宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

46 (23) 上ン平

2008年11月01日 | Weblog
  今回は「経埋ムベキ山」の一つ上ン平(うわんだいら)について報告する。

 この上ン平とは紫波町にある、花巻市との境界に横たわる561mをピークとする高原のことである。かつては一面の牧野で馬が放牧されていたようだが、現在は牧野の他にゴルフ場(岩手ゴルフ倶楽部 新山ゴルフ場)・園地・TV局の電波塔などがある。そして、より高い場所には展望台があって麓の旧志和方面が展望できる。

 では、花巻から県道13号(盛岡和賀)線を盛岡方面に向かう。
 紫波町に入ると左手に次の様な山が見えてくる。
《1 上ン平》(平成20年5月6日撮影)

の山である。
 さらに北上すると、左手に次の様なゴルフ場の案内板が見つかるだろう。
《2 岩手ゴルフ倶楽部案内板》(平成20年5月6日撮影) 
 
 この頃は、”うわんだいらは何処ですか?”と訊いても多分『分がらねぇ』と答えると思う。いまはその呼称は殆ど使われていないからだ。
 もし上ン平へ行きたいならば”新山(にいやま)ゴルフ場は何処ですか?”と訪ねる方がいい。この案内板から山側へ続く舗装道路を上っていけばそのゴルフ場に辿り着ける。
《3 すぐ近くには新山(しんざん)神社の標識》(平成20年5月6日撮影)

も立っている。
 道路沿いには幾つかの山野草も咲いている。
《4 コンロンソウ》(平成20年5月6日撮影)

《5 ネコノメソウの種子はこぼれつつある》(平成20年5月6日撮影)

《6 ムラサキケマン》(平成20年5月6日撮影)

《7 タチツボスミレ》(平成20年5月6日撮影)

《8 ニリンソウの叢》(平成20年5月6日撮影)

《9 その中にミドリニリンソウが2輪あった》(平成20年5月6日撮影)

《10 ミドリニリンソウ》(平成20年5月6日撮影)

《11 〃 》(平成20年5月6日撮影)

 この辺りは秋になれば
《12 ツリフネソウ》(平成15年9月15日撮影)

《13 キツリフネ》(平成15年9月15日撮影)

《14 一方通行の案内》(平成20年5月6日撮影)

期間によっては頂上への路は規制がある。
 やがて牧野と頂上との分岐に出会う。そこにある
《15 馬の子(まのこ)牧野の案内板》(平成20年5月6日撮影)

この看板の足下には
《16 タチツボスミレの叢》(平成20年5月6日撮影)

この分岐ではもちろん牧野には行かず、左折して新山展望台に向かう。
 すると、ほどなく
《17 T字路の分岐》(平成20年5月6日撮影)

に出くわす。ここを左に行くと新山ゴルフ場に行けるがもちろんここは右折する。
 右折して新山神社の方へ進むと展望台の手前の草地があり、秋なら
《18 ブタナ》(平成15年9月15日撮影)

《19 〃 》(平成15年9月15日撮影)

《20 〃 》(平成15年9月15日撮影)

が咲いている。
《21 アキアカネ》(平成15年9月15日撮影)

もくつろいでいる。
 ほどなく
《22 頂上展望台》(平成20年5月6日撮影)

到着。そこには駐車場やトイレもあるし
《23 新奥の細道案内板》(平成20年5月6日撮影)

《24 〃 》(平成20年5月6日撮影)

も立っている。
 展望台の周辺には
《25 アズマギクの叢》(平成20年5月6日撮影)

があちこちに見られる。
 展望台に上がって
《26 旧志和方面の俯瞰》(平成20年5月6日撮影)

《27 東根山を望む》(平成20年5月6日撮影)

 展望台の建っているところが上ン平の最高点のようだが、なんとなく周りの方がもっと高そうな気がするので彷徨ってみると
《28 モミジイチゴ》(平成20年5月6日撮影)

《29 シラネアオイ》(平成20年5月6日撮影)

《30 〃 》(平成20年5月6日撮影)

《31 TV局の電波塔》(平成20年5月6日撮影)

《32 ツルシキミの花》(平成20年5月6日撮影)

《33 ウスバサイシン》(平成20年5月6日撮影)
 花のそばにはウスバサイシンの赤ちゃんも見える。

《34 ナツトウダイ》(平成20年5月6日撮影)

《35 その花》(平成20年5月6日撮影)

《36 〃 》(平成20年5月6日撮影)

《37 キバナイカリソウ》(平成20年5月6日撮影)

《38 チゴユリ》(平成20年5月6日撮影)

《39 マイヅルソウの花》(平成20年5月6日撮影)

《40 〃 》(平成20年5月6日撮影)

《41 〃 》(平成20年5月6日撮影)

《42 シラネアオイ》(平成20年5月6日撮影)

《43 カタクリ》(平成20年5月6日撮影)

しぼみかけた花と
《44 結実し始めたカタクリ》(平成20年5月6日撮影)

結局、あまり頂上に立ったという気分は味えなかったが、結構山野草はあるものだと感心して下山した。
 道は一方通行なので規制に従って道を下りると、頂上からそんなに遠くないところに右手に神社が現れる。新山神社である。
《45 神社由緒》(平成20年5月6日撮影)

 新山神社は平安時代の前期、大同二年(西暦八〇八年)三月十七日坂上田村麻呂が勧請、その後平泉の藤原氏が山王海に金鉱を営み、この地に多くの寺院を建立された。
 また、同神社は天仁二年(一一〇九年)に藤原清衡が建立した新山寺(しんざんじ)が前身という。参道には修行僧の宿坊十八ヶ所も建てられ、代々の領主が優遇してきた。
   (中略)
 盛岡南部藩では岩手山、早池峰山、姫神山と並ぶ四鎮山として盛岡の守りとしてきた。

と記されている。
《46 新山神社の参道》(平成20年5月6日撮影)
 
《47 神社》(平成20年5月6日撮影)


 さて、「経埋ムベキ山」としての上ン平(561m)だが、名前が特殊だから同定には全く悩まない。だが、花火の燃えかすが沢山残されているような展望台の建つところがそのピークであることには、賢治もさぞかしがっかりしていることであろう。

 なお、私の調べた限りでは、賢治の作品に顕わに”上ン平”が出てきていることはないようだ。

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