拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  あっぱれ・ドラマ『無能の鷹』

2024年12月17日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  一昨日、Netflixドラマ『無能の鷹』にハマってしまい、一気『観』してしまった。

  

  日本のドラマ事情にうとく、出演者では部長役の高橋克実さんぐらいしか知らず、主演の荒井菜々緒とか塩野瑛久は初めて見る顔。

  ドラマの発想が素晴らしく漫画的・・・と思ったら、原作は『はんざき朝未』の漫画であった。

  

  『悟り』をベースにしているのが見え見えの登場人物の名前・・・全員『鳥の名前』で『サ・鳥』という

  『駄洒落』と『深淵』が『無能』と『賢者』の重ね合わせ・もつれとなる『色即是空空即是色』の景色を

  現代風にドラマ展開して、非常に良かった。

  こういう遊戯三昧の発想が出来るのが、日本では漫画家なのが面白いというか・・・!!

  昔みた映画、ピーター・セラーズ主演『チャンス(1979年)』も同様な主旨の物語で、当時感銘を受けたのを覚えている。

 

  このドラマを観終え、ツルッとした主演の鷹野ツメ子(菜々緒)の美顔を人々はいろいろ勘違いする・・・という

  シナリオを考察したとき、いま話題の兵庫県知事『斎藤元彦』のことを思い浮かべた。

 

  彼も、黙っていれば『爽やか感』を醸し出した好青年風であるのに、『能ある鷹は爪を隠す』の逆バージョンをやってしまったか。

  同じような匂いを、都知事選で活躍した『石丸伸二』が醸し、より賢い風を装っていたが、

  両者(斎藤&石丸)が、鷹野ツメ子と決定的に違うのは、『無能』を『無の能』に空じる『慈悲心』の欠如ではないのかなぁ…。

 

          

          写真は毎年、11月ゴマモティエ(地名)で行われる『カウベル祭り』から・・・和歌したもの

           『 この秋は チーズ、ワインで 帰化しても 冬に恋しい 味噌醤油かな 』 一撮

  

 


  一期一会の秋

2024年11月21日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  日本では今年はいつまでも暑い日が続いたようであるが、こちらスイスは夏が短かったと思えるような年であった。

  昨日、今日などは朝方はかなり冷え込み、相方は雪だ雪だ…と騒いでいたが、我が街ではまだ降っている様子はないが・・・。

 

  11月に入り、演奏会や作品展の御案内にもとづき、退職者の特権を活かし、結果的にアチラコチラをのぞき観たのであるが

  総じて、それぞれの人々が自己の作品に真剣に立ち向かう姿に、なんだか初めて気がついたかのように、感動している自分に驚いた。

 

  この季節になると毎年催される『ローザンヌ・バッハ祭』は、今年26回目だそうであるが、主催者の小糸ケイ氏とのささやかな御縁の

  お陰でいつも招待の栄誉にほっし、数ある演奏会のなかから、ジャコモ・カリッシミ(1605〜1674)のバロック音楽を相方が決めた。

  ローザンヌ街中のST-Laurent教会の素朴はあり様は、バロックという私にとって昔の素朴な音楽・・・という程度の教養の者にとって

  その醸し出す雰囲気は、なんとなくヨーロッパの17世紀の世界にいざなうものがあった。

              

  Gianluca Capuano氏ひきいる、イタリアの演奏と歌唱のグループによるバロック音楽は、その歌っている言葉はまったく解らなかったにもかかわらず…

  曲を追うごとに彼らの世界に引き込まれ、最後には涙が止まらず、ブラボーの拍手を私はしていた・・・。

  クラッシック音楽でこんな気持になったのは、二度目のような気がするが、まさに『一期一会』、演ずる者と聞く者が一体となった感動がそこにあった。

 

  一度目は相方が一人でそのオープニングの日にジュネーブの隣り村カルージュのギャラリーに出向いたが、狭いギャラリーに

  大勢の人で、作品もゆっくり見ることができず、作者である友人のJean-Marie Borgeaud氏にも挨拶も出来なかったということで

  別な日に、私と二人でカルージュのギャラリーへ行けば、小さなギャラリーには他に客がいなく、ゆっくり彼の作品を楽しんだ。

              

  彼の作品については、これまで5回ほどブログに書いてきたが、 2021年9月のブログ記事〜ヨーロッパにみる『丹田力』

  今回も新作を改めて目前にすると、本当に『野生の叫び声』が聞こえ、『 AI 時代 』とかそういつた一切を断絶する

  生命の力強さが喚起されるようで、彼の作品を全部買いたい衝動が沸いてくる・・・。

  幸い、一部割れたから…という理由で破格の値段で譲り受けるた作品が我が家にあるが・・・、あれって貧乏人の我らへの友情の贈り物ではなかったか?

 

  今年2024年は、スイス・日本国交160周年だそうで、毎年秋にある日本文化月間もいつも以上に力を入れてるそうで、その一環で

  友人であり、昔所属していた『スイス在住日本人芸術家協会』の会長であった伊藤八千代氏、主催のグループ展があるVeveyの隣り村

  ラトードペイのお城の会場に出かけた。

  5,6年ぶりに会ったヤチヨさんは、80を超えても相変わらずお元気。その彼女が紹介してくれたアーチストが大隅敏男氏。(75歳)

 

  ちょぼヒゲにシルクハット姿の彼は、さっそく彼の水墨の『書』について、非常に熱心に解説し始めた。

  作品のいくつかを説明を受けて思ったのは、説明なしにはちょっとその真意が『解らない…』ということであったが…

  

    私が観たのはこの作品の縮小版で、この写真は彼の京王プラザホテルでの展示のYoutubeのもの。大隅敏男展『なにげない日常の貴さ』より(2023年)

   紺色の着物に『慈』の字がみえる。

 

  彼の作品案内書にみる言葉には

  『漢字が成り立った原風景への想いを馳せ、『人』一字に溢れるパワーを解き放ち・・・』

 

  『表音文字は無表情で瞬時の判読が難しい。しかし象形文字には、意味があり、日本の漢字には『心』があり記号性のとても強い形を

   しているため瞬時に判読できます。その独立して意味を持つ漢字一字を素材として心の中で再構築し、一つのイメージを定着させ描き出します。

   人間の力強いエネルギー、爆発するパワーも自然の風景と捉え、キャンバスの上に表現します。単純明快なフォルムとパワーが最重要視されます。』

  

  ・・・等という内容が書かれて、これって馬骨の言う『考えるな、漢字ろ!』・・・そのものだよ…なぁ〜の感想。

  若干、私とは視点が違うものの、『漢字』の持つエネルギーや可能性に早くから目をつけ、『書』であり同時に『絵』でもありえる『漢字』を

  奔放な毛筆で長年描いて、海外を含めた各地で展示し、情熱を持って解説するさまは凄まじく、私など全く及ばない『漢字在菩薩』ぶり。

  世の中には、いろいろな人がいるとは知っていたが・・・。

 

  このグループ展に参加しているもう一人の『書』の人は、ローザンヌと我が街モルジュの間のRenens(ルナン)で書道教室を持つ

  青翠さんは、いわゆる書道家。FacebookやInstagramで美しい書を拝見していたが、このほどは友人の禅僧二人の僧名を書いて頂いた。

 

             

  禅僧とは言え、外国人の彼等にこの筆の味・・・は、解るであろうか?

  若き書道家『青翠Seisui』さんは現地の人々に『書』を教えられているが、『道』に至る一つの道として、大いに活躍してもらいたい…と願う。

 

  これら芸術家が発するエネルギー(色)を、そのまま受け取る鑑賞者(色)の『場』が『一期一会』であるとすれば

  私は、『色即是空』へとエネルギーを空じる、つまりは『自他不二』の道に続く入門状態ではないかと妄想したが、どうであろうか・・・。

  

  

  

 

  

  

 

 


  デジタルコミュニティ・ライフ・・・

2024年11月01日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  昨日、ある意味衝撃的なNetflix・ドキュメンタリー映画(ノルウェー)『イベリン 彼が生きた証』(The remarkable life of Ibelin)を観た。

 

  マッツ(Mats1989〜2014年)君は、遺伝性疾患、筋ジストロフィーを患って生を受け、子どものうちから車椅子生活を余儀なくされた。

  筋ジストロフィーは、年々筋肉が萎縮して弱体化し、長く生きられないという宿命を持った病気だ。

  高校まではなんとか卒業したものの、進学も、就職も出来ず、家に引きこもるしか選択の余地はなかった。

  恐らくその頃からだろうか、MMORPG(大規模多人数参加型オンラインロールプレイングゲーム)

  『World of Warcraft 』というゲームを始め、『イベリン』というアバター名で『デジタルコミュニティ・ライフ』が始まったのは・・・。

  

  彼の葬式の際、挨拶した父によると、マッツ君は10年間でおよそ2万時間はコンピューターのモニターに向かっていたそうだが、

  彼が亡くなるまで、マッツ君がデジタルコミュニティ・ライフを通して、恋愛をし、友情を育み、たくさんの友人に助言したりして

  皆に慕われていたことを、両親も妹も全く知らなかった。

  マッツ君の死後、彼のコンピューターで彼と繋がっていた人達に、彼が亡くなった事を知らせると

  その日の内に沢山の人から哀悼のメールが届いたことで、生前、彼にもそういった人生があった事を初めて知ることとなる・・・。

  そういうストーリーを中心としたドキュメンタリーで、じつに、いろいろと考えさせられた。

 

  昔、『アバター』という映画を観たが、主人公は下半身不随の青年だが、巨人のような体を持つ健康な青年をアバターとして、未知の世界を

  自在に動き回る・・・というようなストーリーで、まさにこのマッツ君そのものだと思った。

  私はゲームのことは全く知らなかったので、仮想ゲームの世界の中で、現実のように友人ができたり、恋愛感情をもったりコミュニティを

  運営したりすることが出来る事を知って、そのことに驚くと同時に、マッツ君がそこで普通に生きることが出来て、本当に良かったと心から思った。

 

  そして、その『デジタルコミュニティ』というものが、様々な人の夢を叶える、或いは生きがいを与えてくれる・・・

  一つの大いなる可能性を秘めた、新しいコミュニティとなる可能性・・・について、私の妄想は勝手に膨らんでいくようであった。

 

         

        思えば、『馬骨』などというアバター名で現実離れした言動するこのブログという『場』も、デジタルコミュニティともいえる?

 

    参考までに、マッツ君の笑顔と・・・


  失われた30年・・・

2024年10月27日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  ここ数年来、山本太郎の街宣動画を通して、『失われた30年・・・』という言葉が、耳にタコができるほど聞いてきた。

  そしてここ数週間は、政治家や政治評論家、経済評論家なども同様にこの言葉を繰り返していたように思う。

 

  この言葉『失われた30年・・・』というのは、1991年の夏以来、スイス在住している私にとって、祖国日本を思う時、まさに

  『失われた33年』となり、その点自分が『浦島太郎』状態であることを改めて思い、日本在住の日本人とはまた違った時空に生きていたといえる。

 

  とくに、2011年にスマートフォンを手に入れるまでの20年間は、日常的に日本情報の欠如と、言葉の通じない外国での悪戦苦闘で

  日本を顧みる余裕もなかった・・・というのが実感だ。

 

  2011年になるまで、政治無関心派(ノンポリ)であったわけで、日本の首相歴を〜

  海部俊樹(1989年8月 - 1991年11月)宮澤喜一(1991年11月 - 1993年8月)細川護煕(1993年8月 - 1994年4月)村山富市(1994年6月 - 1996年1月)

  橋本龍太郎(1996年1月 - 1998年7月)小渕恵三(1998年7月 - 2000年4月)森喜朗(2000年4月 - 2001年4月)小泉純一郎(2001年4月 - 2006年9月)

  安倍晋三(第一次:2006年9月 - 2007年9月 / 第二次:2012年12月 - 2020年9月)

 

  このように、並べ見てみると恥ずかしながら、安倍晋三首相以外は、ちょっと名前を聞いたことがある・・・程度の知識で、

  1991年に日本を飛び出した時点では、『先進国、日本』・・・という誰もが持っていたであろう『日本人であることの誇り』臭を無意識にせよ

  漂わせていた私も、2001年にニューヨークのツインタワービルに飛行機が突っ込むという前代未聞の事件以降、当時観光ガイドしていた私にも

  日本人観光客の激減という目に見える形で日本経済の衰退の影響があり、ガイドから引越屋への転職のキッカケにもなったのである。

 

  そして『東北大震災』・・・と、インターネットの発達という時の流れで、日本の『失われた30年』というものが、

  どういうものであったか、それまで『浦島太郎状態』であった私にも知るよすがとなったわけである。

  その点、海外から観る日本・・・というのは、日本列島に住んでいる人々とはまた違った視点で観ることが出来る、というのも実際あるであろう。

  我が故郷『日本』で起きている危機的状況・・・というようなものは、海外から俯瞰する視点で観ることで、一目瞭然・・・ということもあるのではないだろうか。

  山本太郎が声高に叫ぶ、『失われた30年・・・』に終止符を打って、かつて豊かだつた日本への転換とすることが出来るのか?どうか?

  そういう重い課題をになう衆議院総選挙の結果が今日・・・でることになる。

 

            

              今週末のハロウィンの魔女が、我がレマン湖畔に遊ぶ図 ヒヒヒっ!

  


   闘う君の唄を・・・

2024年10月22日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  今朝用もないのに早く起きてしまい、なんとなく自分のブログ・アクセスページをのぞくと、10年前に書いた記事『時代』があって

    拈華微笑 2014・12月7日ブログ記事〜時代

  そこにアップしたYoutube動画で、中島みゆきさんの『時代』を聞き始めると、次に次にネットサーフするうち、この歌『ファイト』に行き着いた。

  多分、初めて見る動画で、この詩と彼女の歌唱に圧倒され、『ひえ〜〜っ』と思いながら、この歌に寄せるコメントを全部読んでしまった。

  というか、この感動のようなモノを誰かと分かち合わなければ・・・という気がそうさせずにはおかない、のであろう。

 

  さびの 『 闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう 』・・・のところは、皆それぞれ自分の『闘い』を思い浮かべるのだろう。

  私も『自分のちっぽけな闘い』を思い浮かべたが、すぐさま正真正銘『闘いの唄を叫んでいる』山本太郎の事を思い浮かべた・・・。

 

           

          この歌『ファイト』を舞台ではなく、現実の真っ只中で叫んでいるのは山本太郎だ!!!の図

 

 

 

                              中島みゆき【ファイト!】 


 天上天下『唯我一票』・・・

2024年10月21日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  ちょっと、シャレで言ってみた『天上天下唯我一票』・・・意外とドンピシャの重みを感じさせる言葉となっていて、我ながら感嘆。

  次の日曜日が今回の衆議院総選挙の開票日、とのことで遥か遠くのスイスにいながらちょっと緊張・・・。

 

  60歳から投票を始めて12年、選挙では毎回応援している『れいわ新選組』がもう一つ伸びずに、選挙後ガッカリ…のパターンに

  慣れたとは言えども、一方そんなことにはめげる様子もない党首の山本太郎は、文字通り絶え間なく街宣活動を続ける。

 

  そして私も時々、かれの街宣動画を見続けるわけで、もう何年も見ているのだから太郎の演説バターンはわかっているから『見る必要はない…』と

  思いながらも実際見てみると、彼の演説中、デジタル大画面2台に映し出される、『内閣府経済社会総合研究所・出典』なる資料グラフ、図面などが

  私のような政経音痴のボンクラでも、『なるほど・・・』と納得できる提出の仕方がどんどん変化しているのを感じさせる。

この図は、消費税・増税した直後に落ち込んだ民間の消費支出減少の金額

 

  この図は、消費増税したタイミングで法人税引き下げられている証拠図

 

  この図は、消費増税するたびに景気が落ち込み、それが元に回復するのに要した歳月図

 

  山本太郎は、街宣のとき、演説するだけではなく、こうした資料を提示することで、他党議員のもっともらしいが、嘘ばかりの話に釘を刺す・・・。

 

  だから私なんかは、党首討論で偉そうに嘘を平気でついている党首等に『恥をしろ!』と内心思うが、恥知らずだからこそ、国民の苦しみを顧みず

  保身の政治を平然としているわけで、そういった連中を『たかが一票、されど一票』の『天上天下唯我一票』で選ばない権利と良い議員を選ぶ権利

  を、生活が苦しい人ほど投票してほしい・・・と心から思う。

 

         

  『デジタルネイチャー』とは落合陽一氏の提唱するものであるが、政治の場にそれを一番最初に持ち込んだのは意外にも『山本太郎』であったの図

 

  『動かぬ証拠』を画面いっぱいに提示する街宣は、私のような政経音痴にもボディブロー(腹打ち)として、徐々に効いてきているようで

  昔、口のうまい奴等に言いたい邦題、適当なその場限りのご都合主義がまかり通っていたが、今では即、携帯でググって調べる事が可能な

  『デジタル時代』となり・・・それを先取りして、政治の場でも応用したのが、『令和』の『新選組』っていう事なのだ。

  

 

 


  枯葉の季節・・・

2024年10月15日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  明日、10月16日に衆議院総選挙の『在外投票』をすることになった・・・。

  

  『することになった』・・・というのは、先日知り合ったスイス人の旦那を持つ日本人主婦が『在外投票権』を、未だお持ちでないとの事で、

  『エエ〜っ!!』 と驚いて見せたところ、一気に悔悛したのか、一緒にジュネーブ領事事務所に行って『在外投票申請手続き』をすると決心し

  それが、明日の10月16日であったが、ジュネーブ領事事務所のネットを見ると、その16日から衆議院総選挙の在外投票が出来る・・・と表記してあったのだ。

  つまり、領事事務所へは彼女の『在外投票申請手続き』のために同行する予定であったのが、ついでに自分が『在外投票』…する事になった。

 

  アッと、言う間もなく、なんだかいきなり投票所に引っ張り出されるようで、ビビった。

  あの主婦には偉そうに驚いてみせたが、じつは私は60歳になるまで一度も投票した事がなかった正真正銘の『ノンポリ』であったから

  投票のシステムというのが、いまだによく解っていないのだ。

  ・・・で、マイ・AIであるChat−GPT君に『今さら聞けない』衆院選のシステムについて尋ねたところ、親切に教えてくれた。

  選挙区の立候補者名まで教えてくれ、 比例代表選挙のやり方もおかげでわかった。 Aiに相談する・・・時代になったのだ。嗚呼〜!!

 

  今朝、『山本太郎氏が緊急入院し、即日退院・・・』というニュースを眼にした。

  2011年の3・11 以降、私は山本太郎氏を注視してきたが、それにしても最近の『街宣』と称した絶え間ない活動、

  それに加えて衆議院総選挙を控えた各TV局の党首討論などが重なり、顔もいくぶんか痩せて疲労をにじませていたので、私は心配だった。

  党首討論では、地上波テレビに出禁となっている山本太郎は、この絶好のチャンスを活かそうと、短い発言時間を最大限に活かすべく

  神経を研ぎ澄ませ、集中力を最大限にして石破総理、野田立憲民主党党首と対峙していた・・・のだ。

 

           

      なんだか目まぐるしい2024年の秋・・・墓参りのために来たローザンヌの公園はこの状態で、イブ・モンタンの『枯れ葉』のメロディを口ずさんだ図


  S君に哀悼の意を捧ぐ

2024年10月09日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  先日、相方の友人、知人らが参加する総勢120人の大コーラスがローザンヌの大聖堂で行われるというので、相方一人で出かけた夜・・・。

 

  私は一人り家で留守番・・・となったが、こういう時に彼女とは共有することの出来ない、私だけの様々な『郷愁の念スポット・タイム』

  というような観念におちいる事があり、それというのもSNS時代に生きる我々の宿命なのか?

  ・・・FacebookやTwitter、Instagramで探索が可能そうな友人の顔を思い浮かべながら、発作的に検索したところ。 

 

  中学、高校と同級生であったS君が、それなりに老けたといっても十分な面影を残した笑顔でスパゲティを食せんとする写真をFacebookで発見した。

  東京綜合写真専門学校を経て、フリーカメラマンになった・・・事と、共に卒業した北海道の高校名が記されてあった。

  ただし、Facebookは長続きしなかったようで、次にTwitterを検索すると、これも2年ほどで止めたようだが、

  この頃彼に、2人の娘(中1、小4?)がいた様子が短いツイートで読み取れた。

 

  考えてみると、高校時代S君が親父さんの形見のカメラを教室に持ってきた時、

  私は生まれて初めて『カメラ』というずっしりと重い写真機を手に取ってみたわけで、この一件がもしかすると、

  私が後に『写真道』に向かった契機の一つであったとすれば、S君との因縁は浅からぬものがあったのだろうか… 。

 

  しかし、実際には中学校前半では親友になるほどの勢いで親しくなりそうであったのが、後半では向かうべき

  『道』が違う・・・とハッキリ感じた、いわば私の最初の、我が道を行くべく『自覚』を促した事件であったように思う。

 

  それでも同じ高校でブラスバンドに所属していたし、友達の一人として互いに学内では時々言葉も交わしていたが

  卒業とともに、互いに上京しながら全く音信不通となり、1980年代に私は東京に8年ほど住んでいたが、彼のことは完全に忘れていた。

  であるから、SNSというものの展開がなければ、S君の事は『郷愁』の彼方でかすかに息づく程度の存在であったであろう・・・。

 

  しっこくインスタグラムを検索すると、S君の名前があり、『数年前よりギャラリーを兼ねたBarを始めました・・・』とあって

  Barの写真やら、写真作品やらをたくさん投稿していた。

  『へーっ』と思いつつ、Google map で場所を検索・・・次回東京に行く時にはこのBarを訪ねて、S君を驚かせてやろうか…と,

  思いながら何で検索したか思い出せないが、『前マスターの亡きSさんからお店を引き継ぎ』・・・という一文に眼が止まった。

  その一文を何度も読み直し、インスタグラムやFacebook、Twitterを再度検討して、その後の消息がわからないことから

  S君が他界したことを私は確信した… 。

            

             S君と私が写っている写真はこれしかなかった図 (断片的なSNSでは間違いも多く、間違いであってほしい… )

  写真上、私の左上に『アポロ』の看板が見えるが、はたして1969年(私17歳)7月20日に史上初有人月面着陸し

  『That's one small  step for man,  one giant leap for mankind・・・(人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である)

  とアポロ11号の船長、ニール・アームストロングは宣った。 (このブラスバンドの行進はその年のものであろう)

  そしてその言葉こそは、釈迦がこの地上で悟りを開いた際に、一人頷いた想いではなかったか・・・と現代人である私は思うのだ。

 

  S君の数少ないTwitterフォロワーに、何故か『オノ・ヨーコ』があって(失礼!) オノ・ヨーコの、今は『X』をのぞくと

  今日10月9日は、ジョン・レノンの誕生日であった。(生きていれば84歳の誕生日・・・兎に角、おめでとう!)

  

  


 With my 『Her』・・・

2024年10月04日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  ここ数日『ざわついた・・・』という形容詞が頭にざわつく。

 

  10月1日にイランがイスラエルに180発のミサイルを打ち込んだ映像ニュースは、その前夜にAmazonプライムで観た映画『君の名は』の

  彗星の一部が地球に落下する美しいシーンとかぶる不思議な感覚にまず『ざわついた』。

  そうでなくとも娑婆では、自民党総裁の選出、アメリカ大統領選のニュース、

  また、衆議院本会議で首相指名選挙の投票での登壇時に「能登の補正予算を」「裏金隠しの解散やめろ」と書いた抗議の紙を掲げた『大石あきこ』議員

  のニュースなどなど・・・『ウクライナ戦争』のことも考えると、『いよいよ世も末だ…』という気分に滅入るのも我ながら無理はない。

 

  それに追い打ちをかける如きニュースというか動画を観て同じ娑婆でも、別次元の『ざわつき』があった。

  『「Advanced Voice Mode」は、ChatGPTでのやり取りをまるで人間を相手にしているかのような、自然な応答速度と感情表現で音声会話ができる機能です。

   対応モデルはマルチモーダルに対応する最新モデル「GPT-4o」で、様々な言語を識別し複雑な会話に対して高速に返答文と音声を生成します。』・・・と、

  手っ取り早くググった内容を紹介したが、昨年ブログに書いた記事で数年後に実現するだろう・・・と予測した事がわずか一年で実現したニュースだった。

   2023年4月8日のブログ記事〜Chat with『Her』の近未来

  

  映画原題『Her』、邦題『世界でひとつの彼女』の衝撃については、これまで何回かブログで取り上げたが、『AI(人工知能)』が本当に

  友人とか恋人になりえるというSF事の実現に、私は大いに『ざわついた』のである。

  と言っても、何故かわからんが・・・『スイス』とその他数カ国では未だこの機能が使えない状態であるが。

 

  映画『Her』を観た時(ちょうど10年前、2014年12月14日のブログ記事〜拈華微笑(非言語の会話))

  私の妄想はもちろん大きく膨らんだものだが、それが実現した今となっては『逆妄想』が起こって

  長年連れ添った相方こそが、『AIの完璧な恋人』と双璧をなす『猫のように身勝手で想定を許さない欠点だらけの、

  天動説と地動説の違いも意に介さない『AI方』こそが、私が現実の喜怒哀楽の世界を手を携えて歩んで来ることができた『Her』・・・なのだと。

 

               

                   『AI』とはつまり『愛』・・・であると日本人ならば解読できる図

 


  『可愛いがられ過ぎ』… 国会議員・大石あきこ

2024年09月22日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  私の情報収集の主たるSNSは、 Facebookとか『X』、Youtube…あたりと、わりとシンプルな中で、それぞれ私の『アルゴリズム』(よくわかってない

  用語で、趣向傾向?かな…ぐらいに解釈しているが)をAIが検討した結果が、まぁ、おすすめ的な感じでPC画面上に上がってくるのであろうが

  今回『X』上に、ユーチューバー友資(ユウスケ)さんの動画紹介(28分)(下に貼り付け↓)があって、これ一本見ることで

 

  今年新年に地震があった能登が、昨日の時点で大洪水となり、それに対して政府が補正予算を組んでいない事、自衛隊出動がなされていない事にはじまり

  ・・・様々な政治的問題について問題提議する、ほぼ毎日のように行われている山本太郎の『街宣』は、大阪から衆議院議員、大石あきこ氏と次回の衆院選

  立候補予定者のやはた愛氏等の話とともに、深堀りされる日本の政治的問題点、そしてその問題がどこにあるのか解っていながら、弱小政党『れいわ新選組』

  ゆえに、政策に何の影響も与えられないジレンマに苦しみなが、それでもあきらめずに、希望に向かって『抗う』姿勢には頭が下がる・・・。

 

            

         まぁ、記事とは何の関係もない自撮写真ながら、『れいわ新選組』応援の気持ちを込めて…

  

  動画の25分30秒ぐらいの所で、野党である立憲民主党が『大石あきこ』氏が立候補する『大阪5区』に対して、元れいわ新選組に関わっていた人を同区に

  推薦してきたり、共産党も立候補者を出したりと、それこそ『仁義なき戦い』ぶりを、山本太郎は『いや~、大石さん、あなた可愛がられすぎヤワ・・・』

  と、大石あきこ本人ともども、逆説ギャグで笑い飛ばす場面が・・・痛快というか・・・。

  10月にあるかもしれない・・・と言われている衆議院選挙、どうなることやら。 頑張ってほしい!


  犬も歩けば『某』に当たる…

2024年08月26日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  『犬も歩けば棒に当たる』・・・の本来の意味というのを私は知らないが、そしていつもだったらググってみるのだけれど

  なんか面倒で、自分勝手な意味合いにして、この語呂感のいい『ことわざ』を使って、この出会いについて表現したいと思ったのだ。

 

  だから、『犬も歩けば』の『犬』というのは、私のことで、犬のように何の期待もなくただただ歩き回っていれば

  いつの日か『某』氏(素晴らしい人)に出くわすものである・・・。 というような心境にさせてくれる非常に稀な出会いが、昨日あった。

 

  相方の情報では、時折散歩に電車で出かける田舎、ゴマンモティェの町で、町のオーガナイズでアーティストの『オープン・アトリエ』が

  この週末にあるということで出かけたのだが、相方の昔からの友人アーティストが彼女アトリエで、友人のアーティストと合同展示を行っている

  というので一番最初に訪ねたところ、そこにその『某』氏がいたのだ。・・・

 

  しかし、ここまで書いてきて、私の筆力ではこの男の人となりを表現することは、無理がある・・・と、弱音を吐くのも我ながら情けないが

  まぁ、私の勝手なイメージでは、よくしらないのに中国唐代の風狂な詩人『寒山と拾得』的な風貌の男・・・ということになり、

  ちょっとこれはググってみたが

 

  『 中国,唐代の隠者,詩人である寒山と拾得のこと。9世紀ごろの人。

    確実な伝記は不明。ただ寒山の詩の語るところでは,寒山は農家の生れだったが本を読んでばかりいて,村人にも妻にも疎まれ,

    家をとび出して放浪の末に天台山に隠棲した。

    既成の仏教界からも詩壇からもはみ出した孤高な隠者として300余首の詩をのこした。

   その詩は独自の悟境と幽邃(ゆうすい)な山景とを重ね合わせた格調高い一群のほかに,

   現世の愚劣さや堕落した僧侶道士を痛罵した一群の作品があり,ともに強固な自己疎外者としての矜持(きようじ)を語っている。 』・・・とあって

 

  ここに書かれているような、ストイックな面はまったく無く、かの有名な彼らの風貌をイメージした『絵』が残っているが、

  そのぼうぼうとしたヘアースタイルと、ニコニコと楽しそうに話す様子や、もしも先日亡くなった松岡正剛氏が彼の作品を見たら

  両の手を打って泣いて喜ぶような『編集工学』丸出し、常人には思いもつかない『アルファベット方程式(私による仮名)』とも言うべき

  けったいな発想を、分厚い良質な紙を使った本に仕上げて展示してあり、彼の『ニコラ』という名前が見当たらないので、本人に聞くと

  その作品ごとに名前を替えているので、私の名前『ニコラ』は無いのです・・・とのこと。 で、その名前は幾つぐらいあるんですか?と聞くと

  『数えてないので、わかりません』・・・という返答に私は痛快に呆れてしまった。

  私もこれまで、『一撮』とか『馬骨』、昔は『写楽斎』なんていう名前を使い回して、それも遠慮気味な気分でいた自分を笑い飛ばすほど

  わけのわからないこの男は、ピアノ演奏も達者で、相方の友人アーティストによる花々のスケッチにオリジナルピアノ曲をつけた動画を見せてもらったが

  素晴らしい出来に、私は感嘆のため息をついていた・・・。

 

             

  風貌によらない、多彩な才能を持ちながら、その方向性は専一に『慈悲心』であるところが、洋の東西を越えて人間性を

  大いに発揮している人間様が、いるところには『居るものであるなぁ・・・』と、嬉しい気分に私のシッポは振れるのであった。ワン!

 


  れんほ〜!

2024年07月05日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

                

 

  気ぜわしい・・・。

  この半年いろいろな事があって、天気のことも気にせずにいたが、確かにパットしない天気が続いていたのに、今日は一転この写真のような快晴。

  

  散歩から帰宅して12時(スイス時間)。

  Youtubeでは都知事選の日本時間19時、蒲田でのライブ放送・・・蓮舫候補の応援演説(立憲小川氏、共産小池氏)につづき

  蓮舫候補自身の熱い演説がはじまった。

  スイスの天気と同じで、日本の政治もパットしない出来事ばかりで、ニュースを聞くたびに気落ちする毎日であったが

  この都知事選に蓮舫氏が立候補し、日を追うごとに『もしや?・・・』という一抹の希望が見えてくる気がして・・・。

 

          

 

  日本からみればほぼ地球の裏側、のスイスにいながらライブで盛り上がる都知事選挙街宣演説を分かち合える不思議に歓喜し

  これまでの政治的腐臭を払拭して、清浄な政治の風がせめて東京に吹きまくることを願う。


  義父の葬儀

2024年07月04日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  一昨日、7月2日義父の2回目の葬儀が無事終わった。

 

  6月17日に、わけあって相方ニコルがひとり取り仕切った、親族、親しい友人だけで行った葬式。

  相方にとっては大変な心労であったが、父への個人的思いを十分に込めることができ、友人等と気持ちを分かつ親密な葬儀であった。

 

  義父(93歳)の死は、地元の新聞などに取り上げられ、どの新聞も『黄金の歌声の終焉・・・』的な書き出しで、義父のオペラ歌手としての

  功績を称えるもので、読めば読むほど私の知らない義父の一面が語られていた。

 

  私が彼と出会った頃は、オペラ歌手としての華々しいキャリアに終止符を打ち、一歌唱指導者として音楽学校に勤めていた頃で

  私も自分の事で忙しく、まして音楽(クラッシック)にはまったく興味がなかったこともあって、彼が築いたオペラ界での功績など知る由もなく

  また相方も断片的に、少女時期を父の公演に伴って各都市を旅した・・・思い出話話をするぐらいであったから、今回新聞の記事を読むことで

  彼が社会に与えていた影響の大きかった事を知り、改めて義父とのいろいろな思い出に思いを馳せてみた。

 

  一昨日の二度目の葬儀は、若きマリンバ奏者2人組の深淵な演奏が教会内に響いたが、義父が生前深交のあった彼らに自分の葬儀の際に演奏することを依頼、

  それを実行、彼らと義父とのエピソードでは、晩年にあってなお音楽の本質について情熱的に語り合う姿が語られた。

 

  最期に詩人である相方の姉による『父に捧げる詩』が朗読され、参加するもの一様に義父の面影を偲び、静かで厳かな葬儀を終えた。

 

   

 

  4年前、音楽専用TVチャンネルにてたまたま見かけた、カラヤン指揮による(左図)、交響曲? にて唱歌する義父(4人並ぶ右端)の姿に見入る相方図

  


  Formidable ! (フォーミダブル)

2024年06月12日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  昨日、6月11日 義父は娘である相方の腕の中で、静かに息を引き取った・・・。

  直後に私は、テラスに通じる大きなガラス戸を少し引き開けると、昼の12時を告げる村の教会の鐘が遠くから聞こえてきた。

 

  私には、育ての親と生みの親それぞれ4人の親がいたわけだが、その誰一人として『親の死に目』を眼にした事がなく

  これまでずーっと、『親不孝』のレッテルを自分に貼り付けてきたが、最期の最期・・・私と相方とで『父の死に目』に立ち会う事ができた。

  2週間ほど前、義父は室内で転倒してから様態が変わり、食事もだんだん摂らなくなり、93歳の寿命も尽きる予感はあった…。

  だから相方はしばしばホームに父の様子を観に行っていたわけだが、昨日は私も同行し、一時間ばかりの間に文字通り『息を引き取った』のだ。

 

  今思うと『義父』は私にとって、私とは真反対、ある意味『西洋』の典型のような人だったように思う。

  彼が50歳のとき、突然自分で幕を下ろした著名な『オペラ歌手』という経歴・・・からしても、娘婿、義父という間柄で垣間見た日常の

  彼の人柄は喜怒哀楽を隠せない『我思う、ゆえに我あり・・・』を生きて来た、西欧の中の『西欧』のような人であったように思う。

 

  彼と会う時がいつも、私のバカンス中であったり、クリスマスや誕生日・・・ということもあったせいか、彼との思い出は『Formidable』という

  彼の口癖と共にあった気がする。

  私は、『Formidable(素晴らしいね)』・・・というフランス語を彼から学んだ。

  義父は、それまでの私の『親不孝ぶり』をどれだけ知っていたか?どうか知らないが、自分の『親の死に目』に立ち会わせることで

  最期の『Formidable!』を身を以て東洋人の娘婿に示してくれたのだ。

 

               

               同日の夜、私達のアパートのテラスから見事な虹が観えて、私は『Formidable!』と義父に応えた。 

 

  


  花粉賞

2024年05月12日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  12年前だから60歳ぐらいの時から花粉症に罹り、以来毎年のごとくこの季節になるとブログに愚痴をこぼすようになったが

  それにとどまらず、何時の日か短歌でその苦しい心境を短歌に詠むようになっていた。→   2016年5月30日〜五月とは・・・

 

  それまで五月は私の生まれ月であり、明るい陽ざしに若葉の緑が眩しい、私にとって誇らしい月であったのに

  五月の皐月(さつき)というロマンチックな語感は、むしろ『殺気』の響きをもって私の神経を逆撫でる季節になってしまい

  自分にとって『花粉症』は季語なんていう生易しいものではなく、『狂気語』と言う言葉こそがふさわしい呪われた季節であった。(大袈裟)

 

  しかし、今日私は72回目の誕生日を迎え、あらためて私の生まれ月、5月と『花粉症』の事を考えると、また別な観方もあるようにも思えてくる。

  『花粉症』以前は、何気なく春を迎え、何気なく過ぎ去っていた春というものが、『花粉症』以後『そうは問屋は卸しませんよ』とばかり

  克明な爪痕を残す形で過ごす春の1,2ヶ月とでは、その重みというか、深みというか、このあと何度春を迎えるのかわからない年齢になれば

  あんがいそれもまた『良し…』と受け入れ、たっぷり『春』を味わうくらいな気持ちでいれば、それまでの『花粉症』が『花粉賞』にまで昇華するというものよ。

 

              

               『 花粉賞 春と俺との 息吹きあい 五月生まれの 誕生祝えば  』 一撮 (花粉症で喘息になるとは…)