「母親の面影」(男のひといき)
朝日新聞に「男のひといき」というコラムがあるが、次のような投稿があった。
これを読んでの感じ方、思うことは人それぞれだと思うが、投稿者の人たちと同年代の私としては、この年になって、私が子供のころひたすら家事や私たちの世話にいそしんでいた母親の姿をよく思い出すようになった。私の母は57才にして亡くなってしまったが、投稿者の方も述べているように「母には感謝しかない」という思いである。
「吹くたびに」(2024年5月12日)(男性74歳)
「鼻歌を歌う際、年を取ったせいか、高音が出にくくなってきた。音程も安定しない。人前で歌うわけではないので構わないのだが、やはり面白くない。歌えないのなら楽器でもと思い、いつでもどこでも使えるハーモニカを買った。
少年時代の話にさかのぼる。父は炭鉱で働いていた。しかし、石炭から石油へのエネルギー革命で、炭鉱は次第に景気が悪くなっていた。それに追い打ちをかけるように坑内の事故で父が亡くなり、わが家は貧乏のどん底に陥った。母は男ばかり4人の子を育てるために懸命に働いた。
私は少しでも家計の負担を減らすべく、それまでもらっていたわずかな小遣いを辞退した。だが、どうしても欲しいものがあった。ハーモニカだ。母に何度もせがんで、やっと買ってもらえた。走るようにして家に持ち帰ったが、何かとんでもないことをしてしまったのではないかと後悔することしきり。
結局、一度も唇を当てることなく販売店に行って返品した。母は驚いていたが、何も言わなかった。あれから60年余り。母はすでにこの世にいないが、ハーモニカを吹くたびに母の顔が浮かんでくる。」
「似た境遇に驚き」(2024年5月19日)(男性75歳)
「12日付で掲載された「吹くたびに」と題した「男のひといき」を読んで、よく似た境遇で育った者として、本当に驚いた。
私は、男ばかり4人兄弟の末弟で、父は私が4歳のときに病死した。残された母は、取得していた助産婦の資格を生かして勤め始めた。宿直もある職場で、苦労は想像を絶するものがあったと思う。
現在90歳になる長兄は、大学卒業後に家計を支えてくれた。私は高校生のときから奨学金を利用させていただいたし、ほかの兄弟も奨学金を利用できて、大変ありがたかった。苦労を重ねた分、晩年の母が、通常の暮らしを「大名の暮らし」と言っていたことを思い出す。
その母が亡くなって19年。先日の「吹くたびに」を投稿された方と同じで、「母には感謝しかない」という心境だ。
12日付の投稿者は、ハーモニカを吹いておられるとのこと。私も中学生時代にクラブ活動で吹いていたトランペットを、就職してすぐに月賦で買った楽器で、今も楽しんでいる。
私たち兄弟4人、健康に留意しながら過ごしていきたい。投稿された方も、ご兄弟ともども、どうかお元気でお過ごしください。」
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