話の種

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英語の発音(カタカナ英語)

2024-07-05 16:22:57 | 話の種

「英語の発音(カタカナ英語)」


新聞に「カタカナ英会話」という本の広告があり、内容紹介の例として次のようなものがあった。

「Can I help you?」→「ケナイヘォピュ」
「I don't know」→「アロンノウ」
「getting」→「ゲリン」

なるほど、発音してみると確かにそれらしく聞こえる。
ということで早速この本を買ってみたが、最初の説明文のところに次のような記述があった。
(一部略)

「日本語と英語の発音は根本的に違うため、どこからどこまでが1つの単語なのかが分かりづらく、全部つながって聞こえてしまう。
これはアメリカ人やカナダ人のネイティブは実は舌足らずで、話す時にかなり「はしょる」からです。
そこで、「はしょり」や「つながり」を逆手にとり、それをカタカナにすることで「まるでネイティブ」な音になるメソッドを考えました。
一瞬、え?と思うようなカタカナ表記もたくさんありますが、これは教材の音声などのゆっくり、はっきりと話す英語と、ネイティブ同士が話すスピードの英語とで、聞こえ方が全く違うからなのです。」

この説明を読んで、日本人が英会話が出来ない(下手な)理由がよく分かった。

日本語は子音と母音の組み合わせで出来ており言葉自体がはっきりとしているが、英語は子音と母音が入り混じっており、それが繋がって発音されると、我々日本人は聞き取れなくなってしまう。
一方話す方はどうかというと日本人は生真面目なので、出来るだけ学校で習った文法通りに、そして正しい発音で話そうとするので、逆に話せなくなってしまう。

他国を見てみると、例えばシンガポール人やインド人の話す英語には特有の訛りがあり、中でもシンガポール人の英語は「シングリッシュ」と言われるほど独特の訛りがある。その他の国でも多かれ少なかれ同じことが言える。しかし彼らは文法、発音など気にせず堂々と英語を喋っている。
日本人も見習うべきところであろう。

*「カタカナ英会話」について友人に話したところ彼も知っていたようだが、あまり真似しない方がよいと言われた。というのは、このようにネイティブ風に話すと、相手もこちらがネイティブだと思って早口で返してくるからとのこと。どうやら彼の友人がそのような経験をしたことがあるらしい。

*もう一つの話題として、米国に行った駐在員が電話で彼らの話す英語が聞き取れず、適当にイエスを連発したあと、「ところでこれは?」と聞いたところ、今俺がずっと話していたではないかと言われたとのこと。
特に困るのは彼らとの会食の時で、話題が飛んでしまうと内容が分からなくなってしまい、ついていけなくなってしまう。
従って当方はネイティブとの会話は、まずこちらから質問しそれに答えてもらうという形を取り、結構これが功を奏した。

さて話を元に戻すと、この「カタカナ英会話」の説明を読んで、私が思い当たったのはカラオケで英語の歌を歌う時のことである。
英語の歌詞に忠実に歌おうとすると、どうにも上手く歌えない。これは本の説明にあったような理由によるものだろう。
従ってこれからは英語の歌を歌う時は、個々の単語に忠実に歌おうなどとはせず、はしょるところははしょって、発音なども無視して、ともかく曲の流れに沿って歌おうと思っている。
そうすればスムースに気持ちよく歌えるのではと思う。
どうせ英語の歌など、周囲の人は発音など気にして聞いてはおらず、「ジャンバラヤ」などは南部訛りのひどい歌で、アメリカ人でも分からないだろうから。


(参考)英語の発音

「McDonald's」はよく例として出されるが、マクドナルドでは通じない。発音記号は [məkˈdɒnldz]で「Mc」と「Donald's」の間で切るイメージ。カタカナで表記するのは難しいが、敢えて書くと「メク ダーヌルズ」となり、「ダ」の部分にアクセントがある。(カタカナでの表記は人によって異なるので実際にネイティブの発音を聞いて覚えるしかない。)
ちなみに、「Mc」はアイルランドやスコットランド系の名前でよく使われ、「息子」と言う意味で、「Donald's」は「ドナルドの」という意味。つまり「ドナルドの息子」となる。(マクドナルドの創業者はドナルド兄弟)

「buffet」は[bəféɪ]と発音する。(カタカナでは「ビュッフェ」ではなく「バフェィ」のイメージ)

他に下記なども日本人が間違えやすい例。

「alcohol」 [ǽlkəhɔ̀(ː)] 〇アルコホール ×アルコール
「virus」 [váiərəs] 〇ヴァイラス ×ウイルス
「allergy」 [ǽlərdʒi] 〇アレジ― ×アレルギー

*最近は翻訳機が発達しているので、ここで述べてきたことは最早必要ないかも知れないが。

 

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「蛍の光」について

2024-07-01 11:55:48 | 話の種

「蛍の光」について


100円ショップのダイソーが閉店の時に流す曲を「蛍の光」から別の曲に変更したことが話題となっている。
この変更は6/11よりなされたが、6/13には投稿サイト「パンドラの憂鬱」、更に6/30にはフジTV「Mr.サンデー」でも取り上げられていたので、話の種として以下記しておく。

まず、ダイソーが曲を変更した理由だが、同社の担当者は次のように述べている。

「蛍の光が流れると、日本人には『そろそろ閉店だな』とわかってもらえる。でも近年は外国人も増え、意味が伝わらない方も増えた。買い物を楽しむ気持ちを損ねることなく閉店の声かけをするのは大変。そこで、さりげなく閉店を伝えながらも、快くお帰りいただけるような新しい閉店音楽を考えた。」
「蛍の光は別れの定番曲でもありメッセージ性が強く、印象をやわらげたい思惑もあった。」

つまりこの曲は、ダイソーに限らず、日本では「閉館・閉店を伝えるBGM」として、全国の公共施設や店舗で広く使用されているが、英語圏の国々では新年を迎える曲として知られており、なぜこの曲が流れているのか意味が分からない人が多いようである。

(*「Mr.サンデー」ではスーパーと洋品店の店主に協力してもらい、試しに店が開いている昼間に「蛍の光」を流したところ、スーパーで買物をしていた客はビクッとして「もう閉店ですか?」と店の人に尋ねたり、洋品店に入ってきた若者3人は「来たばかりなのに、もう帰れということかよ」と言い残して帰ってしまった。
どうやらこの曲は閉店のお知らせとして日本人の間ではすっかり定着しているが、出店を促すものとしてある意味威圧感を感じさせるようでもある。)

ところでこの「蛍の光」だが、元となった曲はスコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」で、日本では明治初期に文部省唱歌として「蛍の光、窓の雪・・・」の歌詞が付けられ、今では卒業式の定番の曲となっている。

しかし、店舗の閉店時によく流れる曲は「蛍の光」ではなく、正しくは「別れのワルツ」である。
これはショパンの「ワルツ第9番」の別名で、1940年のアメリカ映画「哀愁」の挿入曲にもなり日本でも広く知れ渡ることになった。
同じ曲のように思えるが、何が違うかと言うと「蛍の光」は4分の4拍子だが、「別れのワルツ」は4分の3拍子のワルツである。

*オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)とは「久しき昔」といった意味で、懐かしい友と久しぶりに再会し酒を酌み交わす光景を歌ったもの。(Auld=Old, Lang=Long, Syne=Since、意訳すると「Times gone by」となる。)


(参考)
「パンドラの憂鬱」(日本人にしか理解出来ない世界的な民謡に込められた意図が話題に)
http://pandora11.com/blog-entry-4984.html

 

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