自分が使ってきた携帯電話の機種を振り返ってみたい。
※当初アップしたものは、機種をKY201と誤認していたので、書き直した。
携帯電話デビューのキャリアは「docomo」だった。そして端末は、写真の京セラ製の「DoCoMo by KYOCERA KY101」だ。残念ながら、この端末は後に機種変更した際に販売店で回収されてしまい(レンタルではないので回収されたのは間違いだと思うが・・・)、今では残念ながら、手元にはもう無いのでこの写真はネットから拾ってきたものだ。
そのサイトの資料によると販売開始日は1996年5月24日、端末の大きさは、高さ:約140mm、幅:約46mm、厚さ:約27mm、重さ:約175gとあり結構重い。また、連続通話時間:約130分、連続待受時間:約100時間となっている。
自分が購入したのは、1997年の6月。大阪日本橋の上新電機で購入した。予備バッテリーなどを含めて5万円近くしたと思う。当時は、P(松下通信工業)、N(日本電気)、D(三菱電機)、F(富士通)、R(日本無線)、M(モトローラ)製のものにだけ「ムーバ」の商品名が付けられており、ソニーやシャープなど他社製の端末は「ムーバ」を名乗れず、「DoCoMo by KYOCERA KY201」のような型番で「byシリーズ」といわれており、この京セラ製端末もbyシリーズだった訳だ。それにしても、今のKDDI、当時の関西セルラー電話の大株主だった京セラが端末をdocomoに供給していたとは、今では信じられない。
ところで、byシリーズはムーバより端末実売価格は安価に設定されていて、しかも1年落ちの端末でも数万円というのはかなり高価なものだった。しかも、月額基本料金は4000円程度だったし、通話料も地域や携帯会社間で異なっていて、場所やキャリアなど宛先によってはちょっとした国際電話並みの通話料だったのを覚えている。
もっとも、黎明期だったtukaやデジタルフォン(後のJ-phone、現ソフトバンク)ならば端末は無料でばら撒いていた時代で戦略的に通話料も安かったが、通話可能エリアの関係で、関西でもこの時代にまともに使おうとするとdocomoか関西セルラー電話しか選択肢が無かった。ところが、関西セルラー電話は全国的に展開しておらず、東京や名古屋では地元のIDOとのローミングになっていた。すると、留守番電話が聞けないとか、もともとローミングの接続ポイントの関係で、関東・東海エリアではつながりが悪いこともあって、かなり東京出張があった自分としては、少々高価でもdocomoしか選択肢が無かったわけである。実は、こういった層が今のdocomoの顧客の基本を支えているのかもしれない。
この端末は、電話帳のメモリも20件くらいで、カナ文字での氏名登録さえも出来ない時代だったが、個人で携帯電話を所有できるというのは、まだそれなりのステイタスがあった時代だし、友人との通話が長時間になり非常な高額の料金を請求されたこともあったが、なによりもどこに居ても連絡がとれるということは非常に便利になった。
そんな訳で、色々な意味で自分としては思い出深い機種だった。