<研究結果「メールの意図が正しく伝わる確率は5割」 (HOTWIRED) - goo ニュース
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「書き手が、メッセージに込めた意味合いや感情は明確だと往々にして思うのは、書きながら自分が意図する意味合いを頭の中で『聞いて』いるからだ」と、エプリー助教授は説明する。
同時に、メッセージを読む方は、そのときの気分や型通りの考え方、思い込みに基づいて無意識のうちに内容を解釈している。それにもかかわらず、被験者たちは、自分たちがメッセージを10回のうち9回は正しく解釈していると考えた。
こうしたずれの生じる原因は、自己中心性――自分独自の観点を捨てられないという、一部の人が抱える障害――だと、エプリー助教授は説明する。つまり人は、メッセージが他人の観点からどのように解釈されるかを想像するのがあまり得意ではないということだ。
電子施策研究所の責任者ナンシー・フリン氏は、「電子メールは非常に誤解されやすいもので、感情的な論争の引き金になるだけでなく、多くの訴訟の原因にもなっている」と語る。
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上記はメールの例ですが、掲示板やブログコメントでも
コミュニケーションの行違い・すれ違いはままあります。
私も一度、息子の記事で冗談のつもりで書いた内容に対し、
まっこうから息子批判をされて(書いてる私じゃなく、ネタとなった息子への批判)
それ以来、こわくなって記事で息子のことをとりあげる時は細心の注意を
するようになりました。(「これは冗談です」とわかるように書く、等)
今、読んでもどうしてそんな心無い(と、私には思える)ことを書かれたのか、
理解できていないままです。
で、私はさすがに自分の息子のことだったので、不快だった感情を隠して、そういう記事を書いた自分のことをコメントで謝りました(自分のことなら「しかたないやー、えへ」もしくは「ウケテタツゼ!」)。
先方も一応は謝罪されたのですが、なにかわだかまりがあるのを感じていました。
(もしかしたら私の教育方針への非難だったのかもしれません。今となっては真実はわかりません。)
その後、そのことがあったせいかどうかは不明ですが、その方は他の記事でも、私には理解できない行動を3度ほど取られました。
コメントなしでTBを送ってこられて、それに関して私が感謝をこめて書いた記事を無視?したり、他のブロガーと別のブログでやってたコメントの続き?を、私をスルーしてわざわざ私の記事でしたり・・・他の方のブログでその方とも出会うので、私が無視されてることはそれまでのコメントの頻度から痛いほどわかっていたのですが、そこまで私がイヤなのなら、なんでわざわざこのブログに来られるのかぁ、と真剣に悩みました。
結局、最終的にはこのブログには一切参加されなくなりました。
私もあえてコミュニケーションのもつれをほどく努力をしませんでした。
(というか、上記のように、私へのコメントが一切なくなったので、私からも訪問をやめた、という形で関係解消されたと思っています。)
私の中にもそのブロガーへのわだかまりがあったのだと思います。
私にとってはブログでの唯一の、総和としてマイナスな後味の悪い思い出です。
あの時、真正面からぶつかっていたら、
もしかしたらもっと違った関係になっていたのかもしれません。
ブログは基本各人の家だと思いますが、
通りすがりさんや、一見さんや、定期ゲストや、常連さんが
記事によって入り乱れてるのが、非常に面白いメディアだと思っています。
で、コメントにも様々なレベルのコミュニケーションが混在する。
なんどもコメント交換して、相手のことが断片的ながら把握できている場合
もあれば、ある1つの記事だけのおつきあいで、二度と巡り合わない関係もある。
このブログも、いつも参加してくださって、ある程度私の思考や文章のクセ、記事歴を把握してくださってる方もおられれば、
TB企画などで幅広くブロガーに声かけをして、その時だけ参加していただく
(ご縁があればその後もつながっていく)場合もあります。
トラブルがおきやすいのは、基本的には一見さんの場合が多いようです。
反論で飛び込むケースがままあることや、いわゆる空気嫁な対応ができていなかったり、コミュニティの場合はその和を乱す、など・・・
その場合は、スルーしたり、反論したりはさほど困難ではないと、私個人は思います。
それは、そのブロガーそのものよりは記事内容(もちろん背景にはブロガー本人はいますが)に基づくトラブルである場合が多いから。つまり記事ごとに対処でき、最悪でもその記事を削除してしまえばすむから。(感情的にもつれると、他ブロガーを巻き込んで炎上する場合もあるでしょうが、炎上する時も記事ごとが多いようです。)
で、コミュニケーションがある程度深まって安定した時にもトラブルは起こる。
それは一種の期待過多や(慣れからくる)配慮不足が原因ではないかと思います。
わかってくれているはず、
わかるはず、
というお互いの思い込み=一種の「自己中心性」ではないでしょうか?
そしてその場合は、一見さんトラブルより深刻な結果になることが多い。
記事止まりではなく、ブロガー本人同士の問題になっていくからです。
また常連の多いコミュニティ型ブログだと、本人同士ではすまず、
そこに参加しているブロガーも巻き込んだトラブルにも発展しやすい。
(少なくても、なりゆきを見守ることになる。)
いずれにしても、一見さんトラブルより、
及ぶ影響も範囲もはるかに大きいと考えます。
また、そうした第三者ブロガーへの対応含めて、
すべてが煩わしくなってしまう、ということも想像に難くありません。
もちろん、そういうこと全てふまえたうえで
つきあうブロガーを決める権利も、
ブログを続ける権利、また閉鎖する権利も
すべて個々人のブロガーのものだと思いますが。
と、小理屈編終了。続きます。