拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

素敵な女医さん

2009年12月16日 | 瑞西考

 座骨神経痛が本格的にあばれだし、昨日はまだ平気で歩けたのに今日になると立っているだけで、尻からふくらはぎにかけて痛み、仕事を休み医者に行くことにした。医者に行くのは病気の為だけでなく仕事を休むうえで、証明書が必要になる為でもある。かかりつけの医者というのを、持つことが大事であると我妻ニコルはあちらこちらから情報を仕入れ、ボクの希望も入れて見つけてくれた医者は、素晴らしい女医であった。こんな人なら毎月でもいきたい〜という感じを与える人で
ボクのような者でもじつに親身になって話を聞き、診察を丁寧にしてくれる。その上すごい美人・・・。年齢は65才前後、多分。こういうのを人格美というのだろうか。まさに西洋版 ”拈華微笑”の人。

 どの患者にも、親身であるから、時間がかかる。約束の時間を1時間なんか簡単に待たされる欠点はあるものの。

 ただ今日は、ボクは急患であったので、その女医さんは時間をとれなく他の女医さんを紹介してくれた。例の素敵な女医さんは、もうすぐ退職をひかえ今は週2、3回しか勤務していないということ。残念だがそれは仕方ないか。いずれにせよボクは年に1回ぐらいしか来ないのだから。

 そんなわけで、今日は、ドイツ語訛のフランス語を話す、ちょっと太めの女医さん。この人も親切な感じの人でボクは気に入った。例の女医さんの跡継ぎはこの方にしてもらおう・・・などと考えながら診察を受ける。

 病名はやはり、というか正真正銘の”座骨神経痛”で1週間の休み証明書をもらい、薬のリストをもらいそれを持って自分で薬局で買いにいくのがこちら西瑞のシステム。

 立ち上がると痛むので、帰りも杖をついて歩いた。


西瑞習慣篇〜ボクはパガン

2009年12月12日 | 瑞西考

 先日の12月1日、ボクはパガンとして10歳になったジョナス坊に贈り物をした。フランス語でparrainはパガンと発音するが、何のことかと言うと、代父ということらしく、万一彼の両親が亡くなった場合、父親代わりになる・・・という宗教から来ているのか、単なるこちらの習慣としてそういうものがあるのかよくわからないが、ここスイスでは子供が生まれると親しい友人とか親戚などにこの代父、代母を頼む習慣がある。兎に角、ジョナスが生まれたとき、父親のローレンスからパガンになってくれと頼まれたのである。

 彼は中国系マレーシア人で奥さんはスイス人、彼はスイスのバトミントン混合のチャンピョンだった人で、ボクのバトミントンの最初のコーチだった。

 僕らには子供がいないので、無責任なパガンでよかったら、とういうことで引き受け、以来四季ごとに彼らの家に招かれたり、招いたりして友好を温めているが、これはなかなかいいシステムで子供からするとプレゼントをしてくれる人が増えるだけではなく両親とは又違う考えを持つ大人と接する機会を得、ボクらパガンとしても友情を深めながら彼らの子供の成長を楽しむことが出来るという西瑞のいい習慣のひとつ。

 ジョナスは今、腕白盛り、後8年ぐらいしたらバトミントンのチャンピョンになるのではないかと楽しみだ。


ジョークは冗苦

2009年12月05日 | 瑞西考

 金曜日の夜、ローザンヌの街中にある、ボリミー(過食症)という名のお笑い専用の100席ほどの寄席へ行ってきた。
スペイン系ベルギー人の独演で何故かスペイン語で話しかけたり、突然アラブ語になったり、ベースはスペイン語訛のフランス語であるが、客はみんなフランス語圏スイス人であるから、途中で彼が何を言っているかわからない、というのも可笑しい要素として計算されているようであった。
 その前日の夜ニコルの友人Tから電話があり、『ボリミーの入りが悪いのでだだ券を10枚貰ったから、あなた達も行かない?』
といので我々も出かけたわけである。50席ほどうまっていて、このうち金を払って入場している人は何人ぐらいいるのかなあ〜
なんて邪推しながら観覧したが、チャップリン風の体の動きや,簡単なマジック、客を舞台に上げての即席の劇を演出などして結構受けていた。

 話はここで一般論になるが
問題はこの"笑い"で、ボクのような無語学の怠け者はこの地では普通『失笑症』にかかる。笑えないのである。何故ならここに言葉の壁という見えない厚い壁が立ちはだかっているのである。最近スイス人男性と5年目にして離婚した友人はしみじみと言った。『ふと考えてみると、長いこと笑ってない自分がいるのよね・・・』てな事が別れた理由の一つの如く言っていた。

 初めてスイスに来た時、友人の知り合いの家に招かれ、そこのご主人が食卓を囲む5、6人の前であるジョークを披露して
大いに受けたが、ボクが解らないでいるのをみた彼は英語ならわかるだろうと、英語でそのジョークを話してくれた。ボクは内心大いに焦った。英語力もたいした事がないのに・・・軽いはずのジョークを必死で聞き取ろうとしている自分が可笑しくなって、ボクはジョークにではなく、そんな自分に可笑しくて笑っていた。こんなに曲折して笑っているとはホトケ様でもわかるまい。

 以来、スイス人の食卓にはワインとジョークは必需品であると痛感するのであるが・・・。


"西瑞三十六景"は遠い(写真)

2009年12月04日 | 瑞西考

 このタイトルは写楽斎の未完成写真集のテーマである。まだ6景ぐらいしか撮れていないので完成まで4、5年かかりそうだ。しかしタイトルは気に入っている。スイスを漢字では瑞西と書くがボクは西瑞としたい。

 この国にきてボクはすぐガイドとして働き始め12年ほどガイドをやったが、いまだにスイスがよく解らない。九州ぐらいの大きさだから、どうってこと無いと思うが、ところがどっこい公用語が4つもある。山や谷で隔てられていて、その村々で掟が違うミタイな感じで、統一感をもてないのだ。西瑞在住18年にしてはっきりわかった。それがスイスなのだと。
 
 当のスイス人にして自分の住んでいる地域以外のことは、よく知らない人がほとんどであるというのは事実だ。ボクの写真のテーマの一つに、祭りがあるが、ボクほどスイス国内の各地の祭りを見たスイス人に会ったことがない。ローザンヌの隣町ジュネーブは快速電車で40分のところで、毎年12月中旬に有名な中世祭りを行うが、わが妻をはじめ、その家族全員がその祭りを見たことが無い・・・というのが典型的スイス人といえる。

 10年ほど前、妻とその両親と姉の家族でローザンヌから1時間半のところシャレー(山荘)に一泊した。経営するのは二人の幼い子を持つ夫婦でそのもてなしが素晴らしくいろいろ話に花が咲いたが、驚いたことは、彼らはまだ一度もローザンヌへは行ったことが無いということだった。スイス、ボーウ州の州都ローザンヌを知らないという。

 ということで、スイスを本当に解りたければ、まずスイスドイツ語(ドイツ人がきいてもわからない)、フランス語、イタリア語を最低でもマスターして尚かつ、それぞれの土地に数年間ずつ滞在するくらいでなければならないであろう。


スイスにイスラムの塔は似合わない

2009年12月01日 | 瑞西考

 一昨日スイスで投票があり、58%でイスラムの塔建設を禁止した。といっても信仰はもちろん自由で、モスク建設もOK、ただロケットのような塔の建設に対して反対多数でダメという事になった。約7百万人のところに、イスラム教徒40万人いて、これが増える傾向にありその勢いで、塔の建設を・・・という事だった。

 スイスという国自体がもともと宗教、文化ともにキリスト教の国なのだから、移民で来た人達はそれを尊重するのが当然等とボクは思うので、この結果は当たり前のように思う。これが自然に皆に受け入れられるようになるまで、待ってはどうだろうか。

 そこに昔から住んでいる人達の心情をまず尊重したうえで、彼らにとって異教である宗教を焦らずに時間をかけた上で理解してもらうように努力したらどうだろう。昨日書いた、歌手のアブドラ・マリックのように。(彼はイスラム教徒)


ひまわり

2009年11月28日 | 瑞西考

 妻ニコルの生き甲斐は”おしゃべり"。彼女のおしゃべりネットワークの基地はローザンヌ市内に散在する喫茶店で、そのうちの最重要拠点が我が家の近くにある独身女性ロゴンスの店、食堂喫茶”ひまわり”。
その彼女の店が今日なんと25周年を迎え、店の模様替えも済んで、常連客を招きささやかなパーティがあった。

奇しくも我が家の2軒となりの花屋その名も“花の世界”も今日その1周年を迎えパーティ。こちらの店主は若き独身男性のブノワ君でここもわが妻のネットワークにとりこまれているので、今夜はパーティの連チャンとなった。

『ひまわり』のロゴンスからボクはパーティの様子を撮る依頼を受けたので、愛機G10でブレブレにぶれている写真、ピントよりも雰囲気を最重要視しフラッシュ無しの為かなりぶれている写真を撮った。彼女は21才の時から一人でこの店を始めたとのこと、以来25年だから彼女は46才か。

 

 彼女が独身のためか集まってくる常連客も自然独身女性が多いようで学校の先生、看護婦、スチュワーデス、秘書、店員などなどいろいろな職種の女達が集まっては井戸端会議に『ひまわり』の花を咲かしているようだ。とくにニコルが2年前に失業した時、この『ひまわり』の存在は非常に重要な意味を持っていたことは間違いない。

喜怒哀楽、何かにつけ集って励まし合う女達は素直でいいと思う。君たちは素晴らしい!gannbariya!


秋暗し

2009年11月25日 | 瑞西考

秋暗し・・・というのは、朝6時半にでかける時、外は真っ暗で、今我がアパートに帰ってきた18時半も外は真っ暗。

10月31日をもってサマータイムが終わってからというもの、瑞西ではわりと突然に冬っぽくなる。テラスから見えるアルプスやジュラ山も上の方は既に雪化粧して、ここローザンヌにもいつ雪が降っても誰もビックリしないように気候は我々に心の準備をうながしているようだ。それはともかく、テラスに出る大きなガラス扉の向こうはあまりに真っ暗で、三日目の日記を書かなければならない自分としては頭の中が真っ白で、何を書けば・・・などと一瞬躊躇しそうな心にすかさずムチを打った。

母国語を奪い取られたような環境に長年ありながら、結構どんどんとふだん使ってないボキャブラリーが出てくるのが可笑しい。わが脳内では俺の隙を盗んで勝手な会話を楽しんでいたのだろうか?それでもかって島(日本のこと)に住んでいた頃の自分に比べたらボキャ半は失っているだろう。ボクの知っている瑞西在住30年のおばさんなんかは、
もうほとんど日本語が出てこないという状態で、話をしていて内心こうはなりたくない、と思ってしまった。といいながら、昨日の自分の日記をみてみると、”年齢フチ”などど書いてしまったが、正しくは”フェチ”であり、その使い方も正しくないことを後で確認した。

昨日もこれを書く時おかしいと思って、わが妻ニコルに『なんていう言葉だったっけ、ある男がオンナの脚とか、胸とか特定のところが好きだと言う連中のことを・・・』などと聞いたら、『そんな言葉しらないわよ、それにしてもあなた、日記に何を書いているのよ』と怪しまれてしまった。この質問をする際、何だかヤバい気がしたのだが、図星となった。

人生の酸いも甘いもほぼ解る年齢でこっちに来た為、英語にゃ少しは自信があると誤解していた為、現地に行けばなんとかなるさ〜などと甘い見通しの為、島以上の無人島の孤高の人状態にいつの間にか陥ってしまっていたのだ。だって周りはフランス語だし、少しは出来ると思っていた英語も現地ではほとんど通じないとなれば・・・。

ここまで言えば昨日の”監獄から娑婆に出た”という大袈裟な表現で独り喜びしていたボクの喜びをわかってもらえるのではないだろうか。