「心遣いと感謝の気持ち」
朝日新聞の投書欄から2件。
〇(ひととき)「心づかいの再配達」(2024年7月9日)(女性77歳)
「土曜の夕方、家に帰るとポストに郵便局からの不在通知票が入っていました。宅配ボックスを置いていますが、なま物なので持ち帰ったとありました。当日の受付時間が過ぎていたので、次の日の午前中に再配達を依頼しました。
夜になってチャイムが鳴ると、郵便局の方です。「お花なので、今日中がいいかと思って、持ってきました」とのことでした。
昨年亡くなった夫に宛てて、娘が「父の日に」と、ヒマワリの花を贈ってくれたのでした。今年の父の日は、ちょうど月命日にもあたっていました。
予想しないことに驚いてしまって。郵便局の方の心づかいと娘の優しさに、思わず涙が出てとまりませんでした。
配達の方にお礼が言いたくて、翌日郵便局にファクスを送ると、上司という方からお電話がありました。みなさんの仕事の励みになると言ってくださって、また涙がとまりませんでした。
人の心の優しさにふれて、それを伝えたくて書いています。私も訪問介護という、多くの方とふれあう仕事を20年しています。夫は君の天職だねと、いつも言ってくれていました。心も仕事も、大切にしていきたいと思います。」
〇(声)「カスハラ生まぬ「ありがとう」」(2024年6月16日)(女性65歳)
「買い物をしたとき、お礼を言う店員に「ありがとうございます」と私は必ず言っている。良い商品が手に入ったこと、そして、接客への感謝の気持ちだ。丁寧なお礼をいただくと気持ちよい。バスやタクシーの運転手にも降車時に言う。「無事な運転、ありがとう」と感謝を込めて。
子供のときから親の背中をみて身につけた習慣。塾でも子供たちは当たり前のように「ありがとう」という言葉を使っていた。
最近、カスタマーハラスメントが問題となっている。日頃から消費する側も、当たり前のように「ありがとう」と感謝する習慣があれば、感情的に怒りをぶつけることはなくなるのではないかと思う。
セルフレジが登場して、お礼を言う機会が少なくなってしまったのが残念だ。お礼は人の心を和ませる魔法の言葉。ふれあいが薄くなれば、ぎすぎすした世の中になってしまうのでは、と心配だ。」
当方がよく見ているネットの海外の投稿サイトで、日本人は「他人に対する敬意がすごい」、「周囲への配慮、人を気遣う姿は美しい」という外国人のコメントがよく出てくる。
確かに日本人の他者に対する思いやり、気働きというのは、外国人に比べたら秀でているかもしれない。
ひとときの投稿「心づかいの再配達」には私も思わず涙腺を刺激された。琴線に触れたということだろうか。
心遣いのやり取りというのは美しいものである。
声欄の投稿だが、私もよくありがとうという言葉を使うようにしている。
前にもどこかで書いたと思うが、日本人は職業で人を差別することはほとんどなく、誰にでも対等、同等の立場で接するのが普通である。ただ投稿者も書いているように、近年店員などに対して横柄な態度をとる輩が散見されるようになったのもまた確かであろう。
スーパーのレジなどでは、店員さんが商品をスキャンしたあと別のかごに移し替えているが、その手際の良さに、私は意識的に「きれいに並べているね」「さすがにプロだね」などと声をかけることがある。そうすると向こうもニコッとして「仕事ですから」「慣れですね」などと返してくる。ただそれだけだがこのような会話は心地よい。
昔からある日本人の良き心持、気遣いというのは無くしたくないものである。