拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『禅』は三段打ち上げロケット!

2025年01月18日 | 東洋自分なり研究所

  何かが大きく変わろうとしている時代、その最先端2025年における『禅』の果たすべく役割について展望してみたい。

 

  馬骨の『水晶占い』ではないが、禅についてはこんな風景が観えるのだ・・・

         

             禅ロケット音は『観世音』を発し、音色は『天上天下唯我独尊!』で飛翔中

 

 

  禅とは何か? という問いが常にまずくるわけであるが、禅に携わった者でも、その見解はそれぞれであることを前提としても

  釈迦の『悟り』というエッセンス(本質)を捉えての『禅』であることは間違いないだろう。

 

  ここからは、無学な馬骨論になるが、

  禅が人類救済の為に、人類自らが打ち上げたロケットであるとした時

  地上から宇宙に打ち上げる為に、最初の打ち上げエネルギーとして『初期仏教』があり、次に『大乗仏教』があって、

  『三段ロケット』の様相を経て現在の『禅』がある・・・と、観てはどうだろうか。  

 

  この『三段ロケット』と言うところを、今年の『巳年』にちなんで、『脱皮』といってもいいと思うが

  禅というのは、歴史的には『三段ロケット』であるけれども、あらゆる時空の制限から絶えず『脱皮』している点から言えば

  『脱皮』という言葉がより本質を捉えているかもしれず、それ故に『禅』を外から傍観する人々には、『禅』が観えずらいのだともいえる。

 

  9世紀の中国唐代の禅僧、臨済禅師は『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ(臨済録)』・・・とすでに凄いことを言って

  『禅』が何モノにも属してないことを、極端な言い方で強調している。

  仏陀も、あらゆるイデオロギーから、自由な立場であることを『天上天下唯我独尊!』・・・と初めから言っているわけだ。

 

  その点については、私は臨済宗の禅寺・円覚寺で禅を修行したが、徹底していて、私は禅が仏教であることすら念頭になかった。

 

  どんなに、科学が進歩して『物質』の本質に迫ったとしても、イデオロギーの呪縛からの解放という問題はまた別問題で

  人をして無にする『仏質=仏性』に眼を向ける『禅』の存在により注視する必要があるのだと思う。 


 瓢箪から牛の『十牛図』

2025年01月13日 | 東洋自分なり研究所

  先日、相方が彼女の重要箱からハガキ大の白黒写真を取り出し、『この写真、私大好きなのよ…』と言うので、見てみると

  私の自撮写真、いわゆるセルフポートレート写真で、昔、隠岐の島へ闘牛の写真を撮りに行った時の一枚だった。

 

              

  24歳のときの写真で、ゴルフキャディのバイトから、卒業した写真学校(芦屋)に助手として雇われ、金と時間に余裕ができたことで

  何故か、『闘牛』をテーマに、宇和島とか隠岐の島とかに取材に出かけた時の写真・・・であった。

 

  相方に見せられ、久々にこの写真を観て、『隠岐の島の闘牛を撮りに行った時の写真だよな…』と思つたとき、『あれっ、十牛図』と思い

  この時、初めて自分の『闘牛写真』と悟りの進捗具合を絵図にした『十牛図』とが、直結した。

          2023年9月7日のブログ記事〜ギャラリー還暦『森』〜宇和島の闘牛

 

  昔禅修行していた当時、古本屋さんで買った山田無文老師の『十牛図』を持っていて何度か読んだが、ピンと来るわけでもなく

  自分の修行との接点も見いだせず、うっちゃっていたような『十牛図』本であった。

  それが、今頃になって自分と禅と牛写真とが、一つながりに『十牛図』に繋がったような気がしたのだ。

   ( 4年前ぐらいに十牛図について少し書いたものがあった 2021年7月11日のブログ記事〜大丈夫教)

 

       

 

  上の私の写真は、この十牛図でいえば、1番の『尋牛』ということろか? 

  というか、それにしても後に『禅道』を歩むことになった私が、24歳の時、撮影の為とはいえ牛を尋ねて宇和島や隠岐の島に行くなんて・・・。

  今になって思うと、私は『十牛図』そのままの人生を生きてきたような気がするが、考えてみると十人が十人それぞれの『十牛図』を歩んでいるのだと思う。

 

  私が『還暦スキャン』と、自分の過去を観察の眼を持ってじっくり顧みる事を奨励する意味というのは、じつは誰の人生にも必ず

  『十牛図』があるからなのだと思う。

  自分の人生というのは後で、吟味しなければなかなか解るものではないような気がするが、どうかな?

 


  元旦から駒の『正月』考

2025年01月10日 | 東洋自分なり研究所

  郷里の日本の正月も35年ほど、離れていながら・・・、いや離れているからこそ?か、 

  こちらヨーロッパの新年感の薄い・・・『正月』ではない新年に、慣れたというか諦めたと思いながらも、深いところでは…。

 

  しかし定年退職で、時間的余裕があるせいか、ふと『正月』という言葉と文字に眼がいってしまった。

  この72年間、一度もそんなこと考えたことがない『正月』考・・・といっても御存知のように、『〇〇』考というタイトルは

  単にカッコウ付けているだけで、学術的に何の裏付けもない、馬骨論であることを、年が改まったのを機におことわり申す。

 

  だいたい日本でも『正月』とは、その一週間ぐらいはなんか新鮮なのだけど・・・2週間もすれば新鮮味が薄れて、まるで生物(なまもの)ようではあった。

  で、なんで新年の一月をして『正月』というのか?・・・ちょっとググってみると以下にになる

  
  『1月を正月と呼ぶのは、「正」と言う字に、年の初め、年を改めるという意味があるからです。

   昔から、その年の 新しい歳神様を家族そろってお迎えし、祝う、大切な日とされています。

   正月は、日本の行事の中でも最も古くから存在するものだと言われています。

   お正月は一般的に松の内(1月7日・15日)までを指します。

 

  ・・・とあり、『新しい歳神様』という言葉があるので、正月は神道系の行事かな…?と思ったのだが

 

  馬骨的には『正月』という『正』という文字にこだわり、何となく、その根源が仏教初期の教え『八正道』から来ているのでは、と妄想する。

 

       『八正道〜①正見(正しい見解) ②正思惟(正しい決意) ③正語(正しい言葉) ④正業(正しい行為)

            ⑤正命 (正しい生活) ⑥正精進(正しい努力) ⑦正念(正しい思念) ⑧正定(正しい瞑想) の修行のことである。』

 

  これだけ『正』の字を使って、修行というか、生活を正していこうという仏教の基本的教え『八正道』が、『仏ほっとけゴミ屋(538)さん)と

  538年頃に仏教が伝来したとき、こういったシンプルな基本の教えが日本の文化慣習に影響を与えないわけはない・・・。

 

  で、日本では古来より新年を、新たな年として様々な仕掛け

  

  1. 大掃除   2. 門松・しめ飾り・鏡餅の飾り付   3. 年越しそば  4. 初詣

  5. おせち料理   6. お雑煮   7. お年玉   8. 年賀状   9. 獅子舞   10. 福袋

  11. 羽子板・凧揚げ   12. 鏡開き  13. 書き初め  14.除夜の鐘  15.忘年・新年会

  ・・・エトセトラ、エトセトラ、ざっとこれだけ、或いは人によっては個人的な『正月仕掛け』もあるだろう。

 

  こんだけ、全日本的に『正月』を盛り上げれば、日本に生まれた者は『正月』を実に『新たな年』と思わざるを得なくなるものだ。

  その根底には仏教思想である『慈悲と智慧』が脈々と息づいている事は間違いないであろう。 目出度い・・・。

 

             

               スイスの我が家のささやかな『正月』印・・・・図

 


  禅による『大円鏡像自己認智法』

2025年01月08日 | 東洋自分なり研究所

  先日、高校女子3年生による、タコの研究発表の様子を報道したニュースをYoutubeでみた。

  なんでも、『タコに鏡像自己認知能力があるか?』という研究テーマだそうで、私はこの聞き慣れない『鏡像自己認知能力』という言葉に

  異常に反応してしまった。

 

  何故なら、私が研究する坐禅の『坐』の字がまさに、人が佛性である『鏡像自己認智能力』を有している証の象形であり、

  佛語の大円鏡智とは、自我に対する無我(臨済禅師は無位の真人と表現)を映し、自他不二を自覚させるのが『(大円)鏡像自己認智』だからだ。

 

  その前に、そもそも『鏡像自己認知能力』とは何か?・・・をチャット君に聞いて見ると

 

  鏡像自己認知能力(mirror self-recognition ability)とは、生物が鏡に映った自分の姿を「自分自身」として認識できる能力のことを指します。

  この能力は、自分という存在を意識し、他者との区別を理解することに関わる重要な認知能力の一つです。

  自己認識のテスト
  鏡像自己認知能力を測るために、**「鏡テスト」**が広く使われます。このテストでは、動物の体(通常は額や耳など)に目立つ印を付けて、

  鏡を見たときにその印を自分の体に触ろうとするかを観察します。印に気づいて触る場合、その動物は鏡像自己認知能力を持つとされます。

 

  この能力を持つ生物
  人間(一般的に2歳以上の幼児)
  チンパンジー、オランウータンなどの大型類人猿
  イルカ
  アジアゾウ
  マグパイ(カササギ)などの一部の鳥類


  人間における意義
  鏡像自己認知能力は、人間の自己意識や社会的認識の発展と深い関係があります。

  例えば、自分を認識する能力は、他者の視点を理解し、共感や社会的関係を築く上で重要な基盤とされています。・・・ここまでChatGPTより

 

         

  以前より私は、『悟り』は『郷里(サトリ)』と『郷』の字に注目している理由が、甲骨文字が二人が向き合う様 

  を描いた象形で、それは『坐』と通じるものとして、この二人の間には『鏡』があると私は解釈し、佛語である『大円鏡智』も『自他不二』の

  真我を映す般若の智慧の働きであると思う。

 

  私たち人間には、観えない鏡(大円鏡智)があって、そこに映る『鏡像自己認知能力』を試すことが人生の通過儀礼として用意されている。

  私たちが『坐禅』をする意味もそこにあるのではないだろうか。


  2025年『智慧の巳年』

2025年01月06日 | 東洋自分なり研究所

  今年、2025年は『巳年』ということで、昨年暮れからこちらヨーロッパはスイスで、普段から見かける『巳図』を携帯で撮りためていた。

 

         

            Romont (地名)の旧城のステンドグラス博物館で見かけた失楽園図

  その中でこの写真、『ヘビ』が人間をして『知迷う』=『諸行無常』の原因を誘った象徴として鮮やかに描かれている図として私によって選択。

 

  『知恵の樹』のキーワードでウィキペディアで調べると

  『 創世記』によれば、人間はエデンの園に生る全ての樹の実は食べても良いが、知恵(善悪の知識)の樹の実だけは、

    ヤハウェ・エロヒムにより食べることを禁じられていた(禁断の果実)。なぜなら知恵の樹の実を食べると必ず死ぬからである。

    しかし人間を神に背かせようとする蛇に唆されて、初めにイヴが、その次にイヴの勧めでアダムが知恵の樹の実を食べたことによって、

    善悪の知識を得たアダムとイヴは、裸の姿を恥ずかしいと思うようになり、イチジクの葉で陰部を隠した。

 

    それにより神は事の次第を知り、知恵の樹の実を食べた人間が生命の樹の実までも食べ永遠に生きるおそれがあることから、

    アダムとイヴはエデンの園を追放される。この出来事を「失楽園」という。

    キリスト教ではこの出来事は神に対する不服従の罪であり原罪とされる。

    この出来事により、人間は必ず死ぬようになり、男には労働の苦役が、女には出産の苦しみが、もたらされるようになった。

    蛇は神の呪いを受け地を這いずることになった・・・。』 (ウィキペディアより)

 

  私にとって今年2025年は『AI元年』と称すべく、『AI』というものがあまねく一般に周知徹底した年として確固たる地位を得た年になるだろう。

     (*万一の想定外的天災(大地震・火山爆発・大津波)や大戦争でもない限りにおいて・・・は。)

 

  私、馬骨的には『AI』という人工知能の頂点・・・これを仏教でいう『色即是空』の『色』とした時、『色』を制御する『空』であるもう一つの智慧、

  『般若智』・・・この正体を『慈悲』と『智慧』と古来より説かれ、この略名『慈智』を日本風に『JI』(ジィアイ)と称すれば、対『AI』をコントロールすべく

  全人類を幸福に導く『もう一つの智慧』としての『JI慈 Intelligence』が在る・・・と主張する仏教国、日本の存在が光る。

 

  正月にその年の『抱負』を決意する慣習・・・こんな素敵な風習というのは、日本でも死習であろうか?

  こちらヨーロッパではざっと見渡しても、慣習としても、個人的にそうしている人も残念ながら見たことがない・・・。

 

  私は日本人の端くれとして、『今年の抱負』というようなものを考えるわけであるが、

  『色即是空空即是色』ではないが、『AI即是JI』ぐらいに、もう一つの智慧=『JI』というのが素っぴんの自分の中に眠っている事を

  人々に喚起すべく、『AI』という言葉を口にする人が、即座に『JI』を想起し、思わず口ずさむぐらいにこのブログで提唱しようか・・・。

 

  漢字方程式的にもヘビの『巳』というのも、じつに『己』に似ているではないですか。

  自己のうちに宿る『智慧』、それが『弗』の『自他不二』の『二』を結ぶ『巳』の紐が開いたり閉じたりの『JI』が『己』の中に息づいている姿を

  象った文字が『巳』であり『己』・・・なのかなぁ?? と適当なこと天地無用状で観自在してみました。御免なすって!

 

 ( *後で気が付いたことに、『JI・AI』という風に『二つの智慧』を並べると、その日本語としては『慈愛』となりました。めでたし!)

  

  

 

  


  路頭に迷うブロガー馬骨

2025年01月05日 | 東洋自分なり研究所

  私は元旦、1月1日までGoo blogを書いていたが、2日以降Goo blogサイバー攻撃により
  Goo blogを見ることも、書くこともできない状態になってしまった。

  Goo blogには毎回の記事に対して、ブログランキングが表示され、私の平均順位は1万代であるが、それが319万ブログ中・・・

 と表示されているのを見て、いつも私はその数の多さに驚く。 


 ブログはGoo blogでけでなく、いろいろあるわけだから、物凄い数のブロガーがせっせと思い思いの事柄を書いているわけだ。

 長年ブログを書いている人にとって、ブログを書く事は、もはや生活の基盤のようになっているだろう。

 
 私などはバーチャル研究所である『東洋自分なり研究所』を数年前にブログ上で立ち上げたが、

 そのブログサービスがサイバー攻撃を受けて使えなくなる・・・とは
 それこそ想定外であったが、  私もインターネット住人の一人として、そういった不具合が起こることは今後ある程

 覚悟しておくことが必要であることを身に沁みて知らされた・・・。

 幸いというか、私には以前使っていたHatena Blogがまだ使える状態で残してあったので
 今回の場合のようなとき、一時的にも予備としてブロガー活動を継続できるが、やはり長年馴染んだGoo blogの編集画面やら、  
 ブログを通して仲間意識を感じているブロガーのブログを読むことができない寂しさもあり、一日も早く復旧を願うものだ。

  昨年2024年は、元旦早々能登地震で、『諸行無常』を感じたが、今年2025年はそれとは比較にならない性質の障害であるが、
 ブロガーにとってはそれもまた『諸行無常』を喚起させる出来事であり、  そういった日常に我々は生きており、
 それに備える心構えも常に必要であることを、今回のGoo blogサイバー攻撃は私たちに知らしめたのだと思う。

 それにしても1月も5日になるというのに、未だに復旧していない・・・ということはかなりのダメージということか??

  X(旧ツイッター)、やFacebookで私のブログを読んでくださっているには、Goo blogが復旧するまで、

 こちらのブログで発信しますので、宜しくお願いします。

 

           

       人生は『諸行無常』とともにあり、『諸法無我』という自性に目覚める・・・手法もありかぁ

 

 *いまこの一節を1月6日に書いている・・・ちょっと試しにVPNに接続したらGoo blogが起動した!嗚呼(なんでもっと早くに気付かなかったか?)の巻

  で今、昨日『はてなブロック』に書いた記事をこちらに貼り付けました。備えあれば憂いなし・・・ということか


  人生の問

2025年01月04日 | 東洋自分なり研究所

  昨年の暮、私より年配の古い友人(日本人)を誘って近くのハッピーアワーで一杯飲ませる店のテラスで飲んだときの話。

 

  無類の読書好きの彼が本を持って歩いているのは不思議がないが、カバンから『法華経』に関する本を2冊取り出し、私にくれると言う…。

  で、読んだら『法華経』について教えてくれ・・・というのだ。

  彼いわく、この本はつまらない…、著者自身が主催する組織の宣伝ばかり・・・ということらしい。

 

  彼とはこれまで、佛教について語ったことは一度もなく、私がどれほど佛教と関わっているか、昔禅の修行をした事がある…ということを

  私から聞き知っている程度で、宗教についてはむしろ、彼が牧師について聖書の教えを受けていた話を昔聞いたことがある程度であった。

 

  とにかく『法華経』に関する2冊の本は有り難く頂いたうえで、法華経について何も知らないながら、『法華』という言葉から私が抱いた

  印象・・・『人間も法の華を咲かす、その事を説いたお経』であろう…という馬骨論がツイ顔を出し、『人間とは何の為に生きるのか』という問い

  に答えたもの・・・でしょう?と、私はそれとなく彼の同意を求めると、彼は俄に顔色を変え、『そんな問などどうでもいい』と言わんばかりに

  私が同意を求めた問に対して、無き事にしようとする物言いとその態度に、何故か私は激怒していたのだ。

 

  私はめったに怒らない人間であるけれど、怒ると身体全身を震わせて怒る・・・初めてこれが起きた時(36年前)、隣に相方がいて驚いていた事が

  久々に起きたわけだ。

  友人は、何故私がこれほどまでに怒るのか・・・、実は私自身何故なのか解らなかったが・・・同席していた相方は呆れた顔でそれを目撃していたはず。

 

  私は今になって、その理由が解った気がする。 それは『人生の問』の欠如、それが欠如した人間が『法華経』を教えろ・・・という事に私は怒ったのだ。

  そして、彼にとって不可解な『私の怒り』は、じつは彼の問への私の『答え』ではなかったか・・・と今では思う。

        

 

  『問』という字に一黙を加えることで、『間』になり、それが『人間』という言葉を構成している『佛語漢字方程式』の完成度を私は賞賛する。

 

  『人生の問』と出会う事は案外難しいことなのかもしれない、

  お経に『仏法聞き難し』とか『無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭いおうこと難し・・・』とあって、昔は大げさな表現であるなぁ〜と、

  思ったものだが、それってつまり『人生の問』のことではなかったか?

 

  私自身の事を考えても、禅と出会うまで私は何の『問』も自覚することができなかった。

  確かにとてつもなく大きな『問』を持っていたが、それを自覚する方法が解らなかったのだ。

  だから、『仏法聞き難し』とか『無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭いおうこと難し・・・』というお経の文句も今はよく解るつもりだ。

  

 

  


  『目出度い』考

2025年01月01日 | 東洋自分なり研究所

  日本では正月に『おめでとう!』と互いに言い合う・・・。

  それを漢字で書くと『お目出度う』という当て字を使うようだ。

  

  これを佛察(考察)すると、『見性成仏(=悟り)』することの出来た『眼』の体得を祝う・・・時のセリフにしか聞こえないが

  『今年も新年を迎えて、見性成仏に向けて頑張りましょうね…』的な、互を励ます、非常に肯定的な、新年にふさわしい挨拶に思う。

 

  それを知って云う『お目出度う!』と、知らずに云う『おめでとう!』では、道(未知)への深まりが違うような気がする。

  この微妙な差が、『差取り』から『無』へ、『無』から『空』への、『道文化』を歩む面白さでもあるのであろうか?

 

  しかし、かく云う私自身が、今の今まで、その『差』がある事を知らなかったとは笑える・・・図。

 

         

          皆様、新年あけまして お目出度う ございます。 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。(馬骨)


  『龍年』にサラバする前に…

2024年12月30日 | 東洋自分なり研究所

  今年2024年は『辰年』であったが、私は辰年生まれの72歳・・・。

  いわゆる年男として、何かいい事あるカモ!?・・・の期待を抱いたものだが、新春早々相方が入院したり、

  私自身風邪や花粉症でわりと長期間、気管支を痛めつけられ、こともあろうか元日に能登地震が起き、戦争も各地で広がるなか

  トランプが米国大統領に選出される等など、ネガティブな事がいつもより多い年であったような気がする『辰年』。

 

  前回の私の辰年が12年前の60歳の時であったから、『辰年』の『龍』の意味についてなど仕事にかまけて考える暇もなかったが

  今回は定年退職の身分であり、考えるとは無しに『龍』が象徴する意味について、たぶん一年をかけゆっくり考察。

 

  十二支の中で、唯一架空の動物というか生物・・・『龍』には、一体どうゆう意味があるのか? 

  『龍年』に生まれた者として、この問題は今年中、つまり明日中には解かなければ…と、我が『龍性』に尋ねてみる・・・。

 

  円覚寺で修行中、仏殿の天井に描かれた大きな『龍』の下で大勢の僧侶が朗々と経を読む場に何回か遭遇したが

  当時は『禅』と『龍』の関係性を知るべくもなく、ただ龍のパワフルな『ギョロ目』が印象に残っている・・・ぐらいなものであった。

 

  禅の修行で最も重要視される力(ちから)は、禅定力・・・というもので、坐っている時、あらゆる妄想を断ち切って、『無』で居続ける

  定力が、坐から立ち上がった瞬間、雲散霧消するような禅定力では話にならない・・・

  そういう意味では、パワフルな禅定力を可視化した姿が『龍』ということが云えるかもしれない。

 

  そして先日話した三学の『戒ー定ー慧』の『定』が禅定力で、『慧』というのが、龍のあの『ギョロ目』が象徴する『観』という事だと思う。

  そこには『観自在』があり、龍の振動を象徴する『観世音』が響き渡ってその救済の意志の存在を力強く誇示する龍の姿は

  釈尊の生誕のときの逸話、四方に向かって7歩あるき、『天上天下唯我独尊!』と雄叫びをあげた仏陀そのものの姿でもあるようだ。

 

            

 

                          どなた様も、良いお年を!

  

 

  

  

  


  直線から円覚

2024年12月26日 | 東洋自分なり研究所

  『円覚』からは円描く・・・というような、幼稚な発想が頭から離れない・・・。

  何も円覚寺で修行をしたからというわけでもないと思うが、自然『円覚』というのが我が公案になっていたのか。

 

  禅修行の行程を考察するに、『戒→定→慧』という一直線的な行程があることを何かで読んで学んだ気がする。

  ウィキペディアに『三学』が出ていた!

  『 三学(さんがく)とは、釈迦によって示された、仏道を修行する者がかならず修めるべき3つの基本的な修行項目をいう。

    具体的には、戒学・定学・慧学の3つを指す。 この戒 ・定 ・慧は、修習の順番が重要である。』

 

  ・・・釈迦の時代からその重要さを説かれていたのか?  

  で、ここに確かに『この戒 ・定 ・慧は、修習の順番が重要である。』・・・とわざわざ書いてあるが、

  その事が、私の云う『直線』という意味で、今思うと修行の行程が確かに『戒→定→慧』というような流れで深化して行ったように思う。

 

  私の場合でいえば、『戒』は、生活全般の方向性を『修行』中心に向けて、整える・・・というような事か。

           『定』は、自分を『無』に追い込むべく禅定の意味で、坐禅を深めることをいうだろう。

           『慧』は、『無』から『空』に転じる(空じる)『観』を得ることゆえ、『覚』の字が当てられたか。

 

  そして、直線的であった『戒→定→慧』が、『円覚』となって、『円覚自在』に『戒・定・慧』が混在一体となり、無分別様になって

  生活に応用される様ではないだろうか。

  量子力学で云う、『戒・定・慧』の粒子が『重ね合わせ・もつれ』状に在って、『観』の意識が働くとき、そうか!と頷くような・・・円覚。

  

         

          『戒→定→慧』という滑走路から、飛び立った『坐』というUFOが『円覚』の図

          

  (*ところで、『円覚自在』という四文字熟語はないようで、『変幻自在』とか『円転自在』の妙(ニュアンス)をかもす馬骨造語)

  円覚寺、円覚寺と実在する寺名を勝手な解釈で、汚辱しているかもしれず申し訳ないが、馬鹿は馬鹿なりに『円覚』から

  体得した目下の私の答えであろうか。

        

             

  12月24日、相方の突然の提案により、フランスはLyonへ行き、バジリック‐ノートルダム大聖堂にてミサに初参加して一泊。


  『神心説』と『人心説』

2024年12月23日 | 東洋自分なり研究所

  私はコペルニクスの『地動説』に、まったく関心を寄せない我が相方の無学に呆れる一方で

  確かに、『地動説』と『天動説』の違いを知ったからと言って、私らの日常生活に何の差し障りもない事実にも頷く今日此の頃。

 

  それでも16世紀当時、『天動(地球中心)説』と思っていた大自然の仕組みが、科学的観察によって実は『地動(太陽中心)説』であったと・・・

  コペルニクスによって教えられた聖職者たちは、内心おだやかではなかったであろう・・・じじつ、後年『地動説』を支持した学者

  ジョルダーノ・ブルーノ(1548–1600)は異端審問により火刑に処せられ、 ガリレオ・ガリレイ(1564–1642)も終身軟禁の刑を受けた。

 

  私は一連のこの話を耳にする時、

  自然の秩序に万全の信頼を寄せていた思われる、かの天才アインシュタインが『神はサイコロを振らない… 』と言ったセリフは

  その事情背景がまったく違うとはいえ、『地動説』を聞かされた当時の聖職者たちのセリフたり得ただろうか?・・・などと妄想したりする。

 

  そして、紀元前500年頃、釈迦が『仏陀』の名称を授かる理由となる『悟り』は、

  後に達磨大師が起こした『禅仏教』の根本理念『不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏』の『(直指)人心』を指向した結果であり

  自己から離れ天に向かって信仰する『神心』の宗教との違いを明確にした。

 

  しかしながらその後、時代がどんなに推移しても『神心説』、『人心説』というような『意識』を向ける方向性が

  『自己の内か外か?』というような事は問題にもならなかったが、・・・実はそれこそが問題ではなかったかと私は思う。

  まさか、人間の秘密(無敵兵器)が己の内にこそ在るなどとは、仏様しか知るよしもなし・・・ということであった。

 

  『神はサイコロすら振らない』生真面目な方であるとすれば、一方の仏は『遊戯三昧』と、遊び放題ではなかったか・・・

 

                    

                                 『 直指人心 』の図

  

  

  


  『 Non-ナルシルト』の弁明

2024年12月20日 | 東洋自分なり研究所

  我がブログながら、自撮り写真が多く・・・どうなんだぁ〜と、思いつつもつい自分の写真をアップ、XやFacebookに若き日の、

  或いは爺いとなった、我が顔を見かけて、ギョッとする事がある。

 

  『どんだけナルシルト!、このジジイ … 』と思われているのだろうナぁ〜と、思った時、いつか弁明せねば・・・とは思っていたのだ。

 

  『ナルシルト』をググってみると、ニュアンスの多少違ういろいろな解釈があったが、私的に面白い解答を見つけた。

  【ナルシシズム」は「自己陶酔」や「自惚れ」などの意味で使われ、自分を愛したり、自分を性的な対象と見なす状態のことを指す。】

 

  まぁ…、多少は(根拠のない)『自己陶酔』や『自惚れ』はあるかもしれないが、『性的な対象』は、いくらなんでも無いだろう・・・と妄想した時

  『性』の字に、我が愚脳は即反応し『見性(けんしょう)成仏』…とアウトプット。

  『性』は性でも『せい』ではなく『しょう』・・・でしょうと、ここでも佛語漢字は『重ね合わせ・もつれ』性を発揮する。

 

  禅を立ち上げた、我が達磨(ダルマ)大師が掲げた禅・理念〜『不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏』・・・の『見性成仏』である。

  世が『色即是空』であるならば、『性』にも『色性』と『空性』があり、『自己陶酔』の『色性』が何時の日にか、その『性』を空じて

  『見性成仏』となる可能性を『佛道』というのではないか。

 

  『見性成仏』の『見性』は、人間の『本性』であり、『人間性』探究の根源であるだろう。

  従って、人間は自分を『見る』ことに、強い欲求を持っていて、何ら恥じることはないが、その『見る』は、主語のない『観る』への昇華を要する。

  私は『見性成仏』は本来、『観性成仏』の誤訳だと思う。(或いは何か別な事情があったか)

  佛語としての『見』は、自他不二で主語のない『観』がふさわしい・・・と、『観自在』の馬の骨は云う。

 

  まさに『観自在』こそ『観・自・在』で、『分が生きてるをる』・・・『佛道とは、自己を習うなり…(道元禅師)』の一点『観』に集約する。

 

  私ごとき馬の骨でも、『還暦スキャン』すれば

  10代・・・盲目の養母の眼と成る可く過ごす子供時代・・・

  20代・・・何故か『写真道』に没頭する日々・・・・・・・  * いずれの世代も、つまるところ 『観』に落着!

  30代・・・禅修行没頭・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

  そうであれば、私がつい『自撮り写真』をアップしたとて、『ナルシルト』と云うなかれ、人をこよなく愛す『撮人家』の『性(さが)』でもあれば…。

 

          

     私もかって、川面に『自己の姿』を映して、ナルシルトたりえたかもしれないが、もう一つの 佛『性』がそれを超えさせた図


 『如是我聞』を君はどう聞くか?

2024年12月19日 | 東洋自分なり研究所

  一応、私のブログは『日記風』・・・という体裁になっているが、やはり赤裸々…というわけにはいかず

  それこそ一応それなりに格好っけていることは間違いない。 まぁ、本人が言っているのだから間違いない…はず。

 

  で、さっそく告白するが、私は禅修行のことをよく書くが、円覚寺居士林で貰った『修養聖典』の『興禅大燈国師遺戒』という

  短いがカッコいいお経の一節 『無理会(むりえ)の処に向かって 究め来たり究め去るべし・・・』の語に尽きる感があり

  およよ10年に渡る修行を勝手に打ち切って下山してみると、世間一般でいう『仏教』について何も知らない・・・ということを知った時の

  衝撃はただごとでは、なかったのだ。

  正直、仏教の根本理念と言われている『三法印〜諸行無常・諸法無我・涅槃寂静』すらもろくにわかっていなかったであろう。

 

  それなのに、なんだか『解ったつもり』になっていて、スイスで引越屋になったとき、仕事下請けのポルトガル人の相棒が

  『俺はキリスト教徒だけど、仏教ってなんだべや?』・・・と聞かれたとき、私は『・・・』と絶句する自分に驚いたのだ。

  その時、私は53、4歳だったような・・・。 いやいやいや、以来私は仏教の『ぶ』、禅の『ぜ』の字も人に云うこともなかった…と思う。

 

  それが、65歳で定年退職してからこっち、そろそろ8年目を迎えようとしているが、我がブログは見るまでもなく『禅一色』の感がある。

  そして、一丁前に今日のこのブログタイトルだ・・・『如是我聞を君はどう聞くか?』だとょ。

  馬骨に言わせれば、この『如是我聞』をどう聞くかによって、『仏教の音色』が違ってくる、というのだ。

 

           

           私は『観音』とか『観世音』とか聞くと、面白いべなぁ〜・・・と思っている今日此の頃の図


  郷里の味

2024年12月15日 | 東洋自分なり研究所

  普段、私は駄洒落半分で『悟り』を『郷里・さとり』と読み込んでいるが、

  昨日あたりから、シャレ抜きで『郷里』というものを『味』という視点から再考察している・・・。

  ヨーロッパ滞在もじきに34年目になろうとしながら、今頃『郷里の味』に気が付いたのか・・・と思うと感慨深い。

 

  『郷里の味』というのは、郷里を離れたことのない人には絶対わからないであろう。

  特にそれが海外であれば、国内にいて『おふくろの味』・・・と言っているのとは、違う次元の『味』なのだ。

  私はそのことに、今日まで気が付かなかった。

  日本人だもの、日本食が恋しくなるのは当たり前だべや・・・と思い、それ以上でも以下でもないと思っていたのだ。

 

  スイスに住んでいて、近くの外国、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン・・・に旅行に行く時、何故か

  私はその街の日本食レストランを検索しては、行こうとする(そしてだいたいがっかりする)・・・それを今日まで不思議に思わなかったが

  ついに、その事を不思議におもうようになったのだ。

  極端な話、この34年間、『郷里の味』日本食を思わない日はなかったのでは・・・と思うほどに日本食に『郷愁』を抱いていただろう。

  だから、ブログにせよ、Youtubeにせよ、美味そうな日本食をテーマにアップしているのを見ると、嬉しさと儚さが交察した複雑な

  気持ちになる。 

  現役で働いているスイス在住の日本人等は、毎年帰国、中には年に数回帰国している者も多く、私のように経済的に7年に一回帰れるか

  どうか・・・というような者にとっては、『郷里の味モドキ』で、無意識に我慢しているわけであるから、頭も禿げるわけよ。

 

  しかし人間にとっては恐らく『郷里の味』と同等か、或いはそれ以上に『郷里(さとり)の味』への渇望は狂わしいモノがあるのだ。

 

              

         昨夜はニコルのジュネーブの従兄弟の家に招かれ、『エスカラード祭』〜1602年『ジュネーブ対サボワ王国』(現東フランス)

         の戦いがあり、城壁を乗り越えて侵入してきたサボワ兵にたいして、婦人が窓から煮立った鍋を傾け、投げつけて撃退した逸話がある。

 

             

          それに因んで、チョコレートの鍋をその場にいる、一番若い者と、一番年寄り・・・つまり馬骨が指名されて・・・

          

          鍋を一気に叩き割る・・・という風習に参加した図 (若者の手の甲が叩き割る面にあったので遠慮なく叩きつける馬骨)

         (席を譲られる不条理的心理に若干陥った馬骨は、そばにいた婦人に対して、私より✗✗✗では?・・・という言ってはならない

          セリフをつい口走ってしまい、周りの人間から不興を買ってしまった馬鹿な馬骨)

  

  


  慈石の針

2024年12月13日 | 東洋自分なり研究所

  こちらスイスでは、日本ほど12月をあらわす『師走』・・・という雰囲気は希薄だ、そりゃまぁそうか… 。

 

   『師走』とは :かつて、12月は僧侶が各家庭を訪れて読経や仏事を行う時期でした。

          このため、僧侶たちが忙しく各地を駆け巡ることから、

          この月を「師が走る」月という意味で「師走」と称されたと言われています。(ググった情報より)

 

  最近では、日本でも師(僧侶)が走り回っている風景は、京都や鎌倉以外では稀だろうか。

  しかし日本人であれば、その年最後の月となれば、『心の師』はそれなりに何となく焦って走り回るもののような気がする。

 

  私の師もかなり走り回ったようで、私の人生において最も不可解な時期『ニューヨーク行き&離脱』事件について、

  それなりの解答をはじき出してくれたもよう。

 

  私の二十代は、写真家としての活動に専念していた時期で、その最終形はニューヨークで大成する・・・というような

  淡い夢を抱いていて、そのた為の準備としての鍼灸師の免許取得やら禅修行(?)を経て33歳のときにニューヨークへ渡った。

  しかしニューヨークについた途端、なんだか私の歯車が狂ってしまい、永住するつもりが約一年足らずでニューヨークを離れ

  ヨーロッパを経由して帰国、禅寺へ再修行すべく約5年を目処にバイトと修行の生活体制を整えた・・・。

  その後、あの『ニューヨーク行き』について何度も考察したが、長い間自分自身に何が起こったのか分からず不可解なままであった。

 

  あれから40年、我が『師』が40周目を『走』って観えてきた景色というのは、『慈石の針』がブレブレに狂ったように振れていたのが

  あの『ニューヨーク行き』の時期で、それは私が再び禅寺へ向かうまで、まるで私をそこに追い込む為の指示現象であったというのだ。

  今現在、『悟り』は『郷里(さとり)』であるという私にとって、当時の『ニューヨーク行き』というのは、『郷里』を示すべき『慈石』の針が

  真反対の方向に行こうとする私に、何だかのサインを示していた・・・と観るわけだ。

 

  『師走』・・・と、『師』が『走』るわけは、つまるところ『自己のアイデンティティ探し』に奔走する姿であると解せば

  日本では禅のいう『己事究明』を年の一括りとして、伝統文化として、その精神を大切にしている・・・事

  自体は非常に重要な意義があると考える今日此の頃・・・。

 

            

                ニューヨークのとある屋上にて、 『迷える馬骨』図