに、女のくせに」「(雄々しい)、女々しい」となり、男の場合は、(ある意味期待感などもあって)それほど問題にはならないが(「雄々しい」の場合はむしろ誉め言葉)、女性の場合は、女性には極めて否定的な要素が含まれており(見下した感じ)、ましてや「女々しい」となると人格の否定にもなり、女性からしたらたまったものではない。従って、これは「男女平等に反する」「差別だ」ということになるのは当然のことであろう。

「男らしさ、女らしさ」についてついでに言うと、一般的に女性は自分を魅力的に見せたいという本能、欲求があり、「声」欄の投稿でも、「認知症でもおしゃれ忘れぬ母」「おしゃれは我慢、でも痛む足(ハイヒールのこと)」などというものがあった。
しかし男は、一般的にファッションなどにはあまり興味はなく、化粧などは考えもしない。
「男は出来るだけ他人と違わないように装い、女は他とは違うように装う」という言葉があるが、確かに社交パーティーなどの会場を見ても、男はカラスの集団で、女性は個性豊か、華やかで花が咲いたようである。

ともかく、人はそれぞれ異なる存在であり、型にはめることは出来ず、どうであろうと自由であって然るべきである。

ところで、冒頭で述べた女子高生の投稿だが、極めて冷静に事態を見つめ感想を述べていると思う。
近年「男女平等」「男女差別」という言葉が乱用され飛躍した判断となり、男女の特性の存在、それぞれの良さまで否定するような意見も見られるようになっている。
そしてこのような主張が幅を利かせ、この飛躍した判断がこの女子高生のような感想をもたらすことになっているのだろう。
男女平等は当然のことだが、昨今逆の意味での差別も見られ、世間がそれにおもねるような傾向も感じられるが、どうだろうか。

ということで、「声」欄の投稿には次のようなものもあったので記しておく。

「男性に厳しい風潮に疑問も」(2022/9/9の男性からの投稿)

「携帯電話のCMで、娘に「どうしてパパと結婚したの?」と尋ねられた母親が、電話料金が割引になるからと答える場面がありました。こうしたCMは、状況設定が逆であれば、つまり男性から女性に対する発言であれば、女性蔑視と受け取られかねないものです。

最近は一般に、男性が女性を一方的に虐げているとの批判が目立つと感じますが、今回のCMのように、男性には厳しく女性には甘い表現もあります。男性たちが感じているつらさが配慮されることが少ないのではないでしょうか。例えば入浴施設の脱衣場に女性従業員が入ることに不快な男性がいても、そうした意見はあまり話題に上りません。「それくらいのことで」と男性のわがままのように言われることもあります。

私の投稿も、「まだまだ男性中心社会なのだから仕方ない」と反論されるかもしれません。しかし「いつも女性はかわいそうな被害者、男性は卑劣な加害者」というのも、ステレオタイプな思い込みではありませんか。」


(追記)

男女の違い、男女差などについては、当方の別のブログ「男と女」で考察しているので、時間のある方はどうぞ。
(ここには「男女平等・女性差別とは?」という項目(記述)もあります。)

男と女(はじめに・目次)

男女平等・女性差別とは?

 

 

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LGBT及び性同一性障害について

2023-06-23 14:34:43 | 話の種

LGBT及び性同一性障害について

「LGBT理解増進法案」が6/16に国会で成立した。
昨今このLGBTという言葉は世界中で取り上げられ流行語のようになっているが、ここではこのLGBTについて考えてみる。

[LGBTとは] (セクシャルマイノリティ(性的少数者)を指す言葉)

L…Lesbian (レズビアン:女性同性愛者)
G…Gay (ゲイ:男性同性愛者)
B…Bisexual (バイセクシュアル:両性愛者)
T…Trans-gender (トランスジェンダー:身体的な性別と自認している性別が異なる)
Q…Questioning (クエスチョニング:性自認や性的指向を決められない、迷っている)

[セクシャルティ(性のあり方)の4要素]

[生物学的性] (体の性)...外性器、内性器、性腺、染色体等の分化状況
[性自認] (心の性)...自分の性別に対する認識、確信
[性的指向] (好きになる性)...どの性別を恋愛や性愛の対象とするか
[性表現] (表現する性)...服装、話し方、振る舞いなどの社会的性

「性同一性障害」と「トランスジェンダー」の違い

[性同一性障害]

医学用語(医学的な疾患名)で、
「身体的な性別と自認している性別が異なる」という点ではトランスジェンダーと同じだが、
性同一性障害は、
「自分の認識している性と身体的性別が一致しない状態」
「性自認と異なる自身の身体に対して強い違和感や嫌悪がある状態」
つまり、
「心と身体の性別を一致させたいと思っているかどうか」という点に違いがある。

(*)
性同一性障害は、Gender Identity Disorder (Gender [性] - Identity [同一性] - Disorder [障害]) の訳語。
後日WHOは「性同一性障害」を「精神障害」の分類から除外し、「性の健康に関連する状態」の「性別違和」「性別不合」に変更した。英語では「Gender Dysphoria」と言い、Dysphoriaは「違和感」「不快」を意味する。

[トランスジェンダー]

一般的には、生まれたときの性別と自分で認識している性別が一致しないが、外科的手術は望まず、心と身体の性別を一致させたいとは考えていない人のこと。

(*)
トランスジェンダーは、ラテン語で「乗り越える」や「逆側に行く」を意味する「トランス」と、英語で「社会的性別」を意味する「ジェンダー」を合体させた言葉。

(*)
トランスジェンダーと性同一性障害の違いは、「心と身体の性別を一致させたいと思っているかどうか」ということになる。心と体の性別に差があるトランスジェンダーのひとつに、(心と身体の性別を一致させたいと望んでいる)「性同一性障害」があると考えても良く、従って、トランスジェンダーという言葉の方が、性同一性障害という言葉よりも、広義の意味をもっていると考えられる。

(*)
「性同一性障害」は医師から診断されるものだが、トランスジェンダーは「精神疾患」ではないとWHOが認めており、日本では性別適合手術をする場合には、医師の診断が必要となる。(性同一性障害と診断されることになる)

[セクシャルマイノリティ(LGBT)の割合] (データの出所によってバラツキはある)

日本:   約10.0%
アメリカ:  約3.8-4.5%
イギリス: 約2.0-6.5%
フランス: 約7.0%
ドイツ:   約7.4-11.0%
スペイン: 約14.0%
オーストラリア:約3.4%

(LGBTの原因についてChatGPTに聞いてみた)

ChatGPT
LGBTの性的指向や性自認は、多くの要因の結果として現れます。現代の科学と専門家の見解に基づいて、いくつかの要因がLGBTの個人や集団に関与している可能性があることが示唆されています。以下に一般的な要因をいくつか挙げますが、これらは全ての人に当てはまるわけではなく、個人の経験や環境によって異なる場合があります。

遺伝的な要因: 
一部の研究は、遺伝子や遺伝的な要素が性的指向に関与している可能性があることを示唆しています。ただし、特定の遺伝子がLGBTの性的指向を直接的に決定するわけではなく、複雑な相互作用や環境要因も関与している可能性があります。

ホルモンの影響: 
一部の研究は、胎児期や幼児期におけるホルモンの露出が性的指向に影響を与える可能性があることを示唆しています。ホルモンのバランスや受容体の違いが性的指向の多様性を引き起こす一因となる可能性があります。

社会的・心理的要因: 
社会環境や個人の心理的要素も、性的指向や性自認に影響を与えることがあります。家族や友人、文化的な価値観、教育、個人の経験などが関与することがあります。

生物学的な複雑性: 
性的指向や性自認は複雑な現象であり、一つの単純な要因だけで説明することはできません。個人の経験やアイデンティティは多くの要素の組み合わせによって形成されるため、一因ではなく複数の要因が絡み合っている可能性があります。


私の人生哲学は「人は他者に迷惑をかけない限り、どうであろうと、何をしようと自由である」ということなので、LGBTについては特にコメントすることはないが、下記いくつかノートしておく。

[NOTE]

・日本でのLGBTの人の割合は約10%のようだが、思ったより多いなという感じ。(欧米と比べても多いなという感じ。)

・同性カップルの場合、(私の印象として)女の子の場合は可愛いと思うのに、男の場合は気持ち悪いと思うのは何故だろうか。
(このように言うと非難を受けるかも知れないが、個人的感情で、特に男の場合は生理的に受付けられないので、それは間違っていると言われてもどうしようもない。かつて同じようなことを言って大バッシングを受けた首相秘書官がいたが、彼が間違っていたのは、公的な立場にいながら公の場でそのような発言をしたこと。)

・大分前の話だが、日本では仲の良い女の子同士が手をつないで歩いてるのは良く見る光景だが、私の横にいたアメリカ人がこれを見て驚いていた。アメリカではほとんど見かけないとのことだったが、多分その後同じような光景を何回も見て、彼は日本はなんとレズビアンの多い国だろうと思ったことだろう。(私が女性同士のカップルを見ても別段違和感を感じないのは、このような光景を見慣れているからかも知れない。但しオバサンはダメ。)

・以前友人と二人でドライブ旅行して旅館にチェックインしたとき、奇異な目で見られたことがあった。(部屋は二間続きで別々に寝たが。)女性同士なら同じ部屋で寝泊まりするのは普通だが、男同士だとやはりそのような目で見られるのだろう。(これが世の常ということ。)

・10年ほど前はLGBTという言葉に、「サンドイッチ?」「それはBLTですね」、「電球?」「それはLEDですね」と、当時はその程度の認知度だった。(杉山文野氏)

・トランスジェンダーの人たちは、普通の人たちが思っている以上に今の社会で不自由を感じ、悩み、苦しんでる。LGBTは自殺リスクが高いが、当事者が弱いからか、自殺に追い込まれるほどプレッシャーをかけ続けてきたマジョリティーの課題なのか。それは後者だと思う。(杉山文野氏)

・トランスジェンダーであることをカミングアウトするのは、声を上げなければ理解されず、何も変わらないから。(杉山文野氏)

・LGBT迫害の過去を知ることが大切
(オーストラリアの「ホモ狩り」、ナチスドイツの「ホロコースト」の標的となったこと、資本主義陣営で共産主義者の同調者として「赤狩り」に遭ったこと、など)(李琴峰氏)

・23年5月時点で国連加盟の64カ国が同性愛行為を犯罪としたり、事実上の犯罪とみなしたりしている。これはアルジェリアやカメルーンなどのアフリカ、アフガニスタンやバングラディシュなどのアジア・中東に多く、死刑とする国もある。(新聞記事)

・女性用トイレの利用に関して、「心は女性と偽って男性が入ってくるのでは」との疑念があるが、スウェーデンでは、男女共用のトイレが普通。(明確に男女に分かれたトイレがあるのは、ストックホルムの空港だけ。そこでも場所によっては共用とのこと。日本でも列車や飛行機、コンビニなどは共用だが。)(新聞記事)

 

 

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同性婚について

2023-06-23 14:30:56 | 話の種

同性婚について

先日(2023/6/8)本件についての福岡地裁の判決が出たことで、新聞紙面でも同性婚についての報道、論説がまた活況を帯びてきた。
2019年に全国5地裁で起こされた訴訟は、同性婚を認めない民法、戸籍法は憲法に違反するかどうかということで、争点として対象となった憲法の条文は主に下記3つとなる。

(1) 憲法24条1項 「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」
(2) 憲法24条2項 「婚姻や家族に関する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して成立」
(3) 憲法14条 「法の下の平等」

判決は、(1)に対しては5地裁とも全て合憲、(2)に対しては札幌、大阪地裁は合憲、東京、福岡地裁は違憲状態、名古屋地裁は違憲、(3)に対しては、大阪、東京、福岡地裁は合憲、札幌、名古屋地裁は違憲というものであった。

朝日新聞は6/9の社説で、「憲法に違反するとの指摘を、いつまで放置するつもりなのか。国会は直ちに是正に動かねばならない。」と述べており、また主要7か国(G7)で同性カップルに対して国として法的な権利を与えていないのは日本だけで、世論調査でも同性婚制度に肯定的な意見が、否定的な意見を上回っており、同性婚を法律で「認めるべきだ」が72%で、「認めるべきではない」は18%にとどまったと報じている。
しかし私自身はこの同性婚というものにどうも違和感を感じて仕方がない。

同性カップルが好きあって一緒に住むのは自由だが、何故結婚(法律婚)という形にこだわるのか。

これについては、6/9の朝日新聞の「いちからわかる」というコラムで、「同性同士で法律婚できず・・・どんな不利益がある?」と題して下記書かれていた。
・税金の配偶者控除がない
・相手の法定相続人になれない
・子供の親権は共同で持てない
・パートナーが病気になっても家族ではないとして病状の説明を断られることもある
・外国人パートナーに配偶者ビザはでない

なるほどと思ったが、それならば、結婚ではなくこのような権利を保障する制度を別途作ったらどうかと思ったところ、自治体では「パートナーシップ制度」を導入しているところが少なからずあるという。

これは自治体が同性カップルを結婚に相当する関係と認めて証明書を発行する制度のこと。
少なくとも323の自治体が導入しており、自治体により内容は様々だが、これにより家族向けの公営住宅への入居が出来るなどの対応がとられており、また民間でも、証明書があれば配偶者として扱う保険会社などもあるとのこと。
(しかし、法的な効果はなく、法律婚と同じとは言えないとのこと。)

日本の憲法や法律には同性婚をはっきりと禁じる規定はないが、民法や戸籍法には「夫婦」「夫」「妻」という言葉を使っており、実務上同性同士の婚姻は出来ないことになっている。
従って、同性カップルの人たちは、異性婚と同等の権利、保障を求めて、現行の制度は「人権無視」「差別である」とし、憲法に違反していると主張しているようである。

この要求自体は分からなくもないが、やはり当方は同性同士の結婚ということになると不自然さを感じてしまう。
単なる言葉の定義上の問題かも知れないが、私は「結婚」という言葉はやはり異性同士の結びつきを対象とすべきで、同性間では使うのはおかしいと考えている。

同性カップルが異性婚と同等の権利、保障を求めるならば、結婚という言葉を使わなくとも、法律でそれらを保障するものであれば別の名称でもよいのではないだろうか。実際、結婚ではなく事実婚として、国によってその名称や法律の適応範囲は異なるものの、このような形をとっている国は多い。
当方当事者ではないので分からないが、同性婚を認めるように主張している人たちもそれで納得するのではと思うし、同性婚に異議を唱えている人たちも受け入れやすいかと思う。

(注)

*事実婚という言葉だが、ここでは次のように定義して使用している。
異性婚 (異性同士の結婚)
同性婚 (同性同士の結婚)
法律婚 (法律上要求される手続きを踏んだ婚姻)
事実婚 (婚姻に準ずる関係)

*法律的には次のような定義が正しいのだろうが、異性関係が前提となっているので、ここでは同性関係でも適用(使用)できるように、敢えて上記のように定義しておいた。
(新聞記事などでも、この点曖昧な形で使用しているケースも見受けられる。)
法律婚 (婚姻届を提出して戸籍上夫婦となっている男女関係)
事実婚 (実質的には夫婦関係にあるといえるものの,婚姻届を提出していないため,戸籍上夫婦とはなっていない男女関係、「内縁」とも言う)

しつこいようだが、なぜ私が同性婚に違和感を持つかというと、これは「自然の摂理」に反すると思うからである。
生物の誕生以降、進化の過程で雄と雌に分化したのは、種族保存にはその方が遺伝面などで都合が良く有利になるということからで、生物学上の観点からすると、婚姻は男女間でなされるものというのは当然のことである。(動物でも例外はあるにせよ(雌雄同体など)、雄と雌という異性同士がペアとなって、種族保存を行っている。)
現行の憲法はこのことを前提として作られ、民法や戸籍法がこれに準じたものであるのは当然のことであろう。
朝日新聞も、「法律婚制度は、男女が子を産み育て、家族として次世代につなぐ関係の保護を目的としてきた。」と述べている。

ところで最初に述べた裁判所の判断はどうだったのだろうか。

裁判所の判決は条文及び過去の判例と照らし合わせてなされるが、条文の解釈で判断が難しいという場合は立法の精神(意図)に基づいて判断するというのが基本である。
憲法24条1項に対しては全ての裁判所が合憲としており、その理由として「異性カップル」を想定しており、同性婚は保障していないとしている。
しかし、憲法24条2項及び憲法14条に対しては、「法の下の平等」「個人の尊厳」ということを重視し、同性カップルが法律婚で得られる効果や利益を一切得られない現状は問題があるとして、違憲或いは違憲状態との判断が下されている。
これは近年の社会情勢の変化、同性婚を認める世界の潮流なども考慮したものでもあろう。
そして立法の目的、意図だが、当時は同性同士の結婚などは全く想定していなかっただろうから、現状をどこまで受け入れるか、裁判官はさぞかし頭を悩ませたことだろうと思われる。


さて、この同性婚、社会の変化ということでもう一つ注目されるのがLGBTである。
同性婚についての福岡地裁の判決が出された翌日6/9に「LGBT理解増進法案」が衆院内閣委員会、6/13に衆院、6/16に参院で可決され成立した。
これも賛否両論、大いに新聞紙面を賑わしたが、このLGBTについては別途記述することにする。

 

 

 

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