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パレスチナ問題

2023-10-14 13:21:32 | 話の種

パレスチナ問題

10月7日にパレスチナ・ガザ地区のイスラム組織ハマスがイスラエルに対し大規模攻撃を行い、イスラエルもこれに対しガザ地区に空爆を行い、双方に多数の死傷者を出しながらも全く終息の見通しが立たないでいる。
今回のハマスの行為は勿論非難されるべきものだが、イスラエル側にこれ迄非がなかったかと言えばそうとも言えないところにこの問題の複雑さがある。(これ迄の欧米諸国の(アラブ諸国もだが)対応にも問題があったと言える。)

イスラエルとパレスチナ(及びアラブ諸国)はこれ迄幾度となく対立の歴史を繰り返しているが、それは何故なのだろうか。

パレスチナの歴史を簡単に振り返ると次のようになる。

パレスチナ地域はかつてオスマントルコ帝国が支配していたが、第1次世界大戦(1914-1918)後イギリスの委任統治領となり(1923-1948)、第2次世界大戦後の国連総会のパレスチナ分割決議(1947)により、この地域をユダヤ人とアラブ人の住む2つの国に分割することになった。(エルサレムは国際管理下に置く)
1948年5月14日にイスラエルは建国宣言を行ったが、パレスチナ側(アラブ諸国連盟)はこの分割に反発し翌日第1次中東戦争が始まり、その後も戦争の繰り返しとなってしまう。
(パレスチナというのは地域の名称。このパレスチナに住んでいるアラブ人をパレスチナ人と称している。)

*第1次中東戦争
パレスチナ側がこの分割に反発したのは、当時パレスチナの人口の2/3がアラブ人でユダヤ人は1/3に過ぎなかったが、パレスチナの土地の半分以上がユダヤ人に分割されることになったため。
この戦争はイスラエルの勝利に終わり、多くのアラブ人が土地を追い出されて難民となった。(パレスチナ難民 )

*第3次中東戦争
1964年にパレスチナ難民の中からパレスチナ解放機構(PLO)が結成されたが、これを警戒したイスラエルは1967年に自ら戦争を仕掛け、休戦ラインを越えて、国際法上認められていない地域まで占領した。(シナイ半島・ヨルダン川西岸・ガザ地区など)
(また、国際法に反するイスラエルの入植地活動も、これ以降加速する。)

*オスロ合意
1993年アメリカとノルウェーの仲介でパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)が成立、翌年パレスチナ暫定自治行政府(実体はPLO)が設立され、ヨルダン川西岸とガザ地区でのパレスチナ人による暫定自治(先行自治)が始まる。

*対立の再燃
2000年にイスラエルの右派のシャロン党首(翌年に首相となる)がエルサレムの「岩のドーム」(イスラム教の聖地)に立ち入り、これを見たイスラム教徒が暴徒化、これをきっかけにイスラエルの街中では爆弾テロが起こり、これに対しイスラエルはパレスチナの過激派の拠点の空爆を行い、対立が激化する。(シャロン政権はヨルダン川西岸地域に分離壁を作り、高さは最も高いところで8メートル、全長は700キロ以上にもなる。)
その後、パレスチナ側では過激派のハマスが台頭し、ヨルダン川西岸は穏健派のファタハが統治を続けているものの、ガザ地区は2006年の総選挙で第一党となったハマスが2007年より支配するようになり、パレスチナは分裂状態になった。
(イスラエルはガザ地区にも壁やフェンスを張り巡らしているので、この地区は非常に人口密度が高い上に、人や物の厳しい封鎖が続いていることから「天井のない監獄」と呼ばれている。)
ハマスはイスラエルの存在を認めておらず(一部のアラブ諸国にもその傾向はあるが)、その後幾度となくハマスとイスラエルの砲撃と空爆の応酬が続いており今日に至っている。
(欧米諸国もこれ迄、違法なイスラエルの入植活動に強い態度で出ることはなく既成事実化してしまっている。)

では何故このような対立が幾度となく続いているのかということだが、そのきっかけはイスラエルの建国にあると言える。

2000年程前、パレスチナにはユダヤ人の王国があったがローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人はパレスチナを追い出され世界中に散り散りになり、永住の地がなくなってしまった。(ディアスポラ)
一方その後パレスチナの地には、変遷はあるもののアラブ人(パレスチナ人)が住み続けることになった。
散り散りになったユダヤ人だが、ヨーロッパではキリスト教が広まるとともに、イエス・キリストを処刑した者たちということで差別や迫害の対象となり、職業面でも普通の人がなかなか就かないような仕事に就かざるを得なかったが、その中でも金融業では、その需要が高まるにつれ富を蓄えるようになり、また教育にも力を入れたので、次第に知識階級の間でも影響力を持つようになった。
そして、ユダヤ人の間では、かつて自分たちの王国があったパレスチナに永住、安住の地を作ることが悲願となり(シオニズム)、第1次世界大戦時のイギリスの約束や(三枚舌外交だったが)、ナチス・ドイツによるホロコーストへの同情などもあったことより、第2次世界大戦後これが国連総会の決議で認められることになったもの。

*(悪名高い)イギリスの三枚舌外交
1915年 アラブ人に独立国家を約束(フセイン・マクマホン協定)
   (これはアラブ地域を支配していたオスマン帝国を切り崩すため)
1916年 フランスと中東を分割支配(サイクス・ピコ協定)
   (これにより結局オスマン帝国の領土は英仏で2分割することになる)
1917年 ユダヤ人に国家建設を支持(バルフォア宣言)
   (ユダヤ系の財閥、ロスチャイルドから資金援助を引き出すため)

*(サイクス・ピコ協定を加えずに二枚舌外交ということもある)

以上がイスラエル建国に至った理由だが、一方パレスチナ側からしたら、なんでこれ迄自分たちが住んでいた土地にイスラエルなどという国が作られるのだということになる。(しかも不平等な割合で)
過去ユダヤ人を差別、迫害してきたのはキリスト教徒であるヨーロッパ人で、何故今になって自分たちがその尻拭いをしなければならないのかということ。
ましてや、第1次中東戦争でイスラエルにより自分たちは未だに国も持てない難民となってしまい、これではたまったものではない。
もとを正せば、紛争の原因はイスラエルの建国にあり、国連総会の決議も欧米諸国の主導でなされたもので、自分たちの都合で勝手にパレスチナにイスラエルという国を作ったことにあるということになる。

これらを見てくると、アラブ諸国がこれ迄しばしば欧米諸国に反発してきたのも、単に宗教上の問題だけではなく根深いものがあり、この問題の解決は容易ではないと考えられる。
(今回の紛争で米英仏独伊の欧米5カ国がいち早く揃ってイスラエル支援を打ち出したのも問題の残るところと思われる。)


(参考)

「NHK みんなでプラス/クロ現 取材ノート」
(パレスチナ問題がわかる イスラエルとパレスチナ 対立のわけ)
 https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic015.html

「世界史の窓」(中東問題/パレスチナ問題)
 https://www.y-history.net/appendix/wh1601-143.html

 

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